☰53〕─1─ロシア帝国は大韓帝国の許可を得て日本侵略の為の軍事基地及び軍港を建設した。明治35年~No.153No.154No.155 @ ⑯ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 朝鮮は、地政学で、反日を民族の基本戦略とし、統一新羅の時代から高麗、李氏朝鮮と超現実主義者として行動していた。
 古代から、日本を攻撃していた。
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 1902年 北日本で遅延型冷害が起き、大凶作となる。
 大韓帝国に於いてクーデター未遂事件が起き、日本留学組は国事犯として逮捕され、僅かな者が難を逃れて日本に亡命した。
 寺内正毅陸相小村寿太郎外相らは、日露戦争勃発に際し、朝鮮の親露派が敵対行動に出ないように監理下に置き、戦地協力を確保する為に彼等を亡命者として保護した。
 密告者が誰で、その後どうなったかは分からない。
 日本には、中国や朝鮮、さらには東南アジアから多くの亡命者が地元の官憲から逃れて逃げ込んでいた。
 イギリスは、アジアの植民地をロシア帝国から守る為に日本と同盟を結んだ。
 イギリスは、心底から日本との友好関係を望んで同盟を締結したわけではなく、ロシア帝国に対抗する為に利用しただけである。日本は、使い捨てのコマにすぎなかった。
 外交音痴の日本は、イギリスの地政学に基づく、老獪な「力の均衡」という外交が理解できなかった。
 富岡謙二「日露戦争の始まる前の年、といえばロシア軍が北満をわがもの顔にあちらこちら占領していた頃、用事でチチハルの町に入ろうとしたある日本の旅人が、城門の入口で銃剣を突き付けられ、その厳しい警戒ぶりに驚かされたが、なあに入城してみると、そこでは日本の女郎屋が3軒、ロシアの民政署から補助金までもらって堂々と店を張っているのに二度びっくり」(『娼婦海外流浪記』)
 朝日新聞「戦争前、……何か事があってロシア側に引っ張られて行った者でも、女が行きさえすれば戻してくれたものだそうである。その代わり女は2、3日そこに止められて、立派に烙印を捺されてしまった」(昭和2年発行『草に祈る』)
 ロシア人兵士は、ロシア人女性であろうが日本人女性であろうがお構いなしに性行為を行い、衛生観念がなかったために性病が蔓延していた。
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 李氏朝鮮王朝は、1897年に大韓帝国と国号を変更したが、財政破綻状態の上に政府としての信用がなかった為に紙幣を発行しても市場での価値はなかった。
 朝鮮商売は、貨幣取引による日本の流通経済とは違って、貨幣には信用がなかった為に前近代的に物々交換であった。
 日本政府は、財政支援策の一環として、大韓帝国における近代金融制度を定着させるべく民間銀行の第一銀行韓国総支店(1878年設立)に第一銀行券を発行させた。
 イザベラ・バード「銀行業務は東京の第一銀行が引き受け、郵便と電信業務も日本人の手で行われている。居留地が清潔なのも日本的であれば、朝鮮人には未知な産業、たとえば機械による精米、捕鯨、酒造、フカひれやナマコや魚肥の加工といった産業の導入も日本が行った」(『朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期』)
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 1月30日 第1次日英同盟成立。日本とイギリスは、ロシア帝国の南下に対抗する為に同盟を結んだ。
 更に秘密軍事協商も結んで、相互全面的な諜報と暗号交換を行う事を約束した。
 イギリスは、清国内の権益を確保する為に、朝鮮半島における日本の優先的権利を認めた。
 林在英日本大使「ロシアが満州の資源を開発すれば、結局は朝鮮を占領するに至るであろう。これは日本として極力防止しなければならないところである。朝鮮人は自ら支配する能力を持たず、したがって、……ここに誰が同国を統治すべきかという問題が生じるのである」
 ランスダウン外相(01年8月発言)「主要な目的は、清国における門戸開放及び領土保全並びに韓国における日本の利益の維持にある」
 ジョージ・カーゾン「自己利益の為に朝鮮に独立を唆すのは、愚かな人間のする事であり、朝鮮に自らの死刑を執行させるのも同然である」
 日本とイギリスは、大韓帝国に対して、独立と領土保全を認めるかわりに第三国(対象はロシア帝国)の誘うに乗らない事を求めた。
 大韓帝国は、表向きには日英同盟に盛り込まれている韓国条項には異議を申し立てなかったが、反日政策として極秘にロシア帝国との連携を維持していた。
 保守的両班は、外交においては日本・イギリス・ロシア帝国などの夷狄を互いに対立させて帝国を維持し、国内においては皇帝権力を強化して伝統的秩序を破壊する民権運動を弾圧していた。
 親日の開化派の流れを汲む民権派は、日本式立憲君主制を手本とした近代国家建設を強く要望していた。
 ウィルヘルム2世のイギリス国王への書簡。「これで極東の平和が保障されるだろう」
 ドイツ帝国は、露独国境からロシア軍を極東に移動させる為に、日露全面対決を画策していた。
 フランスは、 隣国ドイツ帝国に対抗する為にロシア帝国と露仏同盟を締結していたが、独仏国境に配備されていたからロシア軍がアジア方面に転進させる事には反対であった。もし、軍国日本が勝利して同盟国ロシア帝国が衰退する事は、国家安全上から避けねばならない最悪事態であった。対独戦略から、独仏国境でドイツ軍の脅威が拡大することを警戒して、準敵国であったイギリスとの関係修復に乗り出した。
 4月 ロシア帝国は、日本や欧州諸国の批判をかわす為に清国との間で満州還付条約を締結し、来年10月8日までに満州全域からの完全撤兵を約束した。だが、満州からの撤兵する条件として7項目を押し付けた。
 ロシア帝国は、獲得した土地を返還する意思はなく、満州からの撤兵を行うどころか増派を続けていた。その矛先は、朝鮮に向けられていた。
 大国ロシア帝国は、平和の為とは言え、話し合いによって国益を損なう事は断固拒否した。
 日本の右翼勢力は、ロシア軍の朝鮮侵略に対抗する為に対露同志会を結成し、ロシア帝国より先に朝鮮を占領し支配すべきであると提言した。この提言が、大陸侵略の意思の表れとして犯罪行為とされた。
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 1903年 朝鮮政府は、1895年に国母閔妃を日本人に殺害された恨みを忘れず、ロシア軍に国内で最適な土地を軍事基地用地に使用する権利を与える賃貸協定を結んだ。
 大韓国皇帝高宗と反日派朝鮮は、日本を排除する為にロシア軍を国内に駐屯させ、あわよくばロシア軍が仇敵日本を滅ぼしてくれると期待した。
 ロシア海軍は、馬山浦付近に海軍基地建設を開始したが、さらに別の軍事拠点として日本に近い対馬海峡に面した海岸を要求した。
 ロシア陸軍も、朝鮮国内に軍隊を進駐させる為の要地を求めた。
 日本軍部は、ロシア軍との主戦場となる満州への兵員及び軍需物資を送るには朝鮮半島を利用するしかなく、朝鮮の兵站基地としての安全性を懸念した。
 桂内閣は、大韓国政府と、朝鮮半島での部隊及び軍需物資の自由な移動を確保する為に外交交渉を開始した。
 大韓帝国は表面的には中立の立場を示唆していたが、これまで反日的行動を取り続けてきた高宗皇帝と側近達が親露派である事は間違いなかった。
 親日派政府高官は、日本との協力の下で、政情不安の解消と綱紀粛正、貧困庶民の救済と生活安定、治安の回復と法秩序の確立、日本を手本とした国家の近代化、等々を目指していた。
 だが、李容翊ら反日派は、弱小国・日本と提携する事は世界の強国・ロシア帝国を怒らせるだけで、大韓帝国の独立を守れないと訴えた。
 4月8日 清国は、満州に大軍を駐屯させているロシア帝国に対抗する為に、日本ではなくアメリカを利用しようとした。
 アメリカは、自国の商品を売りさばく市場として満州に目を付け、満州の門戸開放をロシア帝国に求めた。ロシア帝国が要求を拒否した為に、日本の大陸戦略を支持した。
 ロシア帝国は、李鴻章との裏取引で、満州からの撤兵を拒否して居座り、満州への増派を続けていた。
 4月26日 ニューヨーク・タイムズ紙「ロシアの背信性、破廉恥さは文明国中でも類を見ない。誠意、信義に関してはロシアの評判は最悪」
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 7月 ロシア軍は、シベリア鉄道に接続する東支鉄道が開通し、遼東半島の旅順まで全線がつながった事で大部隊と膨大の物資を極東に送り込んだ。
 シベリア鉄道を保護する名目で、満州の重要拠点を軍事要塞化して軍隊を配置した。
 南満州奉天(後の瀋陽)付近に16万人の大兵団を配置し、旅順軍港守備に精鋭部隊4万7,000人を送り込んだ。
 朝鮮と満州の国境に戦略的拠点を築く為に、韓国領土にロシア軍と中国人馬賊を侵入させて、各地を荒らし回って圧力をかけた。
 ロシア帝国は、満州に次いで朝鮮に軍隊を派遣し始めた。
 親露派朝鮮人高官に多額の賄賂を握らせ、鴨緑江左岸・茂山一帯の森林伐採権と朝鮮北部の鉱山開発権を手に入れ、労働者と偽ってロシア軍兵士を朝鮮内部に送り込んだ。
 韓国領への侵略の橋頭堡として、鴨緑江河口の漁村・龍岩浦を軍港にする為に購入して堤防桟橋を建設し、砲台を築き武器弾薬を搬入した。
 龍岩浦砲台の対岸にある、清国領安東に軍事用施設を建設して朝鮮への抑えとした。
 ロシア帝国は、極東での軍事力を強化する事で日本に威圧を加え、戦わなくとも日本を屈服できると判断していた。
 ロシア軍は、世界最大の軍事力を誇り、新興小国日本には負ける気がしなかった。もし、日本と戦うにしても数ヶ月で日本軍を全滅できると分析していた。
 ロシア海軍は、遼東半島沿岸から朝鮮半島西海岸迄の制海権を手に入れ、朝鮮海峡を支配する為に馬山浦や鎮海湾に軍港建設を計画し、さらに日本への軍事圧力を強化する為に対馬の竹敷湾を手に入れようとした。
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 朝鮮は、日本とロシア帝国が戦えばロシア帝国が勝つ以上、ロシア帝国を新たな宗主国と定めて属国として従おうとしていた。
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 伊藤博文尾崎行雄など恐露派は、戦力の貧弱な日本が世界の強国ロシア帝国と戦って勝てるわけがなく、間違えるとロシア帝国に日本が占領されて滅亡する恐れがあるという、日本絶対不利という世界的常識論をもって反戦を主張していた。
 そして、日露協商の成立を訴えた。
 日本軍部内では、成算は5分5分という対露強硬論が主流となり、対露戦を想定した軍備拡張が行われていた。
 報道統制をおこなって、両国の詳しい戦力差を隠し、対露戦やむなしとの世論づくりを行った。
 日本軍は、戦力・軍需物資不足を大和魂の精神力で乗り切り、肉を切らせて骨を断つという肉薄戦を想定した訓練を繰り返していた。
 日本政府と外務省は、和戦両方を想定して、イギリスやアメリカに対して外交工作を推進していた。
 イギリスは、ロシア帝国の南下政策からインドを守る為に日本と同盟を結んでいたが、日本軍が勝てるとは思ってはいなかった。同盟国日本が敗北して占領されようとも、ロシア軍に手痛い打撃を与えてくれれば、インドと中国の利権は守れると考えていた。
 アメリカは、両国が戦えばロシア軍の圧勝は間違いないと分析し、ロシア帝国との関係を悪化させる様な事は避けるべく、日本に好意を示しても深入りする事を警戒した。
 フランスやドイツ帝国は、戦勝国となったロシア帝国が日本を解体する時、日本の領土の一部を領土にするか植民地にする為にロシア帝国を支援した。
 時代は、食うか喰われるかの帝国主義時代である。
 自国を自力で守れない弱小国は消滅するのが天の摂理とする、ダーウィニズムの時代である。
 日本軍部は、ロシア軍が南満州遼東半島に32万人の大兵団を配備したという情報を得るや、対抗処置として20万人の動員を命じた。
 日本海軍は、旅順軍港に集結しているロシア海軍太平洋艦隊の補足殲滅に準備を始めた。
 7月13日 タイムズ紙「満州について日本は冷静な力と自制の態度を取ってきた」
 8月12日 伊藤博文は、ロシア帝国との戦争を回避する為に、朝鮮を日本が勢力下に置く代わりに満州ロシア帝国の勢力下に置くという妥協案を提案した。
 ロシアは妥協案を拒否し、朝鮮半島の北緯39度線を基点とした北をロシア領とし、南を日本の管轄地とする分割案を提示した。
 日本は、朝鮮半島を如何なる外国勢力にもは渡さず、自主独立国として存続させる事が安全保障上の最重要課題である以上、如何なる外圧にも屈する事なく戦って守るしか選択肢がなかった。
 9月25日 小村寿太郎外相は、高崎大阪府知事からの「朝鮮人亡命者・禹範善殺害の陰謀」という報告を、漢城の林公使に機密送70号として送った。
 首謀者・尹孝定は、鴨緑江禹範善を誘い出して殺害する為に朝鮮に帰国していた所を発見され、国外退去処分を受けて殺害は不可能となった。
 なぜ。尹孝定が、禹範善を殺害を計画したか。
 それは。酒宴の席で、乙未事件で国母・閔妃を刺殺し、遺体を焼いたのは自分だと述べたからであった。
 殺害を共謀していた高永根は、魯允明を呼んで殺害を実行する事とした。
 10月3日 日本は、戦争を回避する為に、朝満国境から両方向に50キロの中立地帯を設ける事を提案した。
 ロシア帝国は、日本案を拒否し、39度以北を中立地帯とし、朝鮮領土の軍事利用の禁止と朝鮮海峡の自由航行を逆提案した。事実上の、朝鮮から日本を追放する提案であった。
 日本には、戦争を回避してロシア提案を受諾するか、拒否して開戦するかの、二者択一が求められた。
 アメリカは、ロシア帝国に対抗する為に清国と通商航海条約を締結した。
 日本は、ロシア帝国との戦争を回避する為にアメリカの支援を必要として、米清通商航海条約と同じ条約を清国と結び、アメリカの門戸開放原則を支持した。 
 11月24日 禹範善殺害事件。高永根は、呉の自宅で魯允明と共謀して禹範善を殺害し、警察に自首した。
 12月21日 日本は、戦争回避は不可能と判断して、臨戦態勢の準備に入った。
 ロシア帝国は、日本とアメリカが同調姿勢を取ったことに危機感を抱き、翌04年1月10日に両国の間を切り離す為に日本が主張していた満韓交換論を逆提案した。だが、それは方便に過ぎず、日本との戦争は避けられない事は重々承知の上であった。
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 ロシア軍は、下層階級出身の兵士が抱いている不平不満を解消する為に、欧州ではユダヤ人を、中央アジアではイスラム教徒を、アジアでは中国人を差別し、虐待し、そして惨殺していた。
 フランスは、清国から奪ったインドシナを植民地として、ベトナム人を奴隷として飼いならす為に無学文盲の愚民化政策を行っていた。
 植民地から全ての富を奪う為に、植民地全体を監獄と化した。独立を求める民族主義者を、テロ集団として徹底的に弾圧した。テロリストとみなせば、女子供に関係なく虐殺し、拷問にかけ、強姦した後にギロチン刑で首を切断した。
 平地の現地住民から敵意を受けない為に、山岳の少数民族キリスト教に改宗させ、特権を与えて警官や兵士に雇った。
 人頭税、結婚税、葬儀税、引っ越し税などありとあらゆるものに課税し、貯蓄して資産を持たないように奪った。
 中国人華僑や華人を味方に付ける為に、植民地でのアヘンと人身売買を認めた。自分の富を増やす事しか考えない中国人は、女子供にもアヘンを売りつけ、阿片中毒を蔓延させた。 
 オランダやベルギーやイギリスの植民地でも、同じように地獄で、独立を求める民族主義者をテロリストとして虐殺した。
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 義和団の乱後。アメリカは、将来、日本とアジア市場をめぐって対立すると分析していた。その時の為に、中国内に親米反日派を増やす目的で、清国からの賠償金を教育基金として清華大学を創り、優秀な中国人をアメリカの大学に留学させた。
 セオドア・ルーズベルト「ロシアは全く民主的ではないが甚だ強力であり、シベリアにシナ人が入り込むのを防いでいる。シナは非文明国だからロシアの進出は利益になる」
 諸外国は、自国の居留民救出を目的として中国に軍隊を駐屯ささて。
 パナマ運河を建設するべく、1903年に謀略でコロンビアからパナマを分離独立させ、パナマ共和国親米派の傀儡政権を樹立させた。
 パナマ運河は、1914年に完成した。
 アメリカ軍は、運河防衛を目的として土地を強制的に収用し、大西洋岸をドイツ海軍から、太平洋岸を日本海軍から、それぞれ防衛する為に部隊を駐屯させた。
 アメリカは、パナマ国民にアメリカ国民の様な自由も権利も認めず、領主として君臨した。
 アメリカ海軍は、大西洋・カリブ海・太平洋の制海権を確保する為に大艦隊建設計画を開始するが、艦隊の分割によって日本海軍に較べて太平洋艦隊の弱体化は避けられなかった。弱体化する海軍力で、海軍力を強化しつつある日本海軍と如何に戦うかが国防戦略の重要問題となった。


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