☱20〕─1─日本警察と憲兵隊は、朝鮮人テロリストの摂政宮裕仁皇太子暗殺計画情報を得て警戒を強化した。義烈団。大正12年~No.41No.42 @ ⑦ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
*不逞朝鮮人の暗躍
 朝鮮人テロリストに狙われた、日本の皇室。
 特に。裕仁反日朝鮮人に狙われた回数が多い。
 彼らの後ろにいたのが、反天皇派のキリスト教会であった。 
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 1922年7月 信濃川朝鮮人虐殺事件。
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 1923年 内務省は、日本国内に37万人以上の朝鮮人が生活していると、公式報告を行っていた。その大半が大阪や神戸などの京阪地区であり、東京や神奈川などの京浜地区は少なかった。
 東京には約9,000人の朝鮮人が住んでいて、留学生は3,000人で、労働者は6,000人とされている。
 不法上陸者で住所不定の不逞朝鮮人が、首都圏の同和地区・部落に入り込んでいるという報告はあったが、実数は不明であった。さらに、その中に幾人の朝鮮人テロリストが含まれているのかもわかってはいなかった。
 首都圏の朝鮮人は、情報交換に為に東京朝鮮YMCA会館に出入していた。
 警察当局が、全国で朝鮮人による凶悪犯罪が増加していると発表した。
 日本人は、朝鮮人を恐怖の目で見て敬遠した。
 朝鮮人は、敬遠を差別と見なし、その原因は自分達ではなく日本人にあるとして、日本人への敵意を隠さず剥き出しにした。
 朝鮮総督府は、朝鮮人労働者が大挙して日本に押しかけない様に制限し、朝鮮人テロリストや犯罪者などの不逞朝鮮人を日本に入り込ませない為に、各港での警戒を強めた。
 朝鮮人の日本本土への移動が、朝鮮総督府の厳しい規制にもかかわらず増加していた。
 大金を取って不法上陸を手引きする日本人の為に、不逞朝鮮人の取り締まりは思うような成果をあげてはいなかった。
 日本にも、「天皇や日本」「国家や民族」がどうなろうとも、自分が大金を手に入れればそれで良いという大陸的「強者論理」の「個人至上主義者」がいた。
 現代日本には、そうした島国的「弱者論理」を否定した醜悪な市民が急増している。
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 朝鮮総督は、大韓帝国が1909年に近代戸籍として成立させた「民籍法」と、朝鮮総督府が1911年11月1日に導入した総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」の2種類の戸籍法規を統一するべく、「朝鮮戸籍令」(朝鮮総督府令第154号)を公布した。
 朝鮮人は、中国同様の「気」を重んじる儒教思想から、「気」の継続は男系のみという考え方から古来「(気・血族)夫婦別姓」を伝統文化としていた。
 女系は、「血と肉」を受け継いでも「気」は受け継がない。
 朝鮮総督府は、日本式戸籍管理を行うには家族に二つの姓を持たせては非効率な為に、公的戸籍での統一姓を義務付け、私的戸籍には朝鮮姓を残した。
 公的姓である日本姓を名乗るも名乗らないのも、本人の自由意思とした。
 外国に出た際、朝鮮姓より日本姓を名乗った方が日本人として優遇された為に、名前を聞かれたら日本姓を名乗って日本人に成り済ました。
 日本は、神道思想から、気の継続という閉鎖的一族空間ではなく、同じ大地に生きる者としての開かれた「地・血族」関係である。
 朝鮮人達の日本への渡航は、金儲けを目的とした自由意思での出稼ぎで、強制連行ではなかった。
 正規の契約による合法的渡航以外に、悪徳仲介業者に大金を払ったり或いは多額の借金をして非合法的に上陸する者達で、在日朝鮮人の人数は年々増加していた。
 日本人以外の外国人増加で、日本の治安は悪化して、凶悪犯罪も増え、社会問題となった。
 特に、創氏改名した朝鮮人の犯罪が問題となった。
 逮捕された朝鮮人犯人が、戸籍や出生を誤魔化して日本姓を名乗る為に現場では混乱していた。
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 1月 義烈団の金元鳳(キムウォンボン)は、宣言書を関係各所にバラ撒き、民衆に日本を朝鮮から追い出す為に暴力革命を扇動した。
 「朝鮮革命宣言 盗賊日本がわが国号を無くし、わが政権を奪い、我々の生存に必要な諸条件をことごとく剥奪した。……朝鮮民族が一方にあり、日本の盗賊が他方となって、相手が亡ばねば自分が亡ぶ一本橋の上に立たされ、闘わざるを得ない事を知れば、わが2,000万民衆は一致して暴力破壊の道へと突き進んで行くであろう。……」
 テロ組織・義烈団は、ソ連共産主義勢力の軍事支援を受け、裕仁皇太子を暗殺し、日本を滅亡させるべく、21年に韓族共産党としてモスクワの極東民族大会に参加した。
 民衆は、暴力的共産主義革命を支持しなかった。
 3月16日 黄諐警部事件。総督府警察の黄諐警部は、義烈団の同調者として、朝鮮人テロリスト12名の朝鮮潜伏に協力し、テロ目的の武器弾薬の持ち込みに便宜をはかった。
 内偵によって、黄諐警部と朝鮮人テロリストは逮捕され、大量の武器弾薬が押収された。
 日本政府と朝鮮総督府は、警察内部にテロリストの協力者がいた事に愕然とし、朝鮮はおろか日本国内にも多数の朝鮮人テロリストが潜伏している恐れがあるとして警戒した。
 4月 日本労働総同盟中央委員会は、日本と朝鮮のプロレタリアには共通の敵(天皇)がいる事を認めれて、朝鮮人労働者と共同戦線を張る事を決議した。
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 4月12日(〜5月1日) 警察当局は、朝鮮人テロリストが摂政宮裕仁皇太子を暗殺し、日本を混乱させて朝鮮の独立を計画しているとの情報を得て、警戒を強化した。そして、疑わしい朝鮮人への監視を強化し、情報を得る為に不当逮捕を行い手荒い拷問にかけた。
 裕仁皇太子は、戦艦金剛で台湾行啓に出発した。侍従武官長兼東宮武官長の奈良武次中将は、次期天皇の摂政宮の身辺警護の為に儀礼用のサーベルから日本刀に変え、拳銃の携帯を命じた。
 朝鮮人テロリストの義烈団や反天皇派日本人や抗日派中国人らは、爆弾や拳銃を用意して、台湾視察旅行中の摂政宮を暗殺する為に付け狙った。悪名高い憲兵隊や日本側警備当局の、過剰な警戒の為に好機を逸した。彼等は、等しく、日本側の過剰防衛を「臆病」と軽蔑して嘲笑った。
 朝鮮人テロリストは、裕仁皇太子と久邇宮良子女王とのご婚儀での暗殺の為に、日本人協力者と共に準備を急いだ。その資金調達の為に、日本と朝鮮で現金強奪事件を繰り返していた。
 過激な左翼のマルクス主義者も、裕仁皇太子暗殺に伴う大混乱から、暴力的共産主義革命を起こそうとしていた。
 5月 横浜で武器密輸出が摘発され、アメリカ製の連発ピストル1万挺と弾丸10万発が押収された。警察当局と憲兵隊は、新たなテロ計画があるとして警戒を強めた。
 5月1日 東京で、第4回メーデーが開催された。警察当局は、メーデー会場で、皇太子の成婚の日に爆弾テロを計画していたとして朝鮮人13名を検挙した。捜査当局は、苛烈な拷問で一味の名前を聞き出し、300名以上の朝鮮人テロリストと支援する反天皇派日本人を皇太子暗殺計画容疑で逮捕した。
 皇室への尊崇篤い臣民・日本人は、皇太子暗殺を計画していた朝鮮人活動家の大量検挙から、朝鮮人は何をするか分からない恐ろしい人間であるとして恐怖した。
 現代日本マルクス主義者は、如何なる理由があっても被疑者を半殺しにする拷問を非人道的行為と否定し、当時の苛烈な捜査方法を犯罪行為であると子供達に教育している。
 5月12日 九州日報(夕方)「吾こそ婿にと 鮮人の大騒ぎから」
 6月 コミンテルンは、朝鮮で暴力的共産主義革命を起こす為に、反天皇反日朝鮮人共産青年会を組織した。モスクワで革命教育を受けた朝鮮人テロリストを、破壊工作員として日本と朝鮮に潜入させた。
 日本の学校に進学した朝鮮人学生の一部は、民族の独立を目指して共産主義的思想運動に参加し、秘かにテロ活動を支援していた。日本人の左翼・左派系教職員やマルクス主義系学生らも、反天皇神道意識から、朝鮮の独立が達成される様に協力し、警察の捜査から朝鮮人テロリストを庇った。
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 6月1日 漢口と長沙で、学生を中心として排日暴動が起きた。中国人暴徒は、国際法を無視して、各地の日本領事館などの公館を襲撃し略奪と破壊を繰り返した。
 中国政府は、愛国主義的学生の自主性を尊重し、日本の主権を踏み躙る行為を静観した。
 中国側は、日本との対等な関係での友好を認めず、アジアの覇権国意識から小国日本を侮蔑していた。民族主義的愛国運動を奨励し、日本人の自衛権行使を犯罪行為として否定した。
 国際世論も、中国側の言い分のみを取り上げ、日本側の説明を無視した。
 7月10日 朝鮮総督府は、日本国民としての自覚を持たせる為に皇民化教育として教科書に『普通学校(小学生)国語読本』を使用し、同時にハングル文字を広く普及させるべく『普通学校朝鮮語読本』を使用した。

 8月29日 朝鮮人は、国を失ったこの日を国恥の日として日本と朝鮮で行事を行った。
 警察当局は、むしろ9月2日の国際青年の日に大規模な威嚇デモが計画されているとして警戒を強化した。東京の朝鮮人留学生1,500人中200名以上を、要注意人物として尾行を付けて監視した。内偵により、多くの拳銃や爆弾が東京や横浜に持ち込まれたとの情報も得ていた。
 憲兵隊や警察当局は、さらなる詳しい情報を得る為に、逮捕した不逞朝鮮人マルクス主義者日本人を拷問にかけた。地獄の様な拷問によって、幾人かが死亡した。
 内務省警保局は、国内の朝鮮独立派の活動が過激している事に危機感を感じ、大阪や京都など主要9府県に特高課を新設して警戒にあたった。
 日本の新聞は、朝鮮独立派のテロ事件を事細かに報じていた。
 日本人は、多発する朝鮮人の凶悪な犯罪事件を連日の新聞で読み、朝鮮人犯罪者への恐怖感を募らせていた。
 事実。朝鮮人テロリストと共産主義者日本人は、同年11月27日に予定されている摂政宮裕仁皇太子と久邇宮良子女王との成婚式に合わせてテロを準備していた。
 別のテログループによる、他の宮家への暗殺テロ計画と英親王李垠の婚礼式場爆破計画との情報も錯綜していた。
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 12月6日 大阪朝日新聞(朝鮮版)「内地密航を取締」
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 反天皇反日朝鮮人テロリストが潜伏している在日朝鮮人社会では、不穏な空気が漂っていた。
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 在日朝鮮人が数人集まる場では、酒を飲みながら、声を潜めながら暗殺テロ談義を酒のつまみに花を咲かせていた。
 在日朝鮮人にとっては冗談であったが、その話を聞いた日本人にとっては冗談ではなかった。
 日本の警察や憲兵隊からすれば、不逞朝鮮人によるテロを計画した謀議と見なした。
 日本人は生真面目だが、朝鮮人は不真面目であった。
 日本人の朝鮮人に対する不信感が、日本人の非人道的犯罪とされる関東大震災朝鮮人惨殺の生んだ。
 日本民族日本人にとって、神の裔であり祭祀王の日本天皇は自分の命を犠牲にしてまで守るべき尊い存在であった。
 朝鮮人にとって日本天皇とは朝鮮国王の下位で、無教養で野蛮な存在で、軽蔑すべき相手であったがゆえに、日本人の感情を無視し逆撫でするように平気で野卑な言葉で馬鹿にいていた。
 日本人が朝鮮人に対して、日本天皇の名誉を守る為に、嫌がるのを承知で歴代天皇の名前を無理して言わせようとしていた。
 王朝の権力闘争が好きな朝鮮人は、何の躊躇いもなく裕仁皇太子暗殺テロの架空話をしていた。
 日本にとって、それは国家に対する叛逆の共同謀議であり、皇室に対する死刑に値する不敬罪であった。
 日本にとって、日本天皇は命を捨てても守るべき国家元首であった。
 朝鮮人テロリストは、日本民族日本人が命より大事にしていた日本国元首を暗殺しようとしていた。



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