☵12〕─4─韓国の癒やされる事のない反日感情の原因は日本と戦争をしなかったからである。~No.83 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 韓国・朝鮮が心の奥深くに蠢くドス黒い禍根は、全ての責任を取り、最悪のリスクを覚悟して侵略戦争をした事がないことである。
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 古今東西、富強奪や領土拡大の欲望に駆られて侵略戦争をした国が大半で、侵略戦争をしなかった国は少なかった。
 インドシナ半島の諸王朝は、領土を取り合う激しい対外戦争を繰り返していた。
 侵略戦争をしなかった国をあげるとすれば、朝鮮半島の諸王朝である。
 同様に、朝鮮半島の諸王朝は国土防衛の自衛戦争も占領軍を暴力で追い出すような武装抵抗運動もした事がない。
 つまりは、諸王朝は非武装非暴力無抵抗の理想的な平和国家であったといえる。
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 日本のように武芸を生業とした武士・サムライは、朝鮮にはいなかった。
 儒学において、武官・軍官・軍人は差別される下級職であり、人徳と教養ある人物が就く職業ではないと無学文盲の小人が就く下賤職とされた。
 その為に、韓国人や朝鮮人の父母・祖父母・曾祖父母などの祖先は、昔の日本人に比べてはるかに卑屈で惨めなほど臆病であった。
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 強いて朝鮮が国家意思で侵略戦争を行ったのは、応永26(1419)年に世宗大王が命じた日本・対馬侵略の応永の外寇(がいこう)である。
 前期倭寇とは、蒙古侵略でモンゴルの威を借りた高麗兵に虐殺された対馬壱岐・北九州などの日本人による復讐・報復であった。
 蒙古侵略は、文永11(1274)年と弘安4(1281)年の2回で、日本は夥しい犠牲を出しながら蒙古・高麗連合軍を撃退して、母国日本を守った。
 後期倭寇は、中国人や高麗人が多数で日本人は少数であった。
 世宗大王が日本侵略の大義名分にした倭寇討伐は、後期倭寇で日本人の倭寇ではなく悪辣・陰険な言いがかりであった。
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 豊臣秀吉の唐入り・朝鮮出兵は、文禄1(1592)年と慶長1(1696)年であった。
 西洋は、大艦隊で大軍を渡海させた軍事力とそれを可能にした経済力から日本を世界7大帝国の1つと認め、日本海を日本の海であるとして名称を与えた。
 海の名称をつける権利は、その海を大艦隊で武力支配している国にあるというのが世界の常識であった。
 故に、日本海の名称は歴史的に日本海であって地理的な東海ではない。
 元を正せば、日本海縄文人の海であった。
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 日本と朝鮮との争い関係で先に手を出したのは、朝鮮であって日本ではない。
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 日本の脅威は、中華帝国・中国ではなく、海峡を挟んだ朝鮮半島であった。
 朝鮮の脅威は、海の外にある日本ではなく、陸続きの中華帝国・中国であった。
 中華帝国・中国の脅威は、日本や朝鮮半島ではなく、北のモンゴルと西のチベットウイグルであった。
 東アジアで略奪と虐殺を繰り返してきた邪悪な侵略国家は、中華帝国・中国であった。
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 日本は、中華の臣下を拒絶し、天皇を擁立して自主独立を守るべく抵抗した。
 朝鮮は、礼法の国として終生の忠誠を誓った。
 朝鮮の恨・怨と大国への事大主義・日本への夜郎自大は、自分で作り出し消せない宿痾となった。
 韓国・朝鮮の激しい反日感情はこうして生まれた。
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 2019年12月号 Hanada「韓国よ、歴史の真実を学べ
 エドワード・ルトワック  取材構成 奥山真司
 朝鮮半島4つの選択肢
 ……
 現状維持以外の3つの選択肢は、すべて日本にとって望ましくない。4つのどれも最悪のなかで最も『マシ』なのが、現在の朝鮮半島の状況を維持することだ。私はかつて、日本は北朝鮮に対する先制攻撃能力を持つべきだと提案した。しかし、北が核ミサイルを完成させた以上、日本が現実的に取りうる選択肢は、分断朝鮮の維持しかなくなった。
 ここまで来た以上、日本の外交は柔軟かつ受動的になるしかない。これが私の分析である。
 日韓衝突は韓国の問題
 韓国の行動の基本は、従属相手を切り替える点にある。彼らは日本に従属したあと、アメリカに従属した。そして、いまや中国に従属しようとしている。
 韓国のやり方を間近に見てきた日本の皆さんはすでにお分かりと思うが、日韓関係というのは外交問題ではなく、二国間交渉では解決できない。これは韓国自身の問題なのだ。そのことは、ドイツが欧州で直面した歴史問題と比較してみると、分かりやすいと思う。
 第二次世界大戦が終わるまでに、ドイツはロシア人を2,000万人以上殺害した。1945年の終戦から10年経っても、ロシアの反ドイツ感情はまだ激しかった。
 それから70年以上経過した現在、ロシアでは反ドイツ感情はすでに消え去っている。
 韓国人の日本への反感は、74年経ってもいまだに残っている。これは一体なぜなのか?理解するには、ドイツとオランダの関係と比較していく必要があるだろう。
 ドイツが戦時中に殺害したオランダ人の数は、ロシア人と比べれば非常に少なかった。むろん戦争が終わる最後の6ヵ月間、オランダは苦しめられたが、これは食料が底をつきかけていたからだ。
 オランダ人はほとんど殺されなかったにもかかわず、ドイツ人への憎しみを解消するまで、ロシア人よりはるかに長い時間がかかった。その最大の理由は、ロシア人はドイツと戦ったが、オランダ人はそうではなかったからだ。
 ドイツ人はロシア人を殺し、ロシア人もドイツ人を大勢殺した。そして戦後、お互いに『もう戦いはやめよう』となったわけだ。
 フランス人は遅かったが、それでも一応ドイツに抵抗した。ベルギー人の抵抗の仕方は巧みで、ドイツが作った秩序を崩壊させている。デンマークは国民レベルで抵抗して、非常に効果的だった。ノルウェーにはレジスタンスの戦士がおり、占領に来たドイツ人をしっかり攻撃した。
 ところが、オランダ人は臆病者で、抵抗しなかったのである。オランダ社会はドイツに服従し、対独協力が大々的に行われた。たとえば、ドイツはオランダ警察を頼って、オランダ国内のユダヤ人を逮捕している。
 若いオランダ人たちは、自分の父親たちが臆病者であったからこそ、戦後に反ドイツ的な感情を持ち続けたのである。
 私の子供時代の体験もこれを裏付ける。両親は戦後、1960年代に車で私をオランダ沿岸部への旅行に連れていってくれた。
 そこかしこにあった民宿の入り口には、もれなく『ドイツ人お断り』という看板が掲げられていた。
 同じ時期、私はユーゴスラビアダルマチア地方の沿岸部にも連れられていってもらったことがある。当時、私たち家族はイタリアに住んでいたので、車で遠出することができた。
 こに地域は第二次世界大戦中、ユーゴスラビア王国とドイツとの激戦地で、戦死者もたくさん出たが、ユーゴの人々はドイツからの旅行者を大歓迎していた。
 その理由は、ドイツ人がユーゴ人を殺し、ユーゴ側もドイツ人を大勢殺したからだ。彼らは決して臆病者ではなく、立ち上がり、戦ったのである。誰も自分たちの父を恥じることなく、誇りを持てた。だからこそ戦後、ドイツ人に対して友好的になれたのである。
 韓国人のトラウマの構造
 これらを踏まえて、朝鮮問題を考えてみよう。韓国や北朝鮮で制作されたプロパガンダ映画は数多い。勇敢な朝鮮兵、韓国兵が無法で残虐な日本軍を撃退する、というワンパターンのストーリーだ。だが、1945年までの朝鮮半島で、実は抵抗運動(レジスタンス)と呼ばれるようなものはほとんど発生していない。朝鮮人たちは概して服従的だったのだ。
 むしろ多くの人々は、服従以上の態度で自発的に日本に協力し、日本軍に積極的に志願したのである。その数は80万人にのぼるが、そのなかには朴槿恵(パククネ)前大統領の父親・朴正熙(パクチョンヒ)元大統領も含まれていた。
 彼は日本名である『高木』を名乗り、自分に血でしたためた血判状をもって、当時の満州国の軍官学校、陸軍士官学校に志願し、入学した。極めて優秀な成績だったという。
 私は、彼らが暗殺される数ヵ月前に会ったことがある。1979年、私と夕食をともにした席で、彼は若い頃の夢について語った。それは日本軍の勲章をもらい、大佐として退役することだった(実際は中尉で退役)。
 2019年の韓国に話を移そう。韓国人はいまだに、自分たちの父親や祖父たちが臆病者で卑屈だったという心理的トラウマに悩まされている。これはオランダ人のケースと同じだ。
 ロシア人やユーゴスラビア人、そして静かだが強力に抵抗していたベルギー人とも事情は異なる。
 ベルギー人の抵抗について付言しておけば、彼らはたしかにドイツと戦闘こそほとんどしていないが、ドイツへの妨害、サボタージュは完璧だった。ドイツ人がオランダとベルギーを占領したあと、地元の警察に『ユダヤ人を逮捕して収容所行きの列車に乗せろ』と命じた。
 ベルギーは第一次世界大戦の開戦直後、ドイツの侵攻で占領された。次に第二次世界大戦でも同じだった。そのおかげで、ベルギーのおばあさんたちは見抜かれないような偽文書作りの能力を身につけた。彼らは『ドイツ人の騙し方』を学んだのだ。
 ベルギーはとても小さな国で、ユーゴスラビアの山岳地帯のように、隠れて抵抗運動を続けられる地理的な環境もない。それでも、彼らは非常に効果的に抵抗した。『ドイツの言うことを聞かない』ことだけを狡猾に行ったのである。
 ベルギーにはドイツから逃げてきたユダヤ人だけでなく、非ユダヤ系だがナチスに反対するドイツ人も多く住んでいた。反ナチスのドイツ人たちは、ヒトラー政権の下で、オランダとベルギーに逃げ、ベルギーは彼らを守った。
 これは、ベルギーによる静かな抵抗の多くの実例の一つにすぎない。ベルギー政府はドイツに『ノー』とは言わなかったが、決してドイツの望むことはしなかった。
 しかし、オランダはドイツに協力して逃亡者たちを逮捕し、引き渡した。彼らは強制収容所に送られ、オランダに逃れた人々はことごとく死んだ。
 オランダは、まるでドイツの使用人のように振る舞っていた。だからこそ戦後、ドイツ人を長期にわたって憎み続けることになった。
 1945年以降のオランダ政府の国民に対するメッセージは、二つの嘘で塗り固められていた。第1に、戦時中、ほとんどドイツに抵抗運動(レジスタンス)がなかったにもかかわず、話を膨らませて大々的に抵抗していたかのように装ったこと。
 そして第2に、対独協力は個別のケースで存在したが、政府ぐるみで協力していた事実はなかったとしたことだ。
 これが完全に嘘であることは、アンネ・フランクが逮捕された事実を考えればよく分かる。彼女の家族は逃げて居場所を隠したにもかかわず、誰かがオランダ当局側に居場所を教えたのだ。これはオランダ人社会に、大規模なドイツへの協力組織があったことを示している。
 そして、これは大きな政治的副産物を生んだ。オランダは、ドイツが北大西洋条約機構NATO)に加入するのを拒否したのである。NATOはドイツを必要としていた。なぜなら当時の西ドイツは、社会主義東ドイツと国境を接する、西側の最前線に位置していたからだ。
 ところがオランダは、独自の反ドイツ感情に突き動かされて、ドイツのNATO加盟を阻止しようと運動したのである。
 韓国人たちと同じように、オランダ人の反ドイツ感情は長年にわたって維持されたのだ。
 スウェーデンの偽善
 もう一つ別の例が、スウェーデンである。第二次世界大戦中、ドイツがヨーロッパ中で行っていた非人道的な行為に対して、この国は消極的な傍観者の立場を変えなかった。
 スウェーデン人は、自分たちを世界で最も偉大で人道的であるかのように見せたがる。最近の例は、国連の地球温暖化サミットの演説で注目を集めたグレタ・トゥーンベリという女子高校生だ。彼らは常に世界に対して人道主義を説き、人類を救済し、地球を救えと主張する。
 ところが、第二次世界大戦中の人道の危機に対して、彼らは何もしていなかった。ただ戦況をながめて、優雅にパンを食べていた。
 そして、事態を傍観するだけではなく、莫大な量の鉄鉱石をドイツに売ったのだ。ナチスはそれを鉄鋼に変え、銃や戦車にした。最も人道的なはずのスウェーデンが、ドイツの兵器の材料を提供していた。
 さらに、ドイツ人が同じスカンジナビアの兄弟国であるノルウェーを占領した時、スウェーデンはまったく助けず見殺しにした。それだけではない。事後に占領地のノルウェーに向かうドイツ軍に、自国を横断する鉄道を使わせて、国内を楽々と通過させた。彼らはノルウェーを裏切り、ドイツに部隊輸送の協力をしたのである。
 戦後、たとえば1953年頃になると、ヨーロッパの多くの国でドイツをすでに許していたが、スウェーデンはオランダと同じように、超がつくほどの反ドイツ感情を保持していた。
 戦争中、彼らはオランダ人と同じように臆病者で、ナチスに協力していた。戦後のスウェーデンは世界に道徳を説いてきたが、彼らの実際の大戦中の行為は、きわめて非道徳的だった。逆説的だが、だからこそ道徳的高みに立ちたがるのである。
 スウェーデン企業や財界人のなかには、大量の物資や資源をドイツに売ることで、戦時中、非常に経済的に豊かになった者が数多くいた。ナチスの金塊の多くが、最終的にスウェーデンに渡っていたことはよく知られている。彼らはドイツに積極的に協力したからこそ、戦後になって激しい反ドイツ感情に転じたわけである。
 韓国人にも同じことがあてはまる。韓国の行動は、一見すると不可解なところがある。ところが注意深く比較すてみると、その本質は、ドイツに対する欧州各国の態度と同じであると分かる。
 戦時中にドイツに協力的だった国こそ、本当に反ドイツ的な態度をとるようになる。
 スウェーデン人は、自らを世界の人道主義の守り手であり、それ以外の国々は自己利益を追求する強欲な人たちであるかのように主張する。戦争終結までドイツに積極的に協力していたからこそ、戦後になると『ドイツはひどい国だ!』と非難して回るようになった。オランダ人も従僕のようにドイツに協力したため、戦後は『ドイツ人お断り』に転じた。
 韓国人の反日心理
 それと同じ構図で、韓国が抱える問題も韓国人の内面に起因する。つまり、戦後生まれの息子たちと、その父親や祖父たちとの関係であって、外交や二国間交渉で解決できる問題ではない。
 つまり、これは心理的な問題だ。自分たちの恥である祖父の世代の奴隷的な態度を隠したい、忘れたい一心なのである。
 ここに新たな問題の根がある。今日の韓国は、従属的相手を切り替えて中国の従僕になろうとしており、そこに戦略的な問題が出てくる。それは韓国が、アメリカの主導する反中国・封じ込め同盟に参加できないことを意味するからだ。
 この同盟は、日本、オーストラリア、インド、ベトナムによって構成されるインド太平洋地域の戦略的枠組みである。
 米国が構築に努力している新たな同盟関係で、韓国の立場はASEANにおけるカンボジアのそれとよく似ている。ASEANは東南アジア諸国がまとまって中国の影響力に対抗する意味をもつが、カンボジアは中国の従僕なので、その結束を弱めるように動いている。
 中国に忠実なカンボジアは、ASEAN全体が合理的な政治声明を発表しようとしても、そこに反中の臭いをかぎつければ必ず否決に回る。
 ここで紹介してきた60年前のヨーロッパの歴史は、現在の韓国の状況に、2つの点で教訓となっている。第一に、日韓関係は外交問題ではないこと。日本は関係改善のためにあらゆる努力を試みてきたが、問題の本質は日韓の間にはなく、韓国人の世代間ギャップ、つまり現役の世代と、その父や祖父たちとの間に横たわる問題だ。自分たちの祖先が、日本の統治時代に臆病者として行動したことへの反発なのである。
 第二に、非常に残念なことだが、韓国はもはや米国や日本と過去に結んでいた関係には戻らないことが明白になった。彼らに中国に抵抗する意思はなく、一方的に従属しつつある。韓国が米日との同盟関係から離脱すれば、戦略的での悪影響は大きい。
 苦悩に満ちた再評価の義務
 韓国のなかにももちろん、このような中国接近の動きを阻止したいと考える人もいるだろう。それはそれで素晴らしいことである。
 だが、米日からの離反と中国への従属を本当に止めたいなら、韓国人は歴史問題について、フランスがドイツに示したような態度に変わらなければならない。戦争が終わった数年後には、もう『過去を忘れて未来に生きよう』と態度を改めたことだ。
 フランスでは戦時中、実に多くの一般人がドイツの軍需工場で半強制的に働かされていた。
 現在のフランス政府が、このような過去の不幸に遭遇したフランス人に損害賠償するよう、ドイツを非難する声を上げることはない。
 ドイツがフランスに対して実際に行った行為は、日本の朝鮮半島での行いよりもはるかに過酷だった。道を歩いていた人を連行して働かせた。ドイツ人はフランス人を追放し、射殺し、フランス国内から馬車3万両分の財宝を奪っている。小麦から鉱物資源、美術品からトラックまで、ありとあらゆる財産を略奪したのだ。
 しかも、ドイツはフランスで学校を建設するようなことをしなかった。
 一方、日本は朝鮮半島のインフラを整備し、京城帝国大学や多くの学校を作った。
 ところが2019年現在、ドイツに対する公的に損害賠償を要求する人がいれば、フランス国内では変人扱いされるようになっている。
 こうした状況から、実に多くのことが見えてくる。日本の外交官は韓国との関係を改善しようと、ありとあらゆる手を尽くした。両国間の歴史問題を解決するため、彼らは懸命に任務をこなしてきた。とこおが、その努力はすべて無駄だった。
 なぜだろう?それは、韓国側が『苦痛に満ちた再評価』(agonizing reappraisal)をしなければ何も始まらないからだ。これをシンプルな言葉で言い換えれば、『認めたくない自分の姿や立場を直視する』ことだ。これは実に苦しい作業であるが、韓国自身がこのプロセスを開始しなければ、日韓関係は何も変わらないのである。
 韓国は日本人に、歴史の真実と向き合うように要求してきたが、実は歴史を直視しないと問題解決できないのは彼らなのである。
 すなわち韓国人は、まだ生き残っている父たちの世代の記憶や死んだ祖父たちの記録と対話することによって歴史の真実を知り、過去を直視しなければならない。彼らはそこで、ようやく正しい軌道に乗ることができるのだ。
 オランダ人は韓国人と同様に、『苦悩に満ちた再評価』の努力をしなかったため、彼らの心理の奥底に弱さを抱えることになった。表面上は、ドイツ人に対する反発の感情は、30年ほどでオランダ人から消えた。韓国のように、70年以上も騒ぎ立てることはしなかい。
 しかし、ドイツに対する表立った反感は消えても、オランダ人の心のなかにはその問題が熾火(おきび)のように残り続けている。たとえば対独協力者の行動は、いまだに続々と文書記録から発見され、史実であることを裏づけている。
 歴史的事実を直視せよ
 以上の私の分析は、日韓関係とは何の関係もなく、未来に向けていかなる解決策も示していないように思われるかもしれない。しかし私は、ヨーロッパの歴史問題が示唆するように、日本側にも具体的な解決策はあると考えている。
 それは、日本政府は日韓にまつわる近現代の歴史の真実について、真剣に研究する本物の公的プロジェクトに資金を提供することだ。忙しい外交官でも、歴史的な事実が彼らの仕事に大きな影響を及ぼすものであることを知っている。
 その唯一の問題解決策となるのが、調査研究によって、懸案となっている日韓関係史の本当の姿を浮かび上がらせることだ。
 『苦悩に満ちた再評価』のプロセスは実に難しいものだが、オランダでは1960年代後半からようやく始まり、オランダ国内でも、公式見解とは違う歴史観が浮上することになった。
 それは、歴史の事実を示す1つひとつのエピソードが具体的に浮かぶ上がることから始まった。公式見解では『レジスタンスは大規模に行われていた』とされていたが、時が経つほど、それを否定する具体例がどんどん出てきたわけだ。
 ドイツのために働き、ドイツのために盗みを働いたようなケースが研究論文として文章化され、積み上げられた。それが『歴史の重み』となって、従来の政府見解の嘘を覆すようになった。
 韓国においても、こうした対日協力の具体的検証は必要だが、同時に日本側が朝鮮半島の開発や発展にどれだけ大きな貢献をしたかを、事実を積み上げていくことも大事になる。インフラ、経済、教育、司法、実に様々な制度を近代化させたからだ。
 先述したように、日本は朝鮮半島に数多くの教育機関を建設した。ソウル大学の前身は京城帝国大学だったことは、日本でもよく知られている。日本側の貢献や、朝鮮人の対日協力の事実を一つひとつ、記録から明らかにし、それを積み重ねることによって、公式の『抵抗の歴史』の嘘を暴き、韓国人の歴史の真実を直視されることができる。
 朴正煕のケースから始めてもよい。彼は日本の奴隷ではなかった。日本が朝鮮半島の発展に尽くした功績を認めていたからこそ協力した事実を、韓国人は自覚するべきなのである。
 もちろん、単に腐敗していたから日本に協力した者もいるし、強者に従属する心理もあったはずだ。それでも多くの人々は、日本が朝鮮社会を現実に発展させていると信じたからこそ、前向きに協力したのである。
 私はここまで、比較歴史の観点から韓国問題を分析した。もし本稿で提案した歴史調査委員会のとうな組織ができれば、中立の立場の私がその代表に就任してもよい」
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 日本と韓国の関係は、如何様にしようとも、どう工夫しようとも、ドイツとフランスの関係のように理解と和解はありえない。
 不可能である。
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 「日本は歴史的和解をしたドイツとフランスに見習って韓国と和解すべきである」、と真顔で話す人間、特に日本人を信用しない方がいい。
 何故ならそうした日本人は、歴史も世界もそして社会さえも理解する能力がないからである。
 特に、人前に立つような地位・立場・職種にある高学歴出身知的エリートであるならなおさら信用しない方が身の為であり、本心を疑って話を聞いた方が安全である。
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 フランスとドイツは敵国同士として長年戦争を繰り返し、お互いが相手国を侵略し、相手の国民を殺し、相手国の領土を奪って自国領とした。
 ナポレオン戦争ではフランス軍が勝利し、普仏戦争ではドイツが勝利し、第一次世界大戦ではフランスが勝利した。
 第二次世界大戦では、緒戦でドイツ軍が勝利し、最終的にフランス軍が勝利した。
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 死を覚悟して戦わない者、危険を冒さない者、リスクを取らぬ者には、発言権はおろか以下なり権利も例え人権さえも認められない。
 つまり、逃げ回るだけの「負け犬」は軽蔑され差別され迫害されるのが不変の真理であ、自然界の掟である。
 自然に生きるとはそういう事である。
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 韓国・朝鮮が、激しい反日国民情緒を国際世論に訴え、被害者として世界の同情を得て隠したい過去が2つある。
 1つ目は戦前に日本に協力して多少なりとも利益を得ていた事、2つ目は焦土となった敗戦国日本で行った数々の非人道的凶悪犯罪事件である。
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 現代日本護憲派非武装中立派、非暴力無抵抗派、自衛隊反対派、日米安保反対派、人道派、反戦平和市民団体は、戦争をしなかったオランダ人的生き方を理想としている。
 彼らは、侵略してきた外国軍(例えば中国軍)に対して抵抗せず、武器を捨て、友人となって酒を飲みながら談笑すると主張し、子供たちに平和の尊さを戦争の愚かしさを教えている。
 たとえ臆病者、卑怯者、裏切り者、売国奴と非難され辱められ侮辱されようとも勇気を出して「人を殺さない」と、それが彼らの信仰的信念である。
 リベラル派・革新派・エセ保守派そして一部の保守派やメディア関係者、学者・教育関係者など、高学歴出身知的エリート層にそうした人々が多く含まれている。
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 韓国・朝鮮の正統性は、日帝植民地支配・日本統治による悪の時代に対する謝罪と賠償金を日本に強要する事で成立する。
 韓国・朝鮮の正統性は、反日意識という一点にしか存在しない。
 日本と和解し反日意識を捨てたら、唯一絶対にして不動不変・神聖不可侵の正統性の根拠が消えてしまう。
 そして、1965年6月に調印したの日韓基本条約及び請求権協定によって日本政府の経済支援と日本企業の技術支援で経済発展をとげ今日の経済国家を造り上げたという現実を隠す為に、国家間の協定を破棄して徴用工問題などで日本を告発し、謝罪要求と賠償請求を行っている。
 韓国・朝鮮にとって、過去も現在もそして未来においても日本には良い所はなくすべて悪である。
 それ故に、日本に対する謝罪要求と賠償金請求を引き出す告発材料は無限に生産され、なくなる事はない。
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 地政学的に、古代から朝鮮半島は日本の安全保障の要であり、日本列島の喉仏に突き立てられた毒薬が塗られた鋭利な短剣であった。
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 日本国内には、昔から、日本の安全や存続を脅かし、天皇・皇室を消滅させようとする反日外国勢力に味方し協力し利益を得ようとする功利的日本人が少なからず存在する。
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 江戸後期・幕末から明治にかけての弱小国日本は、北の大国ロシアの侵略から母国日本・神国日本を守る為に、清国(中国)と朝鮮とによる三国攻守軍事同盟を望んでいた。
 朝鮮は大国に依存し寄生しながら生きてき為に、弱小国日本からの呼びかけを拒絶し、日本と戦う大国の清国(中国)やロシアに味方した。
 軍国日本は、日本の生存を脅かす敵国に味方し、日本軍を撃破しようとする敵軍に協力する朝鮮を処分する為に、併合して地上から消し去った。
 日本は日本人の犠牲を払い、日清戦争で朝鮮を1000年近い中国の属国から独立させ、日露戦争大韓帝国身分保障と国際的信用を与えていた。
 大韓帝国(朝鮮)は、日本によって外交権を剥奪されているにもかかわらず、日本の目を掠めてハーグ万国平和会議に密使を送って密告外交を展開し、外交・軍事・経済で日本を懲らしめてくれる反日的西洋大国を探し回った。それが、ハーグ密使事件である。
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 日本と朝鮮は戦争をした事がない。
 強いて言えば、豊臣秀吉の唐入り(明国侵攻)の為に朝鮮に派兵した、その一件だけである。
 東アジア史からすれば、周辺異民族による中国侵略・中国征服とは、時代を前に進め、東アジアを統一・発展・進歩させる為に必要な正当な歴史であった。
 つまり、東アジア史から見れば日本には罪はない。
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 朝鮮では、日韓併合や万歳暴動事件以降は平穏であった。
 朝鮮人は大人しく・従順に日本統治を受け入れ、反日抗日の暴力や武力による反抗・抵抗・闘争などの運動を起こさなかった。
 それどころか、朝鮮や朝鮮人は諸手を挙げて賛成し、日本に積極的に協力し、日本以上の日本人になろうとした。
 朝鮮人の、対日積極的協力者は少数派で、多数派は消極的傍観者であった。
 日本人青年は、一等国民の義務として赤紙一枚で戦場に送り出され、虫ケラのように戦闘死・餓死・病死などで無惨に死んでいった。
 朝鮮人青年は、二等国民の不適格者として兵役が免除され、そのかわり日本国内の工場や鉱山で重労働に従事し、賃金と食事を得て働き、朝鮮の貧しい家族に送金していた。
 日本は、民族差別として、生き残れる朝鮮人を死ぬ運命の日本人と同じように扱わなかった。
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 大正・昭和初期における軍国日本の大陸侵攻は、ソ連コミンテルン中国共産党などの共産主義勢力の侵略から日本天皇・日本国・日本民族を守る積極的防衛戦争であった。
 ソ連コミンテルンは、日本人民を圧制者天皇から解放する為に天皇制度を打倒し皇室を消滅させる暴力革命を起こすように、中国共産党日本共産党、隠れマルクス主義者等に命じた。
 ソ連コミンテルンが消滅しても、天皇根絶・日本崩壊は今もなお日本を含む東アジアに亡霊となって存在し徘徊している。
 日本人共産主義者テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリストと同様に昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
 軍国日本・日本軍部は、孤立無援の中で、一人で、孤独に、彼らと死闘を繰り広げていた。
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 軍国日本の積極的祖国防衛戦争の中心点に位置していたのが朝鮮半島である。
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 日本民族日本人と朝鮮人との祖先は、同種同族ではなく別系統のアジア人である。
 異種異族である以上、行動、気持ち、考え方、好みなど全ての面で異なるアタに為に、幾ら話し合っても理解し合う事はない。
 「同じ人間だから心を尽くして話し合えば必ず分かり合える、理解してもらえる」は、嘘である。
 「人は分かり合えない」事は、儒教価値観が支配する中華文明圏の歴史が証明している。
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