🎍6〕7〕─1─倭国、古代国家ヘの道。天皇を犠牲にする天皇下駄論、天皇人身御供(生け贄)説。~No.14No.15No.16No.17No.18No.19 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の歴史は世界の何れの国々とも異なり2種類の特異な歴史を持っていて、一つは考古学に基づく日本人の科学的物語であり、もう一つは日本民族の伝承的神話である。
 日本人の科学的物語は石器時代縄文時代弥生時代であり、日本民族の伝承的神話は古墳時代からである。
 昔の歴史教育は、愛国主義皇国史観で、日本民族の伝承的神話を重視し、日本人の科学的物語を軽視した。
 現代の歴史教育は、日本侮蔑のマルクス主義史観とキリスト教史観で、日本人の科学的物語を教え、日本民族の伝承的神話を切り捨てた。
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 古代史からの歴史的事実として、日本は被害者であり、中国と朝鮮は加害者であった。
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 古代日本は、ヤマト王権、吉備王国、出雲王国、丹波王国、越王国、尾張王国、総王国、毛野王国、豊王国、筑王国、隼人王国、その他、大小数多くの王国が群雄割拠する、激しい戦争はなかったが戦国時代であった。
 古代王国には、多数派である土人(原住民)の民族系と少数派である渡来人の半島系、大陸系の三系統があった。
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 2021年11月11日号 週刊文春「文春図書館
 著者は語る
 文献からひも解く古代国家形成
 『倭国 古代国家ヘの道』 古市晃 著 講談社現代新書
 戦前は神に祖先をもつとされ、いつから始まったのか。誰が最初に王権を成立させ、どのように支配を進めていったのか。『倭国 古代国家への道』の著者・古市晃さんは、神戸大学で教鞭をとる日本史学の教授だ。本書では、文献資料をもとに、日本がいかに形成されたのか丁寧に解説している。
 『「古事記」「日本書紀」(記紀)では、初代神武天皇以来、天皇は一度も途絶えることのない血縁関係によって結ばれていることが強調されています。しかし、記紀の伝承を丁寧に読み込み、中国・南朝の宋の歴史書宋書」の記述と比較すると。5世紀代の、〝倭王〟には複数の系統があり、王族同士が激しく対立していたことが分かります。具体的には、第16代仁徳天皇、第17代履中(りちゅう)天皇に続く仁徳系と、第19代允恭(いんぎょう)天皇から始まる允恭系には血縁関係が存在しなかった可能性が高い。さらに、そのどちらもが男系としては途絶えています。万世一系と呼んでもよい統一された王統が現れるのは、6世紀の継体天皇以降です』
 さらに、記紀の記述からは、彼ら王族とは別の王を名乗る〝周縁〟王族が存在し、朝鮮半島との交易を武器に大きな力をもった〝海人集団〟と密接な関係を築いていたことが分かるという。周縁王族と海人集団は倭王に対して支配・従属関係にありながら時に対立する間柄であった。
 『当時、鉄や高価な織物は朝鮮半島からの輸入に頼っていました。特に、農耕器具や武器には欠かせない鉄をいかに手にするかは、当時の人々にとって大きな関心事だったでしょう。そのため、外洋航海技術をもつ海人集団などの人々が権力を握ることが出来た。彼らと結びついた豪族の中には、〝ホムチワケ王〟など、自ら王を名乗るものも現れました。5世紀の王権はまだ不安定で、支配関係も流動的だったため、彼らのような王族と豪族の境界に位置する曖昧な存在があり得たのでしょう』
 倭王権による〝支配〟を語るとき、6世紀前半から後半にかけての欽明天皇の頃にできた部民制、国造制などの支配制度を以て説明されることが多い。しかし、5世紀にも制度以前の支配があったはずだ、と古市さんは語る。
 『今回の本では、制度化される以前の統治体制として、王宮について検討しました。王宮は王族、そこに仕える人、物資や武器が集まる結節点になります。例えば、大和の長谷({はつせ}現在の奈良県桜井市)の王宮には、王宮に仕える人々がハツセ部という名で列島の各地から集められ、日々の業務を負担していました。長谷の王宮を拠点とする王族たちは、各地の人々をハツセ部として編成し、租税も含めさまざまな負担を課すことで支配を進めていったと考えています』
 王の支配体制を検討するためには、当時の人々の生活を考えることが欠かせない。現存する文献資料が限られる古代史研究の中で、人々の生活をいかに読み解くかを本書は教えてくれる。
 『記紀風土記の中には、この日本列島の中で生きていた人々の伝承が残されています。もちろんフィクションも多いのですが、例えば彼らがいかなる神を信仰していたかを読み解くことによって、当時の生活の一端を見ることができる。書かれたテキストをすべて嘘だと言ってしまうのではなく、虚実をできる限り明らかにしていくことが必要だと思っています』
 同じ日本列島で生きた。古代人たちの息吹きを感じることができる一冊だ。」
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倭国 古代国家への道 (講談社現代新書)
倭国―東アジア世界の中で (中公新書 482)
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 縄文人は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部まで、西は朝鮮半島南部、日本海を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と軽蔑していた。
 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
 数万年続いた日本列島の石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
 日本民族琉球民族アイヌ民族は、縄文人を共通の祖先とする同種・同血族民族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 中国大陸や朝鮮半島から日本列島に移住してきた弥生系渡来人とは、知力と体力を持った勇気がある優れた賢い先駆けの冒険者や開拓者ではなく、その真逆で、生存競争の戦争や権力闘争の政争に負けて逃げ出し流れ着いた・漂着した惨めで哀れな敗者・弱者であった。
 原始人・古代人は、生きるに最適な豊潤かな土地で安定した地域を捨てて、死ぬかもしれない荒れ果てた不毛で過酷な土地に移住する事はない。
 人類が母なる大地アフリカを捨て世界中に移住したのは、アフリカが生存に適さないほどに荒れ果てたからである。
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 ヤマト王国・ヤマト王権ヤマト大王は、弥生の大乱における流血の中から生まれた。
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 天皇の祭祀と邪馬台国卑弥呼の鬼道は違う。
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 弥生時代中頃に奈良地域の古代豪族達が集まってヤマト王国をつくり、弥生時代の終わり頃に古代豪族の中からヤマト大王が生まれ、古墳時代初期に奈良の周辺を版図とするヤマト王権が形成され吉備・出雲・その他の古代王国を全て支配下に組み伏せ、古墳時代の後半には対立して不安定だったヤマト大王位が一系に定まり、「天皇下駄論(下駄を預ける)」「天皇人身御供(生け贄)説」が成立し、中国大陸や朝鮮半島に対抗する為に日本統一に乗り出した。
 日本民族は、日本国の為に天皇・皇族を犠牲にした。
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 古代日本は、中華帝国に次ぐ中程度の軍事国家であり、朝鮮半島南部の「任那任那日本府)」を防衛する為に半島へ派兵し百済・古新羅高句麗と戦争を繰り返していた。
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 弥生時代に自然発生的寄合で人為的に生まれた古代豪族和合体制・倭国の始動期は意見のまとまりが悪く混乱続きであったが、古墳時代に中国の中華帝国朝鮮半島諸王国からの侵略に危機感を強める事で混乱は解消し、建国神話として最高神の女性神天照大神からの血筋・血統を唯一の正統とする天孫降臨神話=高天原神話が創作された。
 民族中心神話に基づく、最高神の女性神天照大神からの一筋の直系血統は神聖不可侵とされ、不変不動の絶対価値とされた。
 民族中心神話は、ヤマト大王=日本天皇の正統性を証明し、その他の古代有力豪族をも神話の中に出てくる諸神の子孫として結び付けて存在の正当性を明らかにした。
 ヤマト大王=日本天皇も古代有力豪族も、民族中心神話に出てくる祖先を神として氏神神社に祀り崇拝した。
 その意味において、日本民族は神(祖先神)の子孫である。
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 日本に帰化した外国人も、祖先は日本の人神の一柱と認められ、上下関係なく平等に、独自の氏神社を建ててそこで祖先を神として祀った。
 信教は強制さらず、祖先を氏神として崇拝するのは個人の自由であった。
 祖先─自分─子孫、それが日本民族の生命観・死生観・人生観、世界観であった。
 天皇を拒否し、天皇に忠誠を誓わなかった渡来人は異邦人として認められなかった。
 平安時代初期に、関東では半島系渡来人による反天皇反日本の暴動・反乱が起きていた。
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 古事記日本書紀は、倭国が日本国は中華帝国朝鮮半島諸王国とは別の自主独立国であり、日本天皇は中華皇帝や朝鮮半島諸国王とは違う正統を保持した統治者である事を証明する為に編纂された。
 つまり、古事記日本書紀とは、中華世界を拒否する、中華帝国とは決別する、漢族系中国人ではない、という日本天皇・日本国・日本民族の独立宣言である。
 その為には、都合の悪い事実は書かず、意図的な嘘の話や虚偽の記述を数多く盛り込んでいる。
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 歴史は全の真実を曝け出していない。
 事実、現代日本で広く知られている歴史にさえ嘘もあれば、改竄・歪曲・捏造が山ほどある。
 例えば、中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易、ロシアの日本侵略に対する徳川幕府による約4,000人の防衛派兵、シベリア出兵時の日本陸軍による人道貢献、昭和天皇A級戦犯による人道貢献と平和貢献、インパール作戦同時期で起きていた約300万人が餓死したベンガル飢餓、その他、が歴史教科書から抹消されている。
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 中華皇帝は天・天帝から統治権・支配権を与えられた軍事的勝利者であり、朝鮮半島諸国王は中華皇帝に認められた軍事的勝利者であった。
 軍事的勝利者は時代と共に衰退し敗者となって滅びるや、戦火における大虐殺を経て、漢族・異民族に関係なく別姓の新たな軍事的勝利者が天・天帝から統治権・支配権を与えられる。
 それが、儒教易姓革命における王朝交替という血の生け贄を捧げる放伐禅譲である。
 東アジア史とは、地獄のような戦争と流血の悲惨な歴史である、故に怪しい光沢を放って人々を魅了し惹き付けている。
 その代表が、孫子、秦の始皇帝項羽と劉邦三国志劉備曹操諸葛孔明と司馬仲達、モンゴルのジンギスカン永楽帝孫文蒋介石毛沢東などである。
 数百年・数世代にわたる激しい戦乱・内戦で、総人口の半分以上が虐殺・犠牲になった時代も幾度も起きていた。
 日本人は、「論語読みの論語知らず」で本当の儒教を知らない。
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 ヤマト大王ヤマト王権・ヤマト王国は、原住民の縄文人と弥生系渡来人が乱婚し生まれた混血人で、弥生の大乱が収束しながら生まれ出た。
 つまり、中国大陸の異民族がヤマトを侵略して樹立した征服王朝ではなく、もしそうならば弥生人によって滅ぼされている。
 奈良のヤマトの軍事的古代部族で、原始ローマ国のように強力な軍隊で周辺の部族を討ち滅ぼして勢力を拡大し、ついには日本全土を巨大な軍事力で統一したわけでもなく、もし軍事力で征服したのであれば、新たに強大な軍事力を持った台頭してきた古代部族、あるいは中華帝国は半島王国の軍事支援を受けた古代部族によって滅ぼされている。
 歴史の事実からして、軍事力を正統性とする帝国・王国・部族は、新興勢力の軍事力で滅ぼされる。
 古代ローマ帝国中華帝国も、最後は異民族の軍事力や国内の新たな信仰宗教によって滅ぼされた。
 つまり、ヤマト大王ヤマト王権・ヤマト王国=日本天皇・日本国の正統性は、軍事・経済・信仰宗教・イデオロギーではなかった。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行が草薙剣を盗んで新羅に逃げるが捕まる。
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 668年~780年 新羅朝貢の為の日本に遣新羅使を派遣し、遣日本使が30回以上。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および894年 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗連合軍による日本侵略。
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 1419年 応永の外寇李氏朝鮮軍による対馬侵略。

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