👪28〕─3─戦争の男性原理を壊す女子兵士。男は猿から多くの弱点を受け継いでいる。〜No.137No.138 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 最近の戦争・戦闘・格闘技もののアニメ・マンガ・映画で、戦う主役が大人男性から女性や子供モノが増えている、たとえ大人男性が主役でも戦う女性や子供が助ける物語が増えている。
 つまり、戦う女性や子供が増える事で、女性や子供が社会的弱者ではない事が認識され始めている。
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 2022年4月23日号 週刊現代「今日のミトロジー  中沢新一
 戦闘女子
 セラフィマまで
 甲冑に身を固めたジャンヌ・ダルクから、ナウシカや超合金戦闘スーツをまとった綾波レイをへて、スターリングラード攻防戦の狙撃手セラフィマ(*)にいたるまで、戦闘する女子のイメージは、ファンタジーの中で息の長い生命力を保ち続けている。それはこのイメージが、私たちの無意識に深く根を下ろしているからである。
 (*)逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』
 これをこれまで男性が独占してきた活動領域に、女性が対等な立場で進出してきたことの証という程度のものとみるならば、私たちは戦闘女子というイメージの価値を、低く見積もっていることになる。このイメージは、人間の無意識にセットされた、重要な原型を示しているのだ。
 この原型は、戦闘女子のイメージをとおして、男性原理によらない戦争というものの可能性を思考しようとしている。人間はこのままで、戦争と男性性をほぼ一体のものとみなしてきた。男たちが武装して、共同体の女性や子供たちや年寄りを守るために、敵と戦うのである。重い武器を担いで、長距離を移動したり、ごつい機械を操作したり、敵と直に遭遇したときには筋力をフルに駆使して格闘する。そういうことができるのは、体力に勝っている男性にかぎる、というのが、戦争と男性性を一体と考えてきた常識の根拠である。
 男性によらない戦争
 しかし、人間の無意識はもういっぽうで、戦争と男性性はもともと別物で、男性原理によらない戦争の可能性なのではないか、とも密かに思考してきた。男性が中心となって社会や国家はつくられ、そのおおもとになる権力を、長らく独占してきた。この歴史的過程の中で、国家や社会の権力は『戦争』という別原理の活動領域を、細胞中のミトコンドリアのように、自分の内部に組み込んできたのである。
 権力は世界に秩序を与えて、固い組織をつくろうとする。それにたいして戦争は、できあがった秩序を壊して、ものごとを流動化させることをめざす原理にもとづく。そして、戦争の帰趨(きすう)がはっきりしたところで、勝ったほうの権力が新しい秩序をつくる。こうして戦争は権力に呑み込まれ、長いこと一体になってきた。そのために、もともと権力とは違う原理を持つはずの戦争までが、男性性と一つのものであると、信じられてきた。
 ところが、人間は無意識の中で、男性的権力と戦争の原理は別物ではないか、と感づいていた。男性の権力に組み込まれていない状態の、純粋な戦争の原理を考えることが可能なのではないか。そこで生まれてきたのが、女性戦士のイメージである。筋力の不足は技術や鍛錬によって補うことができる。兵器の扱いや乗り物の操縦なら、むしろ女性のほうが上手かもしれない。すばやい身ごなし、機敏な頭脳に関しては、男女の間に大きな違いはない。
 こうして、まずファンタジーの世界で、戦闘する女子の活動する物語が生まれた。男性=権力=戦争という三位一体が壊れ、戦闘女子のイメージが、新しい生命観と新鮮なエロティシズムを放ちながら、ファンタジーの世界に華々しい浮上をとげている。
 ファンタジーの世界に起きていることは、遠くない未来にかならずや、現実のものとなる。世界の秩序を揺るがして流動化する戦争の原理は、いずれ男性性の支配から解き放たれるときがくるだろう。男性性によらない戦争の現実は、戦争と平和の概念を、根本から変えていくだろう。戦闘女子のイメージは、その日に向けたイメージトレーニングを、準備しているのである。
 同志少女の撃つべき敵
 男性性と戦争の結合が生む、もっとも由々しき現実は、性暴力の問題である。戦争は平常的の秩序が一時的に無効になる時間をつくりだすので、その間、社会ルールが働かなくなる空白が生ずる。市民の暮らす空間に兵士が入り込んでくるとき、市民への暴力行為に及ぶことがあり、その最中に女性にたいする性暴力が発生しやすい。
 戦争と男性性が切り離されるとき、このような戦時下における暴力の性格には、大きな変化が起こるに違いない。戦闘女子が男女の市民にたいして性的な暴力を振るまうという事態は、考えにくいからである。人類の男性は、猿から受け継いだ多くの弱点を持つ動物である。グループ内での順位への強い関心や、優位性を演ずるためのマウンティング体質、他者を服従させようとする欲望、弱いものいじめなど、こうした猿以来の体質が合わさって、人間の権力欲が生まれている。こうして男性的特質w、ファンタジー中の戦闘女子の多くは、心から嫌悪している。
 男性性のくびきから自由になった戦争の原理は、行き詰まった現実の秩序を蘇らせるため、創造的破壊行為として、新しい意味づけを持つことになるだろう。戦闘女子のファンタジーは、人間の無意識の中で眠り込まされてきた、この純粋戦争の原理を呼び覚まそうとしている。『戦争を消滅させるためには戦争によらなければならない』(レーニン)は、戦争から男性性を切り離すための別の戦争によって、これまでの戦争そのものが終わるという認識を示していると理解するとき、はじめてまともな意味を持つようになる。同志少女が撃ち抜こうとしていたのは、まさにそこである。」
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 2022年5月6日・13日号 週刊ポスト「情報戦争の見方
 池上彰氏が現地取材ジャーナリスト水谷竹秀氏と緊急対談
 『ウクライナは分断され、第2の朝鮮半島と化す』
 ロシアによるウクライナ侵攻は、日々、双方が戦況について異なる発表をするため、実態が摑みにくい。私たちはどのように情報に接すればいいのだろうか。池上彰氏と、現地で取材を続ける水谷竹秀氏がリモートで緊急対談した。
 『このままではメディアが戦争代理店になってしまう』(水谷氏)
 『ウクライナは自分たちに有利な報道をしてもらいたい思惑がある』(池上氏)
 頭部がない女性の遺体
 ……
 志願した女子大生兵士
 池上 21世紀になってヨーロッパの主権国家に他国の軍隊が攻め込むなんてあり得ないと誰もが思っていました。戦車戦で戦車が大量に破壊されるなんて、20世紀前半の戦争ですよ。ウクライナ戦争は明らかに21世紀の戦争です。
 水谷 それはものすごく感じています。戦争勃発後、ウクライナの被害者の遺体写真が情報源も不明なまま、即座にSNSで拡散されました。ウクライナ軍の死者についてゼレンスキーは3,000人とするが、ロシアは2万人と言う。双方の主張に隔たりがありすぎて、どの情報を信用していいのかわかりません。情報戦が過激化するなかで僕ができることは、ひとつひとつの証言の裏取りを重ねていくことだけです。
 池上 ただし地道に証拠を積み上げるようなルポよりも刺激的で衝撃的な内容が好まれるのが、戦争報道の一番のジレンマです。そんななか、水谷さんは工夫をして、
地域防衛隊に志願した女子大生兵士というキャッチーな話題も取材していますね。こういうルポなら日本の読者も興味を持つはずです(『FRIDAY』4月22日号)。
 水谷 男性が志願するのはなんとかわかるんです。でも女子大生が地域防衛隊に志願したり、一般女性が訓練所でカラシニコフの使用法を学んだりするのは、どういう気持ちなのか興味が在りました。
 池上 ルポを読むと、女性での本当に故郷を守りたいんだという切迫感がつたわってきました。
 水谷ただし、本音は異なる部分もあるんです。長く一緒にいて打ち解けたコーディネーターに『いざという時は武器を持って戦うのか』と尋ねると、しばらく悩んでから『戦うしかない』と言葉を絞り出しました。その一方で彼は、『正直に言うと、人を殺すことは望んでいない』とも打ち明けてくました。
 池上 重い言葉です。
 水谷 今回の戦争が始まってから、18~60歳のウクライナ人男性の出国を禁じる大統領令が出ましたが、実際に国境付近で賄賂を払って国外に出る男性もいるので、『○○は裏切り者だ』と非難されます。でもコーディネーターは、『恐怖心から保身に回って、逃げる奴の気持ちもわかる』とも言いました。これが戦場における葛藤であり、単に白か黒かでは分けられないはずです。
 池上 何かあれば武器を持つけれど、本音では人を殺したくないというのが、まさに人間の本心です。
 水谷 時間をかけて人間関係を築くことで、初めて聞くことができる答えがあると思います。
 池上 まったくその通りです。私はテレビの仕事を長くしていますが、テレビは『ここが爆撃されました』と戦闘報告をして住民にマイクを向ければ取材が終わります……」
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 日本のアニメでも少年だけではなく少女や女性が主人公として戦争に参加し、敵を倒す物語が増えている。
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 武器の改良で、戦争は男性だけではなく女性も子供の参加する事になった。
 つまり、戦場で、戦闘で、男は女性や子供を守る義務から解放されつつある。
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 2022年5月号 WiLL「たたかうエピクロス 古田博司
 『ジェンダー』とは女性快楽主義者の墓標であった
 『ジェンダー』とは性別否定辞
 ……
 ヴェイユまでジェンダーする気?
 とすれば、シモーヌ・ヴェイユのこんなのも、ジェンダー論者には禁句になってしまう。
 『野心は主として女性のものである。男性は海や大地や金属やその他の相手に戦うすべを知っているか否かによって評価されるが、女性はひとに気に入られる度合いによって評価される。これには法則も節度もない。子供たちが一番であることを欲するのは、かならず母親である』(『カイエ』1、みすず書房、1998年、112頁)。
 だが、これは結構当たっているのだ。男は大地や金属や料理や骨董品とも、戦ってしまう。つあり戦っていることを評価されたいがために、人と競い合う過程で凝りに凝ってしまうのである。
 ……
 少し前、男と女とどちらが嫉妬がひどいか、という議論が巷間であった。私は言わせれば、男の方が嫉妬深いに決まっている。互いに日々、会社や職場で戦い競い合っているからだ。産経新聞社、某女史いわく、『男族って本当に嫉妬深い。女族はあんなことないわよ』。それには、次にこう続けられた。『先生の教え子でうちの男性記者たちって、ホント、ゴマすりがひどいわよ』。そこで、教え子のS君たちに問いただすと、『先生ねぇ、ゴマすりも競争なんですよ』と、応じたので、『ゴマすりがうまいやつまで嫉妬されるのか』と、私は心底あきれた。『嫉妬のひどさ』は、男性の社会的表象である。
 男たちは何も気づかなかった
 ……」
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戦争は女の顔をしていない 2 (単行本コミックス)
同志少女よ、敵を撃て
戦争は女の顔をしていない 3 (単行本コミックス)
戦争は女の顔をしていない 1 (単行本コミックス)
戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)
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 女性兵士や子供兵士は、昔では考えられなかったが、これからは当たり前になっていく。
 戦争に参加する女性兵士や子供兵士の話が増え、事実、ウクライナ戦争においても女性狙撃手の話が英雄談として広まっている。
 その延長上に、女性の国王・皇帝、大統領・首相がある。
 そして、兵士・戦士となった彼女らから女性特有の笑顔は消えていく。
 女性は平和的反戦的、男性好戦的闘争的、はウソである。
 男が戦争を始めて、女性や子供被害を受ける、は半分正しく・半分間違っている。
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