👪55〕─1─「夫婦のはじまり」は440万年前まえの初期猿人。『「顔」の進化』。~No.163No.164No.165 

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 現代日本の夫婦像と日本民族の夫婦像は違う。
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 2023年11月26日6:48 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「夫婦のはじまり」は初期猿人…!メスに受け入れられるために、440万年前からオスは「特定の相手に頻繁にプレゼント」していた
 1974年11月に発見されたアファール猿人「ルーシー」が発見により、人類学上は大きな進歩を遂げました。人類学者で、国立科学博物館主任研究官、人類研究部長だった馬場悠男さん(現在、国立科学博物館名誉研究員)は、このルーシーを復元し、同博物館の重要展示物となっています。
 【画像】アファール猿人「ルーシー」化石しかないのに、どう復元したのか
 今回は、このルーシーを含む猿人を中心に、人類の進化を見ていきたいと思います。私たちホモ・サピエンスの特徴の萌芽が見えてきます。
 *本記事は、『「顔」の進化 あなたの顔はどこからきたのか』の内容を、再編種・再構成してお届けします。
 チンパンジーと分かれてからの5段階
 人類進化の5段階。学名に「ホモ」という属名がつく原人・旧人・新人をまとめて「ホモ属人類」と呼び、3段階とすることもある
 我々の祖先は、アフリカで誕生して以来、環境の変動に適応して、身体をさまざまに進化させてきた。その歴史ドラマのなかで、顔はつねに主役か、重要な脇役を演じてきた。それは顔が、ヒトに「人間らしさ」をもたらすさまざまな特徴の大部分に密接にかかわっているからである。最もヒトらしい特徴とされる直立二足歩行さえ、顔と無関係ではない。
 大型類人猿のうちで、ヒトに最も近縁なのはチンパンジーである。形態分析、血清タンパクの分析、あるいは最新のDNAの分析からもはっきりとしている(DNAのヒトとの違いは2%以下)。そして、チンパンジーとヒトの共通祖先から我々ヒトに進化した。この進化の道のりはかなり複雑だが、大筋では以下のような5段階の理解でよいだろう。
・■第1段階「初期猿人」
 700万~600万年前にアフリカで誕生。短距離なら地上を二足歩行できた。森や疎林で主に果物を食べ、把握性のある手と足で木登りをする
・■第2段階「猿人」
 400万年ほど前に出現。直立二足歩行が発達して草原にも進出。主に乾燥した硬い植物を食べるようになった。ただし疎林にも依存していた。
・■第3段階「原人」
 200万年ほど前のアフリカで誕生。脚も長くなり直立二足歩行が完成。疎林から離れ、草原に拡がった。道具を使い、一部は火も使い、肉を含む多様な食物を食べ、やがて180万年ほど前からユーラシアに拡散。
・■第4段階「旧人
 やはりアフリカで70万年ほど前に出現し、判断力や生活技術を向上させ、再びユーラシアへ拡がった。
・■第5段階「新人」(ホモ・サピエンス)
 20万年ほど前にアフリカで誕生。創意工夫のある戦略的な頭脳を活用して、6万年ほど前から世界中に拡散。
 段階を踏むごとに培われた「人間らしさ」
 人間らしさの発達
 ヒトがほかの哺乳類あるいは霊長類と違う点、つまり"人間らしさ"と呼ぶべき特徴は数多くあるが、その中で代表的なものは、直立二足歩行の発達、手の母指対向把握能力(親指をほかの指と向かい合わせて物を握ること)の発達、咀嚼器官の変化、大脳の拡大、そして寿命の延長とされている。
 人類進化の早い時期に獲得された直立二足歩行は、移動能力を向上させて新しい環境への進出を可能にしただけでなく、自由になった手は母指対向把握能力を発達させた。
 その結果、物を運び、道具を使うことで大脳の発達がもたらされた。二足歩行が顔の変化と無関係でないのは、行動範囲が広がって多様化した食物を咀嚼するために歯や顎が拡大(あるいは縮小)したこと、また、結果として大きくなった脳を収めるために、頭の大きさや形状が変化したためである。
 大脳の拡大は、道具の使用や言語の発達など"人間らしさ"のきわみとしての文化の発達につながった。そして、寿命の延長は、大脳の発達とほぼ比例する。
 咀嚼器官は、我々ではすでに退化しているが、猿人で小臼歯と大臼歯が大きくなるなど、部分的に拡大し、原人以降では歯全体が退縮した。これらの変化は、人類が異なる環境に暮らしの場を広げていった際に食物の質が変わり、それに歯と顎が適応したからだ。犬歯は、本来は咀嚼器官だが、霊長類では攻撃の道具となり、暴力性、すなわち社会の構築と関係する。
 では、そうした脳の容積や口部といった顔の変化と進化の関係が、5段階のなかでどう現れているのかをみてみよう。
 「夫婦関係」は初期猿人からはじまった
 ボノボ。彼らはもめごとやストレスを摂食で癒す傾向がある photo by gettyimages
 440万年前のアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)では、手足は類人猿のように把握する機能を持ち、骨盤は腰を伸ばせるようになったため、頻繁に直立二本歩行をしていた。身長120cm、体重40kgほどの身体のわりには、顎も歯も小さかったので、森の中で比較的軟らかい果物を主食としていたことがわかる。
 だが、注目すべきは、より古い時代の初期猿人ではチンパンジーのように大きかった犬歯が小さくなっている。また、オスとメスの身体はほぼ同じ大きさだった。雌雄で身体の大きさが変わらないこと、犬歯が小さいことは、なにを意味するのだろうか。
 この問題は、現生の霊長類の暮らしがヒントになる。チンパンジーでは、オスはメスより身体が大きく、力も非常に強い。争いで勝ったオスがメスを独占する傾向がある。メスにはオスを選択する自由がほとんどない。しかし、同じチンパンジー属のボノボは、チンパンジーに比べるとオスとメスの体の違いが少なく、オスどうしの争いも少ない。さらには、もめごとやストレスを接触で癒したりする。
 つまり、争いによるエネルギーの消費を避けているといえるが、おそらくはラミダスの祖先も、暴力性を減少させるという賢明な社会組織を選択したのだろう。
 では、ラミダスのオスは、どのようにメスにアピールし、受け入れてもらっていたのだろうか。ラミダスの化石を研究したケント大学のオーエン・ラヴジョイ教授によると、ラミダスのオスは直立二足歩行によって自由になった手で大きな食物を運んできて、特定のメスに頻繁にプレゼントしたのであろうという。正式には「食物供給仮説」という。
 メスは食物をくれるオスを頻繁に性的に受け入れ、オスはメスが育てる子どもを自分の子どもだと信じることになる。つまり、優しくて稼ぎのよいオスがメスに選ばれるという古今東西を問わないシステムが始動したらしい。まさに「夫婦のはじまり」ともいえよう。
 草原への進出に対する2つの対処法
 アファール猿人の頭骨模型(左上、復元・ 国立科学博物館所蔵/筆者写す)と復元イラスト(石井礼子画)
 直立二足歩行を発達させて草原に進出すると、硬く乾燥した食物を食べざるを得ないようになった。約250万年前になると、アフリカ全体が徐々に乾燥して、草原での暮らしはさらに厳しさを増していく。
 そうした環境に適応するために、猿人たちは彼らの伝統的方法である咀嚼器官の発達で適応しようとした。
 約400万年前にラミダス猿人から進化したアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)は、犬歯が初期猿人のラミダス猿人よりさらに小さくなり、もはや攻撃どころか脅しの道具としても役に立たなくなったが、草原の硬い乾燥した食物を噛み砕くために、小臼歯と大臼歯は大きくなり、磨耗を減らすためにエナメル質が厚くなった。その結果、歯列全体が前後に長くなり、口が前方に大きく突出するようになった。
 175万年前ころに生息していたパラントロプス・ボイセイにいたっては、頑丈型猿人とよばれ、顔の大きさと頑丈さはゴリラ並みだった。
 噛む力を増すため、小臼歯と大臼歯がさらに巨大になった。頭全体を覆うまでに拡大した側頭筋は、一方が頭頂骨の正中にまで達し、その付着部には矢状隆起と呼ばれるツイタテができた。もう一方の付着部である頬骨と頬骨弓は横に広がり前方にも出っ張ったため、顔の上半部は皿のように窪んだ形となった。
 軟らかい食べ物を「うまいこと」手に入れた一群
 アジアのホモ・エレクトス北京原人の頭骨(左上)と、復元画(右:石井礼子画)
 そうした環境に変化に対し、石器や木の棒などを使って、多様な軟らかい食物をうまく手に入れようとした一団がいた。原人となるグループである。180万年前の原人、ホモ・エレクトス(アフリカではホモ・エルガスターとも)は、本格的に石器を使い、積極的に狩りもしていたと考えられる。歯と顎の大きさも小さくなった。
 咀嚼器官の発達で困難を打開しようとした猿人は、脳の容積はわずかしか増加しなかった(アファール猿人で300~400mlほど、パラントロプス・ボイセイでは他の猿人より大きくなったが、それでも500mlほど)。しかし、様々な工夫を試みた原人では、上記のホモ・エレクトスでいえば、750~900mlにも増大した。
 また、原人になると、鼻骨がやや隆起していることから、鼻尖や鼻翼を形成する鼻軟骨はかなり盛り上がって鼻の孔もほぼ下を向いた、人間らしい鼻が成長しはじめたことがわかる。眼瞼裂は大きくなり、虹彩周囲の白眼の着色が薄れて白眼が見え、人間らしさが感じられるようになったことだろう。唇(赤唇縁)もかなり発達していたはずだ。
 おそらく、汗をかくために体毛は疎らになったが、頭髪だけは密に残っていたはずだ。汗をかくことで体温を下げ、昼間の暑い草原でも長距離の歩行が可能になっただろう。
 ただし、まだチンパンジーなどにみられる眼窩上隆起が発達し、額は傾いてわずかしか隆起していないことから、額から落ちてくる汗を防ぐための眉毛は、まだまばらだっただろう(チンパンジーの眼窩上隆起と眉毛の関係は以前の記事「イヌに聞いた「ここがヘンだよ、ヒトの顔」…顔で恋するなんて、はしたない!?」を参照)。また、口の機能や役割といった面では、"ヒトらしい"行い、つまり言語発声は不可能だった。
 じつは、咀嚼器官の退縮が言語発声をもたらした!?
 チンパンジーとヒトの喉頭の位置。ヒトでは、咽頭と口頭の位置関係が縦に大きく、口蓋(軟口蓋)から喉頭蓋までの長さが広い illustration by gettyimages
 サル的なイメージの弱まった原人ホモ・エレクトスの顔だが、それでも、我々に比べれば大きく突出していた歯列は、頸椎との間が広く、口腔は奥に広い。このことから、喉頭は口腔のすぐ後ろ(背側)に続く咽頭上部に収まっていたため、喉頭の位置が低い我々のように、言葉を喋ることはまだできなかったと思われる。
 しかし、約70万年前に原人から進化した旧人に属するホモ・ハイデルベルゲンシスでは、歯列と頸椎の間のスペースが狭くなり、喉頭が収まりきれなくなって、頸(くび)の中程に下がっていたと推測される。 つまり、我々のように言葉をしゃべることができただろう。
 ホモ・ハイデルベルゲンシスは、外見上の特徴も、原人と共通する部分がまだわずかに残存するものの、脳の容積は1300ml程度と、現代人よりやや少ない程度にまでになった。彼らは、ユーラシアへ進出し、中国のダーリー人やマバ人、ヨーロッパのネアンデルタール人へと進化していった。
 世界進出を果たしたホモ・サピエンス
 新人になると、サピエンスに特徴的なオトガイが見られるようになった
 そして、20万年前のアフリカで、新人ホモ・サピエンスが誕生した。用途によって違った石器を作り、火を活用するような文化的な発達によって暮らしを維持することができた彼らは、身体や咀嚼器官がいっそう華奢になった。
 たとえば、16万年前のホモ・サピエンス・イダルツの顔は、旧人と比べると歯と顎が縮小し、口が引っ込んでいた。また、イスラエルで発見された10万年前のカフゼー人の骨を見ると、下顎底部が拡大し、オトガイが突出しているのがわかる。オトガイは、サピエンスのみに見られる特徴で、うつむいたときに頸の中ほどに下がった喉頭を圧迫しないための構造と解釈できる。
 顔全体が退縮したので、鼻腔が顔の中に収まりきれなくなって、鼻がやや隆起するようになった。眼窩上隆起は目立たなくなり、唇もできて、顔の各パーツは我々と事実上変わりなくなった。脳の容積も、現代人とほぼ同じ、1400mlに拡大している。チンパンジーと同じくらい(300~500ml)だった初期猿人・猿人の大脳は、原人から旧人をへて新人になるまでのわずか200万年間で3倍ほどになったのだ。
 そして、彼らは、アフリカ大陸を出てユラーラシア大陸に渡り、やがてその優れた創造的かつ戦略的な論理能力を駆使し、海洋さえも開拓し、全世界へ進出していったのである。そして、この日本列島にもやってきたのは、3万8000年ほど前のことである。この日本列島で、ヒトの顔がどのように変化していったか、私たち日本人の顔にも興味深い歴史が刻まれている。

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 「顔」の進化 あなたの顔はどこからきたのか

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 馬場 悠男(国立科学博物館名誉研究員)
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 11月24日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「見たことなくても、一目でわかる…!博物館の「リアル古代人像」。じつは、研究者にとって「きわめて怖いこと」だった
 馬場 悠男国立科学博物館名誉研究員
 1974年11月24日のことです。東アフリカ・エチオピアの北東部の、アワッシュ川流域にあるハダールという村の近くで、のちに「ルーシー」名付けられる猿人の化石が発見されました。
 フランスの地質学者モーリス・タイーブを中心とした国際合同調査隊は、人類の起源に関わる化石や証拠を求めて、1973年秋からハダール村付近を調査していました。翌1974年の秋、すでに何度か調査していた谷川の底を観察していた時、上腕骨の断片を発見しました。
 続いて、その近くには後頭部、さらに大腿骨の一部、椎骨、骨盤、肋骨、顎骨など、いずれも破片になっていたものの、なんと、全身の約40%にあたる骨がまとまって発見したのです。調査隊は、この奇跡的な発見に、喜びに湧き、大騒ぎとなりました。
 その騒ぎの中で、繰り返しテープレコーダーから流れていたビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」から、この化石の主を「ルーシー」と、呼ばれるようになったそうです。その後の研究で、発見された化石は、当時アウストラロピテクス属とヒト属の共通の祖先とみなされていたアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の化石であることが判明しました。
 【写真】発見された「ルーシー」の化石発見された「ルーシー」の化石 photo by gettyimages
 エチオピアはおろか、世界中がこのルーシーの発見に湧きましたが、現在も人類学の象徴的な存在となっています。日本でも国立科学博物館のマスコット・キャラクターとなり、女性の大先輩であることから、女子中高生向けのイベントなどでも活躍しました。
 このキャラクターのモデルとなったのが、「化石人骨の復元模型・ルーシー(地球館地下2階に展示)」でしたが、このルーシーをはじめ、原人、旧人の復元像の制作を監修したのが、人類学者で、国立科学博物館主任研究官、人類研究部長だった馬場悠男さん(現在、国立科学博物館名誉研究員)です。「顔から人類の進化を読み解く」ユニークな人類学の名著『「顔」の進化』を著書に持つ馬場さんに、古代人類の復元の様子を解説してもらいました。
 【書影】「顔」の進化
 *本記事は、『「顔」の進化 あなたの顔はどこからきたのか』の内容を、再編種・再構成してお届けします。
 証拠だけでは復元できない
 誰も見たことのない化石人類の姿を復元するのは、簡単ではない。しかし、解剖学や法医学の知識によって化石人骨を分析すれば、年齢・性別・体格がわかり、顔立ちも復元できる。さらに、人類学の知識によって、骨からだけではわからない顔の表面の特徴が推定でき、考古学の知識によって、生活の様子も推定できる。なお、最近では、古人骨DNAのゲノム解析から、人種、身長、肌や眼の色、ソバカスの多さ、特定の病気にかかりやすいかどうかまで推定できるようになっている。
 ただし、証拠を集めて理屈をこね回しているだけでは、展示物にはならない。実際に目に見える形に復元された展示にするためには、彫塑やメイクアップをする芸術家としての腕前と想像力が必要となる。
 【写真】米・テキサスのヒューストン博物館での「ルーシー」復元骨格・復元像の展示 地球館「人類の進化」コーナーの復元像
 およそ700万年前に誕生した人類がさまざまな環境に適応しながら、身体特徴と生活能力を
 発展させてきた様子を一見して理解してもらえるように、猿人・原人・旧人の骨格復元と生体復元をつくって展示することになった。ちなみに、展示を計画した2000年には、初期猿人アルディピテクス・ラミダスの研究は発表されていなかった。
 まず、復元のもとになる資料として、化石骨の保存がよく、しかも人類進化の各段階を代表する個体骨格を選んだ。それは、以下の3体である。
 エチオピアから出土した320万年前のアファール猿人女性(若い)。通称「ルーシー」。
 ケニアから出土した160万年前の原人少年(9歳か10歳)。通称「トゥルカナ・ボーイ」。
 フランスから出土した7万年前の旧人男性(ネアンデルタール人、中年)。通称「ラ・フェラシー」。
 【表】人種による身体的特徴の違い人種による身体的特徴の違い
 次に、彼らがどのような状況におかれているとするか、以下のように場面設定をした。
 〈突然、タイムマシンに乗せられて現代に連れて来られ、来館者たちに出会ったときにどのように反応するか〉
 それは、彼らが進化の状態や棲む環境によって異なる属性を持ち(表「人種による身体的特徴の違い」)、年齢や性別、あるいは知能や感情によって異なる反応をすることが予測できるからだ。
 復元像「ルーシー」のディテール設定
 猿人では男女のサイズが違い、男性は1.5mほどあるのに対して女性は1.2mほどしか
ないが、ルーシーはとくに小さく、1.1mほどだった。顔はチンパンジーと似て、脚が短く、ウエストがないので、お世辞にもスタイルがよいとは言えそうもない。
 【写真】ルーシーの復元像ルーシーの復元(国立科学博物館所蔵/筆者写す)
 判断力はチンパンジーと同じ程度なので、来館者を見て驚いて、涙を浮かべ、鼻水を流している。
 鼻はチンパンジーと同じように外鼻の軟骨も隆起していないと思われる。眉や唇も、チンパンジーの状態に近い。
 体毛はかなり多いが、汗の蒸発を妨げるほどではない。体毛は一本一本、根元で貼りつけてある。
 また、この復元ではルーシーはヒトと同じように白眼が白いが、実際にはチンパンジーと同じように白眼部分に色がついていた可能性もある。
 なお、人差し指で指さしているのは、チンパンジーには見られないヒト的な演出である。
 原人や旧人の復元ポイントは?
 原人では、男女のサイズの違いが現代人と同じ程度になっていた。トゥルカナ・ボーイの身長は1.6mだが、大人になれば1.8mを超えたろうと推定されている。細長い体型は、暑い草原で長い距離を移動するための適応と考えられる。ただし、大人になれば、男性らしく、もっとがっしりしただろう。
 鼻や目は現代人に近い復元とした。脳容積は現代人の3分の2ほどなので判断力もあり、来館者に驚きながらも、少年らしく突っ張っている。皮膚は黒褐色だった可能性もあるが、表面形態がよくわかるように茶色にした。
 旧人ネアンデルタール人は、ヨーロッパで寒冷な気候に適応して、頑丈な体型と色白の肌を身につけたと考えられる。そこで思い切って、ラ・フェラシーは完全に白人として復元した。
 【写真】原人「トゥルカナ・ボーイ」と旧「ラ・フェラシー」の復元 原人「トゥルカナ・ボーイ」(左)と、旧人「ラ・フェラシー」の復元(国立科学博物館所蔵/筆者写す)
 じつは一抹の不安もあったのだが、その後、あるネアンデルタール人の化石骨から核DNAが抽出され、現代ヨーロッパ白人の赤毛の人々に特有の塩基配列と同じ塩基配列が確認されたので、ほっとした。顔の部品などは現代人と同様に表現した。頭髪の中心部分はカツラだが、頭髪の周辺部と体毛はすべて植えてある。
 ラ・フェラシーは脳容積が現代人平均より大きいので、来館者を見ても落ち着いていて、逆に彼のほうが来館者を観察している。
 なお、寒いヨーロッパでは毛皮で身体をくるんでいたはずだが、身体の特徴を見せたいので、トナカイの毛皮を肩にかけるだけにした。ただし製作後10年ほどたって、若干の改良を加え、トナカイの毛皮でつくった粗雑な(縫い合わせてはいない)服を着せた。
芸術家の腕前と想像力でつくりあげる
 復元づくりの具体的な作業としては、まず、化石の精密模型を入手し、金属工芸の専門家が金属の支持構造をつくり、模型をつなぎ合わせ、骨格をつくる。姿勢は、いずれも直立しているが、ルーシーは腹が突き出ている。生体復元のポーズは、骨格のポーズと鏡像になるように設定する。それは、骨格と生体を斜め向かい合わせに展示するためだ。
 つぎに彫塑の専門家が、骨格と同じサイズに木の骨組みをつくり、筋肉や皮下脂肪に相当する彫塑用粘土を盛りつけて身体を成形する。筋肉の発達具合、胴体や手足の太さなどは、人類学と解剖学の専門家である私が、骨に残る筋肉の付き具合や、どのような気候環境に暮らしていたかを判断して決定する。
 トゥルカナ・ボーイは細長く、ラ・フェラシーは太くがっしりしている。顔に関しては、別に用意した頭骨の模型に、粘土を直に貼りつける。咀嚼筋の厚さや広さ、場所によって異なる皮膚の厚さなどを注意深く成形する。こうして、粘土原形ができる。
 このような、いわば芸術家との共同作業において専門家が注意しなくてはならないのは、上から目線で学術的な判断を主張するのではなく、彼らの経験やセンスを尊重することである。学術的に正しくとも、生きている人間(の祖先)に見えなければ、ただの木偶人形になってしまい、展示物にはならないからだ。
 芸術家と科学者の共同作業 photo by gettyimages
 粘土原型に石膏をかぶせて雌型をつくり、粘土原形をはずす。雌型の中にプラスチックを流して固め復元像の原形ができる。それに、眼(特製の義眼)をつけたり、皮膚の色を塗ったり、毛を植えたり、さらにシワやシミまで表現すれば、完成である。
 もちろん、これらの製作過程では、研究者が協力して科学的に妥当かどうかをつねに検証している。
 復元をつくる効用と怖さ
 できあがった復元像は、大人でも子どもでも、一目見ただけで、どのような人だったかを理解することができる。見かけの特徴だけでなく、暮らしに直結する能力や感情までわかる。それは、どのような言葉より雄弁である。
 じつは、復元像をつくるのは、担当する研究者にとってはきわめて怖いことなのだ。言葉で説明するのなら、ぼやかすことができるが、実際の形にするには曖昧さは許されない。それは研究者自身の認識を完全にさらしてしまうことになる。
 たとえば、眉毛はあったか、白眼が着色していたか、外鼻が発達していたか、毛髪は縮れていたかなどの判断は難しく、研究者を悩ませる。しかし、復元像をもとに正当な批判や議論がなされ、研究が進歩することにもつながる。
 【写真】毛髪、鼻の形、眉毛の有無…判断が難しい毛髪、鼻の形、眉毛の有無…判断が難しい photo by gettyimages
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 今回取り上げた復元像によって、人類進化の過程を具体的にイメージすることができます。さて、私たちホモ・サピエンスの特徴は、一体いつの段階から獲得されてきたものなのでしょうか? 例えば、二足歩行、言語発生、そして、夫婦関係をはじめとした社会の構築……。こうした「人間らしさ」の源流を、猿人の進化過程に見てみます。
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 「顔」の進化 あなたの顔はどこからきたのか
 【書影】「顔」の進化
 そもそもなぜ顏があるのか? 顏は何をしてきたのか? 太古の生物の体の最先端に、餌を効率よく食べるために「口」ができたときに、顏の歴史は幕を開けた。その後の激動は、いかにしてあなたの顔をつくったのか?
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