🗾40〕─1─旧石器人や縄文人を死滅させた鬼界カルデラと姶良カルデラの大噴火。〜No.167No.168No.169 

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 日本の自然災害において、科学的想定外は存在しない、全てが歴史的想定内である。
 日本の自然には、安全神話は存在しないし、啓示宗教は無力である。
 日本民族は、地獄の釜(マグマ)の薄板(岩盤)の上で生活して生きてきた。
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 日本民族の宿命とは、海外から新しい知識、技術、文化、その他を絶えず貪欲に受け入れなければ、過酷な自然環境で生き残る事ができない事であった。
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 大隅半島の歴史と文化、豊富な史跡と文化財を掘り起こし、今日と未来に伝えていこうとする民間団体です
 大隅史談会
 2020.06.27
 縄文文化を壊滅させた「鬼界カルデラ」の大噴火
 鬼界カルデラは鹿児島県南方およそ50kmの硫黄島竹島を含むカルデラで,大半が海底にあります。
 約7,300年前(約6,300年前とする説もある)に生じた鬼界カルデラの一連の大噴火の際に、最後の大規模火砕流(幸屋火砕流)が推定時速300km位の高速で海上を走り、大隅半島薩摩半島にまで上陸しました(下図左)。その時のアカホヤと呼ばれる火山灰は東北地方まで達しました(下図右)。
 幸屋火砕流は当時住んでいた早期縄文時代縄文人の生活に大打撃を与えたと考えられています。その後、1,000年近くは無人の地となったようです。
 その後に住み着いた前期縄文時代縄文人は以前とはルーツが異なり、土器の様式も変わりました。
 また、大噴火の際に海中に突入した火砕流の一部は大津波を発生させました。津波の推定高さ(下図左)は大隅半島で30mです。津波の痕跡は長崎県三重県でも確認されました(下図右)。
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 企業実務ONLINE
 2015年9月21日 00:00更新
 今週の話材「噴火 その弐」
 桜島噴火より怖い!九州の旧石器人や縄文人を死滅させた巨大カルデラ噴火
 [古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]
 口永良部島桜島で活発な火山活動が続いている。気になるのが、豊富な温泉に恵まれる九州地方の水面下に横たわる複数の巨大なカルデラの存在だ。四国以西の旧石器人や縄文人を滅ぼした巨大カルデラ噴火とは…。
 桜島噴火より怖い!九州の旧石器人や縄文人を死滅させた巨大カルデラ噴火
 桜島だけじゃない!鹿児島湾自体がじつは巨大な噴火口
 桜島の噴火というと、大正3年(1914)規模の噴火にばかり目が奪われがちだ。たしかに、この時の大噴火で流出した溶岩は、島を大隅半島と陸続きにしたほどで、鹿児島市民を恐慌に陥れた。
 鹿児島から脱出する避難民や、鹿児島が全滅するとの流言が流れたほどである。
 それ以来、桜島は噴煙を上げ続け、昭和30年(1955)からでも 5,000 回以上の噴火を繰り返している。そのため桜島の火山噴火予知は、かなり確実なものとなっている。
 ところで桜島は、巨大な噴火口の中の突出した部分に過ぎない。桜島を南端とする鹿児島湾の北半分は巨大な噴火口で、通称「姶良(あいら)カルデラ」と呼ばれる。
 桜島は、巨大噴火口「姶良カルデラ」の外輪山の一部が海面から突き出したものに過ぎないのである。
 水面下の巨大噴火口、姶良カルデラは、東西 23 キロ、南北 17 キロにわたる。噴火すれば、広範な地域に壊滅的な被害をもたらす「破局的噴火」と呼ばれる戦慄するべき火山だが、その噴火予知は進んでいない。
 この巨大な水面下の噴火口(姶良カルデラ)が発見されたのは、昭和 18 年(1943)なので、戦時下の情報統制もあって、発見者の地質学者・松本唯一の名とともに世間には知られなかったせいもある。
 四国以西の旧石器人を死滅させた「姶良カルデラ」の大噴火
 姶良カルデラの噴火は凄まじい。氷河期の終わりを告げるように、約 2 万 9,000 年前に大噴火した。
 当初は桜島付近の噴火で、火砕流軽石大隅半島に降り積もると、活動を休止した。その数か月後である。現在の桜島以北の鹿児島湾全体を噴火口とする巨大な爆発的な噴火を起した。
 これが姶良カルデラの大噴火である。
 吹き上げられた噴煙柱は 3 万メートルを超えて、やがて崩れると摂氏 800 度近い灼熱の火砕流を時速 100 キロで、半径 70 キロ以上を埋めつくした。川内原発は 50 キロ圏内にある。まさに破局的噴火である。
 今日、高さ 100 メートルもの火砕流の地盤もあり、これら火砕流と火山灰の堆積地盤を通称シラス台地と呼ぶ。
 巨大な火砕流を吐き出す姶良カルデラから吹き飛ばされた岩石は、直径2メートルの岩塊を含めて最大30メートルの地層(霧島市牧之原)を残している。巨岩が火砕流とともに襲ってくる光景は、想像するだけでも鳥肌が立つ。
 空高く吹き上げられた火山灰は、偏西風に乗り、東北地方まで 2,500 キロも日本列島全体に降り積もったのである。
 火砕流圏外の南九州では3メートルの厚さで堆積しており、高知県宿毛市で 2 メートル、鳥取県大山付近は 80 センチ、京都市で 40 センチ、東京で 1 センチ、東北ではミリ単位で地層に残っている。
 徳之島ではシラス地層の下に旧石器時代の遺物が発掘されているので、九州や中国地方の旧石器時代人は絶滅したと思われる。
 姶良噴火による火山灰は東北南部にまで飛散
 これら地層の厚さは、姶良火山の噴火から 2 万 9,000 年後の発掘調査の数字なので、その後の堆積物で地層は圧縮されている。それを計算に入れると姶良カルデラ噴火当時の火山灰(シラス)は、約 10 倍の厚さで地表を覆ったと見られる。
 すなわち姶良カルデラ噴火時は、南九州 30 メートル、高知県宿毛 20 メートル、鳥取県大山付近 8 メートル、京都 4 メートル、東京 10 センチ、東北数センチとなる。
 ことの重大性は、九州から関西まで全滅はもとより、関東地方や東北南部の人々も致命的な健康被害を受けたであろうことだ。
 火山灰の組成はガラスなので、空気とともに肺に入ると無数のガラス繊維が肺に突き刺さる。火山灰を吸い込むと盛んに咳をするのは、気道や肺を鋭利なガラス片が刺激することによるもので、アスベストと同じく珪肺となり、肺気腫心不全を引き起こす。
 飲料水からも、体内をガラス片が駆けめぐる。旧石器時代の関東人も、咳き込み悶死したと思われる。
 鬼界カルデラ火山灰の下から見つかった縄文人の遺跡
 口永部島の噴火を忘れた人はいないと思う。まだ屋久島で避難生活を強いられている。この口永部島のほぼ北、20 キロのところに薩摩硫黄島がある。
 地図を見ると西から薩摩硫黄島竹島と並んでいるが、それらの島は「鬼界カルデラ」の北側外輪山で、屋久島付近の海底まで広がる。
 鬼界カルデラの北端、薩摩硫黄島は2年前(2013年)に噴火した。大事には至らなかったが、鬼界カルデラは南北 17 キロ、東西 20 キロあるので、これが噴火すれば「破局的噴火」となる。
 鬼界カルデラ破局的噴火は、約 7,300 年前に生じた。時代は既に縄文時代中期で、最も温暖化した時代である。
 噴煙柱は高度3万メートルまで立ち昇り、それが崩壊した火砕流は、四方の海面を走り、100 キロ離れた薩摩半島にまで達した。むろん、西の種子島屋久島なども火砕流に焼き尽くされた。
 火山灰は南九州一帯の地層に 60 センチ、大分県で 50 センチの厚さで残っているが、通称「アカホヤ」と呼ばれる。鬼界カルデラ火山灰は、数メートルも降り積もって九州や四国の縄文人を死滅させた。
 といのも比較的近年、アカホヤの地層の下から縄文時代の大集落が発見されて、縄文文化再評価のひとつとなった。
 その集落は舟作の工具(世界最古)や燻製施設と大量の炉、独自の貝殼紋の土器などをともなっていた。この高度な海洋民族を思わせる縄文人を全滅させたことがわかる。
 その後、1,000 年ほど九州は無人の地だったようで、新たな縄文文化朝鮮半島からの渡来人だったと考えられている。
 次に破局的噴火が起こるのはいつ?
 ともあれ水面下の巨大カルデラは、ひとつでも噴火すれば「破局的噴火」となり、大気圏を漂う噴煙によって亜硫酸ガスの濃度が上がり、地球の酸素を3分の1減らすともいわれる。
 鹿児島湾はすべて巨大カルデラに海水が入ったものである。桜島以北の姶良カルデラ、その南は阿多カルデラ、同湾入口から西の池田湖にかけて阿多南カルデラ、と3つの海底カルデラで鹿児島湾は成り立っている。
 破局的噴火は、約1万年に1度とみられているが、もはや、いつ破局的噴火があっても不思議ではない、と専門家は指摘する。
 そもそも日本列島そのものが、火山噴火の原因となる無数の「マグマ溜り」の上にある。多くの火山は各地の大学の研究予算でまかなわれているが、破局カルデラ噴火については、その予測も対処も研究されていない。
 ひとたび破局的噴火が起これば、我が国が“存立危機”事態に陥ることは間違いない。巨大噴火への国家規模の監視・研究センターを設立し、その成果を世界で共有することこそ、火山列島日本の「海外貢献」だと思うのは筆者だけだろうか。
 著者 : 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター
 1949年、神奈川県に生まれる。日本大学芸術学部映画学科で映画理論を専攻。放送作家を経て、『やじうま大百科』(角川文庫)で雑学家に。「万年書生」と称し、東西の歴史や民俗学をはじめとする人文科学から科学技術史まで、幅広い好奇心を持ちながら「人間とは何か」を追求。著書に『「散歩学」のすすめ』(中公新書クラレ)、『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』(講談社プラスα新書)などがある。
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 2023年3月26日 YAHOO!JAPANニュース Science Portal「7300年前の鬼界カルデラ噴火は完新世最大 神戸大が解明
 九州南方沖の海底火山、鬼界カルデラが起こした7300年前の「アカホヤ噴火」が、完新世(1万1700年前~現在)で世界最大の噴火であることが分かったと、神戸大学の研究グループが発表した。海底に堆積した噴出物の量を船で詳しく調べるなどして判明した。この噴火は南九州の縄文人に壊滅的な被害を与えた。研究グループは「このような噴火が発生すれば、火砕流や火山灰が現代文明に及ぼす影響は計り知れない」としている。
 鬼界カルデラの外輪山である薩摩硫黄島=2009年撮影(気象庁提供)
 鬼界カルデラ鹿児島市の南約100キロにあり、長さ25~15キロほどの楕円(だえん)状。噴火でマグマが一気に噴き出し、地下の空洞になった所が落ち込んでできた陥没地形「カルデラ」が、巨大噴火の繰り返しにより複合しているとみられる。直近の巨大噴火がアカホヤ噴火で、火山灰は東北地方の一部にまで飛んで積もっており、考古学などで年代判定の手がかりとして利用されている。カルデラの縁は外輪山と呼ばれ、噴火を繰り返している薩摩硫黄島はその一つが海面から出たものだ。
 アカホヤ噴火は大きな被害を生んだが、詳しい規模や噴出物の量などは分かっていなかった。巨大カルデラ火山の巨大噴火は現代文明が未経験で、ひとたび起これば深刻な被害が生じるだけに、解明が重要と考えられた。
 そこで研究グループは鬼界カルデラ周辺一帯で、船から海底へ音波を出し、反射してくる波を手がかりに地下構造を調べる「反射法」により、堆積物の分布を調べた。海底から採取された堆積物も参照し、アカホヤ噴火の噴出物の量の推定などを試みた。
 反射法による調査結果の例。緑色の破線がアカホヤ噴火の噴出物の下面(神戸大学提供)
 その結果、堆積物の最も上の層がアカホヤ噴火の噴出物であると特定した。噴出した火山灰や石などが火砕流となって海水と混ざり、40キロ以上もの長距離を移動しながら海底に堆積し、京都府山梨県の面積に匹敵する4500平方キロ以上に広がっていたことが判明。鬼界カルデラからの距離に応じて層が薄くなっており、海底の噴出物は少なくとも計71立方キロに及んだと結論づけた。反射法では厚さ3メートル未満だと検出が難しいことから、正確には71立方キロを上回るとみられる。
 別の研究での、空から広がった火山灰の見積もりと合わせると、噴出物は計332~457立方キロ以上。完新世の既知の噴火では陸上、海底を通じアカホヤ噴火が世界最大であることが分かった。火砕流が水深の十分ある海中に達するとどうなるかを、初めて示した成果ともなったという。
 噴火の堆積物は、陸上では雨や川の作用で削られていき、また調査地点が道路などの土地利用の制約を受ける。これに対し海底では、海流の影響はあるものの噴火当時の状態を良くとどめており、しかも船で連続的に調べられる。研究グループは今回、噴出量を最も高精度に見積もったとしている。
 こうした結果は、地下のマグマの蓄積と巨大噴火による放出や、カルデラ形成の仕組みの解明に向け重要な手掛かりになる。今後はアカホヤ噴火の前の、9万5000年前などの巨大噴火も調べる意向という。
 鬼界カルデラの噴火に伴う噴出物の広がりの概念図。上空や海中で広がるほか、火砕流には海面伝いに南九州や、種子島など周辺の島々に達したものもある(神戸大学提供)
 研究グループの神戸大学大学院理学研究科、海洋底探査センターの島伸和教授(海底物理学)は「噴火には(鹿児島県の)桜島のようにマグマを少しだけためて小規模の噴火を高頻度に繰り返すものと、(鬼界カルデラのように)マグマをかなりためこんで巨大噴火を起こすものがある。マグマだまりの仕組みの違いなどを明らかにしたい。噴火から7300年経った鬼界カルデラの現状も関心事だ。大きな噴火は気候を左右し、都市に深刻な影響を与える。巨大噴火の仕組みを知ることが大切だ」と話している。
 成果は火山学誌「ジャーナル・オブ・ボルカノロジー・アンド・ジオサーマル・リサーチ」に2月1日掲載され、神戸大学が同22日に発表した。
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 富士山大噴火と阿蘇山大爆発  幻冬舎plus
 2020.08.26 公開 ツイート
 7300年前、南九州の縄文人を絶滅させた「鬼界アカホヤ噴火」
 巽好幸  コラム
 1707年に起きた「宝永大噴火」以降、沈黙を続けている富士山。専門家の間では、「いつ噴火してもおかしくない」と言われています。もし本当に噴火したら、首都圏はいったいどうなってしまうのか……。いざというときに備えるためにも読んでおきたいのが、「マグマ学」の権威、巽好幸さんの『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』です。緻密なデータを駆使し、噴火と地震のメカニズムを徹底解説した本書から、一部をご紹介します。
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 なぜ「先祖返り」が起きたのか
 日本で最後に巨大カルデラ噴火の悲劇が起こったのは、今から7300年前、縄文時代に遡る。縄文時代早期の日本列島では、南九州で成熟した縄文文化が発達していたという。本州ではまだ先の尖った尖底土器を使っていたのに、南九州では既に平底型の土器が使われていたのだ。
 尖底土器は、屋外で地面に穴をあけてそこに立てるように置いて使われていたものらしい。
 一方、平底土器は住居の中での調理や貯蔵にも使うことができた。すなわち、平底土器の出現は、縄文人のライフスタイルが定住型に変化した証拠だと言われている。他にも南九州では耳栓やツボ型土器などのモダンな道具が使われていた。
 ところが、この南九州で、ある時を境に「先祖返り」が起きたのである。
 それまでの最先端の土器は姿を消し、当時本州で使われていた旧式のものが復活したのだ。この突如として消え去った進んだ文化は「もう一つの縄文文化」とも言われている。
 これらの最先端縄文土器は、南九州の遺跡では特徴的なオレンジ色の火山灰層の下にだけ見つかる。この火山灰層は、宮崎ではアカホヤ(「ホヤ」は役に立たないものの意味)、人吉ではイモゴと呼ばれていたものだった。
 そして東京都立大学(当時)の町田洋氏と群馬大学の新井房夫氏によって、これらはすべて同じ火山灰であることが証明された。その根拠は、火山灰に含まれる鉱物の種類やガラスの屈折率にあった。火山灰の主要な構成要素である火山ガラスは、高温で融けていたマグマが空気に触れることで急速に冷え固まったものである。マグマの化学組成の違いによってガラスの密度や屈折率が異なるのだ。
 同様の火山灰は、九州から遠く離れた中部地方でも発見された。そして東北以南の日本列島に広く分布するこの火山灰層の厚さを調べることで、その噴出源が鬼界カルデラであることが突き止められた。この火山灰は「鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)」と呼ばれるようになった。
 「もう一つの縄文文化」の上限を定めるこの火山灰の噴出年代は、考古学でも重要だ。
 火山灰で「死の世界」に
 都立大学(当時)の福沢仁之氏は、若狭湾に臨む三方五湖の一つである水月湖の湖底堆積物の中に、アカホヤ火山灰が含まれることに注目した。
 この堆積物は1ミリメートルスケールの明暗が繰り返す縞状の構造を示す。春から秋にかけて大量に発生するプランクトンの死骸が降り積もると、有機物に富む黒っぽい色の層ができる。
 一方、白っぽい層は生物質のものではなく、黄砂を含むので、冬から春にできたことになる。つまり、この明暗の縞の1対が1年に相当するのである。年輪と同じようなものだ。
 福沢氏はアカホヤ火山灰の上に積もった堆積物の縞を丹念に数え上げることで、この火山灰が1995年から数えて7325年前に降り積もったことを明らかにしたのだ。
 火山灰の噴出年代は放射性炭素の量で決めるのが一般的だが、どうしても誤差やズレが出てくるので、それを補正しなければならない。今では水月湖の年縞とアカホヤ火山灰は、いわば世界の標準時となっている。
 さて、この鬼界アカホヤ火山灰は九州南部では30センチメートル以上の厚さがある。
 これほどの降灰があると、森林は完全に破壊され、その回復には200年以上の時間が必要だと言われている。
 こうなると、縄文人の主要な狩猟ターゲットであったイノシシやシカなど森林動物は姿を消してしまったに違いない。また火山灰が厚く堆積したために、エビやカニなどの底生生物の多くも死滅したであろうし、その連鎖で魚も激減したと思われる。すなわち、鬼界アカホヤ火山灰の降灰によって、南九州の縄文人は食料を調達できなくなったのだ。
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 2022年8月3日 YAHOO!JAPANニュース「首都圏でも10cmの降灰で日常生活が破綻:桜島姶良)火山で2万8000年前に起きた超巨大噴火
 姶良丹沢超巨大噴火による火砕流と火山灰(産業総合研究所原図を基に作成)
 国内で最も活動的な火山の1つである桜島は、7月24日午後8時過ぎに爆発的な噴火を起こした。幸いその後火山活動は日常的な状態に戻ったが、油断は禁物である。なぜならば、桜島の地下には1914年の40億トン(1.6立方キロ)のマグマを噴き上げた大正大噴火の直前に近い量のマグマがすでに溜まっており、大規模噴火が切迫した状況にあるとも言われている。このことをよく認識して、万全の備えを講じておくことが必要であろう。
 この桜島大正大噴火は、日本の有史以来の噴火の中でも最大規模の1つであるが、世界一火山が密集する日本列島では、これらの大規模噴火を遥かに凌ぐ噴火も頻発してきた。例えば過去10万年前まで遡ると、100億トン以上のマグマを噴出した「巨大噴火」や「超巨大噴火」は20回程度発生している。そして桜島姶良)火山は、今から2万8000年前に、なんと1兆トン(約800立方キロ)、ほぼ瀬戸内海を埋め尽くす量のマグマを1週間程度の短期間に噴出した超ド級の噴火を起こしていた。
 姶良丹沢超巨大噴火
 鹿児島県を中心とした南九州には、「シラス」と呼ばれる細かい火山灰と軽石などからなる堆積物が広く分布している。これは、2万8000年前の姶良カルデラ形成時に30km以上の高さまで立ち上がった噴煙柱が大崩壊を起こして、全方位に数百度以上の高温ガスと火山灰の混合物である火砕流が流走したものだ。火砕流は極めて流動性が高く、高さ1000m近くあった山も乗り越えて広がり、現在でも姶良カルデラから100km近く離れた場所までこの入戸火砕流は分布している(図1a)。
 図1 (a) 姶良カルデラを形成した姶良丹沢噴火の入戸火砕流の現在の分布域;(b) 姶良丹沢噴火に伴う火山灰の等層厚線図と九州の超巨大噴火を起こした火山(丸印)(原図:産業総合研究所)。
 関東平野の台地部を広く覆う火山性土壌である関東ローム層の中には、多数の火山灰層・軽石層が挟まれている。これらの層は同一時間面を示すことから、遺跡の年代を決定する際に有用であり、考古学でも広く利用されてきた。その一つに「丹沢軽石」と命名された白色の火山灰層がある。関東地方で10cm程度の厚さがある立派な火山灰層だ。1976年に町田洋と新井房夫の二人の火山学者によって、この軽石層の供給源が姶良カルデラであることが明らかにされ、その後この火山灰は「姶良丹沢(AT)火山灰」、2万8000年前に入戸火砕流やAT火山灰を噴き上げ、姶良カルデラを形成した超巨大噴火は、姶良丹沢噴火(AT噴火)と呼ばれるようになった。
 AT火山灰はカルデラから500km離れた近畿地方でも30cm以上、1000km近く離れた関東地方でも10cmもの厚さがあり、本州最北端まで到達した(図1b)。ここで注意しておくべき点は、例えば関東地方で10cmの厚さと述べたものは、地層として圧密された状態のものであり、降灰時には倍ほどの厚さがあったに違いないことだ。
 現状では数cm以上の降灰でも電気・ガス・水道・交通などの生活インフラが全て停止することを考えると、このクラスの噴火が現在の日本で発生した場合は、日本喪失とも言える破局的な状況になることは間違いない。以前にも解説したように(日本喪失を防げるか?ギャンブルの還元率から巨大カルデラ噴火を考える)、超巨大噴火のよる危険値(=想定死亡者数×年間発生確率)は年間数千人と交通事故とほぼ同程度である。低頻度(100年発生確率1%以下)ではあるが超大規模な被害(最悪1億人程度が死亡)を引き起こす噴火災害を、まずは自然災害として認識して、減災対策を考えることが、日本という国家、そして日本人という民族にとって必要であろう。
 桜島の地下に巨大なマグマ溜まりは本当に存在するのか?
 このような超巨大噴火を起こす多量のマグマは、どのように発生するのだろうか? 姶良火山や鬼界カルデラ火山の岩石を調べると、その発生メカニズムがおぼろげながら見えてきた(図2)。
 図2 桜島火山及び姶良カルデラにおけるマグマ供給系。(著者原図)
 沈み込むプレートから水が搾り出されることでマグマが発生し、そのマグマは周囲のマントルと共に「マントルダイアピル」として上昇してくる。この高温のマントル物質が地殻の底まで達すると、熱せられた地殻は大規模に融解する(図2)。ここで発生したシリカ成分の多い流紋岩質マグマは、鹿児島のように地殻の変形速度が遅い地域では次々と上昇し、地下数kmから10km辺りに巨大なマグマ溜まりを形成する。
 この巨大マグマ溜まりに、地下深部から高温の玄武岩質マグマが貫入することで発泡現象が加速され、圧力が高くなったマグマが一気に噴き上げることで超巨大噴火とカルデラの形成が起きるのである(図2)。ただし岩石の化学組成を比較すると、このような巨大なマグマ溜まりと、現在の桜島の噴火を引き起こしているマグマ溜まりとは、本質的に別物である(図2)。
 日本喪失をも引き起こしかねない超巨大噴火の予測を行うには、現在の桜島火山の地下に超巨大噴火を引き起こす巨大マグマ溜まりが存在するかどうかを知ることがまず重要である。しかし残念ながらまだマグマ溜まりを検出する手法が確立されていない。現在の状況は、マグマ溜まりをC T検査の原理を用いてなんとか可視化しようとする試みが行われているところである。
 巽好幸
 ジオリブ研究所所長(神戸大学海洋底探査センター客員教授
 1954年大阪生まれ。京都大学総合人間学部教授、同大学院理学研究科教授、東京大学海洋研究所教授、海洋研究開発機構プログラムディレクター、神戸大学海洋底探査センター教授などを経て2021年4月から現職。水惑星地球の進化や超巨大噴火のメカニズムを「マグマ学」の視点で考えている。日本地質学会賞、日本火山学会賞、米国地球物理学連合ボーエン賞、井植文化賞などを受賞。主な一般向け著書に、『地球の中心で何が起きているのか』『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』(幻冬舎新書)、『地震と噴火は必ず起こる』(新潮選書)、『なぜ地球だけに陸と海があるのか』『和食はなぜ美味しい –日本列島の贈り物』(岩波書店)がある。
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 2022年1月26日 読売新聞オンライン「遠い国の大噴火に翻弄された日本…その時、指導者たちはどう動いたか
 スクラップ
 調査研究本部 丸山淳一
 気象衛星「ひまわり」が撮影した海底火山爆発の噴煙(1月15日午後2時30分=日本時間) トゥルーカラー再現画像(気象庁ホームページよりJMA、NOAA/NESDIS、CSU/CIRA)
 南太平洋の島国、トンガの海底火山で1月15日、大規模な噴火があった。噴煙は上空約20キロと成層圏にまで達し、火山灰は半径250キロ~400キロにわたって広がったとみられる。噴出物の量から噴火の規模を示す「火山爆発指数」(VEI)は5か6で、世界でもこの規模の噴火は50年に1度しかない。トンガでは降灰と津波で全人口(約10万人)の8割以上が被災したという。まずはお見舞いを申し上げたい。
 明治期にもあった…遠い国の大噴火で日本に被害
 噴火によるとみられる衝撃波は地球を1周し、8000キロ離れた日本にも津波が押し寄せて、養殖いかだが流されるなどの被害が出たが、遠い国の火山の大噴火が日本に被害をもたらすことは過去にもあった。明治16年(1883年)8月27日のインドネシア・クラカタウ火山の大規模噴火(VEI=6)では衝撃波が地球を4周し、鹿児島県の 甲こう突つき川がわ には津波が押し寄せたという。この時の衝撃波は人類有史以来最大の「音」とされ、64キロ離れた洋上を航行していた英国の軍艦乗組員の半数の鼓膜が破れ、噴火音は4800キロ離れたモーリシャス領のロドリゲス島にも届いた。
 1883年のクラカタウの噴火(ハーバード大学ホートン図書館蔵)
 さらに深刻だったのは気候に与えた影響だ。噴火で排出された硫黄分は大気中の水と化合して硫酸エアロゾル(微粒子)となり、成層圏で拡散すると数年間、日傘のように地球を覆い続ける。太陽光のうち短い波長の青色の光が遮られて空は赤く染まる。ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863~1944)の代表作「叫び」の空が赤いのは、クラカタウ大噴火後の空を描いたからだという説がある。
 ムンク「叫び」ノルウェー国立美術館蔵)
 エアロゾルによって地表に届く太陽光が減れば、地球規模の寒冷化が起きる。数年間にわたって世界各地で農作物が不作になり、不作による食料不足は社会不安や戦乱の要因になる。日本もその例外ではない。世界有数の火山国である日本は、国内の火山噴火による直接的な影響だけでなく、間接的に海のかなたの火山噴火にも 翻弄ほんろう され続けてきた。気候と歴史の関係を研究している農林中金総合研究所客員研究員の田家康さんは『気候で読み解く日本の歴史』のなかで、古文書の記録や世界各地に残る大噴火の痕跡などから、その歴史をたどっている。
 海を渡った火砕流縄文人全滅
 7300年前に噴火した鬼界カルデラ
 今から7300年前、鹿児島県南部の鬼界カルデラで起きた巨大噴火(VEI=7)による火山灰(アカホヤ)は東北地方まで降り注いだ。大規模な火砕流は推定時速300キロという高速で海を渡り、大隅半島薩摩半島に上陸。九州南部の縄文文化を壊滅させたとされる。九州南部は1000年近く無人の地となり、噴火の前後で縄文式土器の様式が変わったという。
 現在のタンボラ火山(Photograph by NASA Earth Observatory)
 1257年には赤道付近に位置する火山が噴火し、世界的な冷害を引き起こした。グリーンランドと南極の氷床からみつかった硫酸エアロゾルの量などから、噴出物はマグマ換算で最大8000億立方メートルに達し、VEIでは7に近い有史以来最大の噴火とみられる。噴火したのはどの火山かをめぐって長年論争があったが、硫酸エアロゾルの成分分析などから、最近になって噴火したのはインドネシアのタンボラ火山ではないかという学説が発表されている。
 「夏のない年」 乱を“予言”した日蓮
 翌年は世界的に「夏のない年」になり、日本では建長8年(1256年)から続いていた台風や豪雨災害、干ばつに続いて冷害に見舞われた。6月なのに2月、3月並みの寒さが続いて「餓死者その数を知らず」という正嘉の 飢饉ききん が起きた。栄養不足によって疫病も流行し、朝廷は災厄を断ち切ろうと、正嘉、正元、文応、弘長と、5年の間に4回も改元している。
 日蓮上人像
 文応元年(1260年)には日蓮(1222~82)が鎌倉幕府の執権、北条時頼(1227~63)に『立正安国論』を献上、「すでに大半の人々が死に絶えて、悲しまない者は一人もいない」と飢餓の惨状を訴えた。幕府と朝廷は質素倹約を求める新法令を矢継ぎ早に発するが、祭りなど華美な催しの廃止や酒の販売停止などの効果は上がらず、幕府の権威は揺らぎだす。
 ちなみに『立正安国論』には、後に日蓮が蒙古襲来を予言したといわれる「四方の賊来て国を侵し」という記述がある。日蓮モンゴル帝国の動きを知っていたわけではない。修行 研鑽けんさん を通じて得た「先見の明」があったのだろう。だが、世界規模の冷害はモンゴルでも起き、より温暖な中国を侵略して元王朝の初代皇帝となったクビライ(1215~94)は、実際に文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)に日本を襲っている。火山噴火が日本史と世界史に作用し、鎌倉幕府の滅亡を早めたという見方は、誤りとは言い切れない。
危機を直視しなかった義政
 鎌倉幕府が滅亡した後の寒冷期は、室町時代中期の1440年代にやってくる。当初は太陽の黒点の減少が主因だったとみられるが、50年代からは火山噴火が重なって、寒冷期は長期化した。1452年から翌年にかけては、バヌアツ共和国にあるクワエ火山が大噴火を起こし、グリーンランドと南極の氷床では57年ごろまでの層から硫酸エアロゾルが検出されている。
 日本でも天候不順が続いて、享徳3年(1454年)と長禄元年(1457年)には京都近郊で大規模な 土つち一いっ揆き が起きる。幕府が差し向けた鎮圧軍は一揆勢に敗北し、幕府は一揆勢が要求していた徳政令(借金の棒引き)の発布をのまされる。「武士の体たらくなきがごとし」という落首を紹介するまでもなく、幕府の権威は失墜した。
 足利義政(『肖像集1』国立国会図書館蔵)
 しかし、8代将軍の足利義政(1436~90)は政治を疎んじ、特に対策を講じなかった。それどころか「国の飢饉を 憐あわ れむことなく」将軍御所を山水草木で飾り立て、幕府全盛期の「花の御所」を再現しようとしたという(『長禄寛正記』)。見かねた後花園天皇(1419~71)は寛正3年(1462年)、自作の漢詩に寄せて義政を 諫いさ めた。
 残民 争ひ採る 首陽の薇
 処処 炉を閉ぢ 竹扉を 鎖とざ す
 詩興 吟ずれば酸なり 春二月
 満城の紅緑 誰が為に肥ゆ
(飢饉のなか、民は食べるものがなく、まるで中国・周の首陽山で餓死した伯夷・叔斉の兄弟のように野草を争い採って食べている。どこの家も 囲い炉ろ裏り に火はなく玄関も戸も閉じたままだ。詩を吟じても 辛つら く苦しいばかりの春である。都に満ちている花や緑は誰のために生い茂っているのか、楽しむ者などいないのに)
 義政はさすがに反省して御所の修築を中止したというが、御所はその5年後、応仁の乱の戦火で焼亡してしまう。土一揆に敗れた大名は、武装した一揆勢を自軍の兵に採用し、足軽や雑兵による乱暴や略奪は当たり前の戦国時代は100年以上続くことになる。
飢饉対策で指導力を発揮した家光
 江戸時代にも、日本は何度も飢饉に見舞われた。1631年にはイタリアのベスビオ火山、40年にはフィリピン・ミンダナオ島のパーカー火山が噴火し、日本では寛永の飢饉が発生している。ともにVEIは5で巨大噴火ではないが、他にもVEI4クラスの噴火が重なったことで大量の硫酸エアロゾルが放出された。寛永17年(1640年)には蝦夷駒ヶ岳が噴火し、東北や北陸で大凶作が起きている。
 徳川家光堺市博物館蔵)
 飢饉に直面した3代将軍の徳川家光(1604~51)は、義政とは真逆に高い政治力を発揮する。参勤交代で江戸にいた西国大名に「 撫民ぶみん に努めよ」と帰国を許し、各地の城主や江戸町奉行、大坂町奉行江戸城に呼んで凶作の理由についてじかにヒアリングを行い、評定衆に対策の策定を指示した。20回以上の飢餓対策会議が開かれ、決まった対策は諸大名に伝えられ、庶民には高札で公表されたという。
 農民には、年貢は不正なくきちんと納めること、ふだん通り耕作に精を出すことなど、いつも通り働くことが命じられた。町民には質素倹約を求め、酒造禁止令や粉食品禁止令が出された。大名には普請などの使役に農民を使わないことなど、領民の負担軽減を求めている。幕府や大名から庶民まで、みなができることをする「共助」が対策の柱といえる。一方で、大名の領地の没収や身分の 剥奪はくだつ は影を潜めた。田家さんは前掲書のなかで、「江戸幕府の統治思想という意味で、寛永の飢饉は転換点であった」と分析している。
 渡辺華山『荒歳流民救恤図』(国立国会図書館蔵)
 江戸時代の飢饉では天明3年(1783年)から5年以上続いた天明の大飢饉が有名だ。この時の冷害は同年の浅間山の噴火(VEI=4)と思っている人が多いが、この年にはアイスランドラキ火山も噴火しており、気候変動に与えた影響はより大きかったという説もある。
 義政を反面教師に
 今回のトンガ海底火山の噴火で放出された硫黄分は、人工衛星のデータ解析では約40万トンと、日本に冷夏をもたらした平成3年(1991年)のフィリピン・ピナツボ火山噴火の50分の1程度にとどまるという。少なくとも500万トンの放出がなければ地球規模の気候変動は起きないとされ、影響は限定的との見方が出ている。
 だが、噴火がこのまま収まる保証はない。トンガの噴火では爆発の衝撃で火山島が消滅し、海底にカルデラができていることが確認されている。このまま収まってくれたとしても、大規模噴火は地球上のどこで、いつ起きても不思議はない。1257年に有史以来最大の巨大噴火を起こしたとされるタンボラ火山は、1815年にもVEI7クラスの巨大噴火を起こしているし、鬼界カルデラでは現在も火山活動が続いており、海底には巨大な溶岩ドームが形成されている。何度放出されても火山のエネルギーは尽きることはないのだ。
 かつては遠い国での火山噴火を知るすべはなかったが、日蓮は宗教の教えから先の危機を見通し、徳川家光は詳細なデータ収集によって危機を乗り切ろうとした。22日未明には日向灘震源とする最大震度5強地震があり、どこか落ち着かない日々が続くが、今は人工衛星などによる観測網と、先人が積み上げてきた科学や防災の知識がある。なすすべなし、とあきらめた足利義政を反面教師にして、世界的な観測網を宝の持ち腐れにしてはならない。
 *富士山の火山災害については、以前に このコラム でも取り上げた。あわせてお読みいただきたい。
 主要参考文献
 田家康『気候で読み解く日本の歴史 異常気象との攻防1400年』(2013、日本経済新聞出版社
 池谷浩『火山災害 人と火山の共存をめざして』(2003、中公新書
 プロフィル
 丸山 淳一( まるやま・じゅんいち )
 読売新聞調査研究本部総務。経済部、論説委員、経済部長、熊本県民テレビ報道局長、BS日テレ「深層NEWS」キャスター、読売新聞編集委員などを経て2020年6月より現職。経済部では金融、通商、自動車業界などを担当。東日本大震災熊本地震で災害報道の最前線も経験した。1962年5月生まれ。小学5年生で大河ドラマ国盗り物語」で高橋英樹さん演じる織田信長を見て大好きになり、城や寺社、古戦場巡りや歴史書を読みあさり続けている。
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