🏹68〕─1─古代から日本には何度も黒船が来た。「稲・鉄・漢字」という黒船。~No.217 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本列島はユーラシア大陸の東の最果てにあり、人が辿り着いた辺境である。
 世界各地から文化と宗教、知識と技術は、海に囲まれた閉塞空間の日本に流れ込み、砂漠の水のように日本全土に染みこみ、その混沌とした状態の中から数万年前の旧石器時代縄文時代、数千年前の弥生時代古墳時代の時を経て生まれ出たのが日本文化で、その文化からヤマト王権=日本天皇、日本国、日本民族、日本神道が誕生した。
 日本文化は混沌とした泥沼文化で、混沌とは腐葉土である。
   ・   ・   ・   
 日本列島は、国生み神話の「おのころじま」である。
 記紀神話における「天地初発之時」はそういう意味である。
 「天地初発之時」とは「天(あめ)地(つち)初(はじめて)発(ひらけし)時(とき)」と読み、「天と地が初めて分かれたとき」という意味。
 「天(あめ)」とは虚空(そら)の上にある場所をあらわし、「地(つち)」とは地上のことをあらわしている。
 「天地初発」を言い換えると「天地開闢(てんちかいびゃく)」となる。
 日本は、数万年前の土着神話でできている。
 それは特種で特異ではあったが、取り立てて優秀と言うわけではなく、自慢して誇るほどの事でもない。
   ・   ・   ・   
 人類史から見れば、日本民族は日本列島で生きてきた「日本土人」である。
 日本は、世界の中心ではなく、地の果て、地が尽きる渚、生と死の境界線である。
 日本は世界を理解できるが、世界は日本を理解できない。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、日本列島に流れ着いた異人種異民族が乱婚を繰り返して生まれた血が汚れた混血の雑種民族である。 
   ・   ・   ・   
 2024年4月11日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」
 日本文化はハイコンテキストである。
 一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の〈深い魅力〉を解読する! 
 【写真】外国人が見抜いた「日本」を「変な国」にさせている「3つの原因」
 *本記事は松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
 「稲・鉄・漢字」という黒船
 最初に、日本の歴史を大きく理解するにあたっては、日本には「何度も黒船が来た」と見るのがいいと言っておきたいと思います。そう見たほうが日本をつかめるし、また、そう見ないと日本がわからないことが多い。
 ペリーの黒船以外にもイギリス艦船やプチャーチンのロシア艦船も来ていたのですが、それだけではなく鉄砲の伝来も、何度かにわたるキリスト教の宣教師たちの到来も黒船でした。それ以前はどうかといえば、もちろん元朝による蒙古襲来もそうですが、禅やお茶や朱子学(宋学)や『本草綱目』といった博物全書なども、日本人をびっくりさせた黒船だったのです。黒船だったというのは、それらはグローバライザーだったということです。
 もっと前なら、当然、仏教や建造技術や儒教の到来が日本を変えた。では、さらにその前の「最初の一撃」は何だったのか。
 原始古代の日本に来た黒船はなんといっても「稲・鉄・漢字」です。この三点セットがほぼ連続してやってきた。約1万年にわたった自給自適の縄文時代のあと、中国から稲と鉄と漢字が入ってきて日本を一変させたのです。紀元ゼロ年をまたぐ200~300年間のこと、弥生時代前後の大事件でした。
 なぜ「稲・鉄・漢字」が黒船だったのかを理解するには、その前の縄文時代の社会文化のことを少しは知らなければなりません。
 日本列島がアジア大陸から切り離されたのは約2000万年前のこと、現在の列島のかたちが定着したのは300万年前でした。地質学では「島嶼列島」と言い、その形状が枝に小さな花を点々とつけているようなので「花綵列島」とも言われてきました。私は、日本列島がアジア大陸という大きな扉にくっついた把手のようにも見えるので「把手列島」とも呼んでいます。
 15万年前の日本にはマンモスやナウマン象やトラが跋扈していましたが、1万年前にはすっかりいなくなっています。この15万年前と1万年前のあいだに、日本列島にヒトが住みはじめたのです。気候や照葉樹林の植生がよく、水がおいしかったのだろうと思います。おそらく3万年前には定住がはじまっていた。いわゆる縄文人です。
 縄文土器は約1万2000年前に出現します。最初は早期の隆線文土器というもので、そのあと前期・中期・後期・晩期と変化した。
 前期では円筒や底が平らなものがあらわれ、屈葬や耳飾りが流行します。中期は大集落や大型住居が登場し、土器に蛇文があらわれ、性神が崇められました。アニミズムが広まっていったのです。岡本太郎を驚かせた火焔土器は中期の長野県や新潟県に集中しています。
 後期の縄文人は協業や分業をはじめます。共同墓地、環状列石(ストーンサークル)が登場し、呪術用具がさかんにつくられた。晩期になると人々は文身をほどこして、体や顔を飾りました。文身とはイレズミのこと、「文」とはアヤをつけるという意味です。また、雑穀を育てて収穫し、煮たり搗いたりして食用にした。
 縄文社会には「縄文語」ともいうべき言葉によるコミュニケーションがありました。これは「原日本語」にあたるもので、もっぱら話し言葉に頼っていただけで、文字はありません。読み書きする文字がなかったのです。日本人は長らく話し言葉によるオラル・コミュニケーションだけに頼ってきたのです。そのぶん縄文などの文様や模様が、つまりは「文」が重要だったわけです。
 こういう縄文社会に「稲」と「鉄」と、そしてやや遅れて「漢字」がやってきた。強力なものたちでした。つまりグローバライザーとしての黒船でした。日本はここから一途で多様な国をめざします。
 松岡 正剛
   ・   ・   ・   
 2023年7月11日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「明治時代、日本に来た外国人たちが「驚愕」した「日本の文化」の凄さ
 松岡 正剛
 日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する!
 *本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
 発見された日本美
 こんなふうに、明治の「学び」は欧米主義一辺倒だったのですが、一方、意外なこともおこりました。ハーンやフェノロサやコンドルのように、日本の実情を取材にきた作家、日本に欧米の美術や建築を教えにきたお雇い外国人が、初めて見る日本の文化に驚きの目を見張ったのです。そして、この目を見張るほどの文化を欧米のロジックやテクノロジーが壊してしまうのではないかと心配した。
 ラフカディオ・ハーンは松江で日本人の小泉節子と結婚し、日清戦争日露戦争のあいだの明治二九年(一八九六)に日本国籍をとり、小泉八雲として日本のしきたりや昔話を英文にするためペンをとりました。『日本の面影』『心』『怪談』は傑作です。アーネスト・フェノロサハーバート・スペンサー社会進化論をひっさげて来日した俊英の学者でしたが、日本の仏像や日本絵画を見てびっくりし、岡倉天心とともに日本人が誇るべきはそういう日本独特のアートだと考えました。天心は『茶の本』『日本の目覚め』『東洋の覚醒』などを書き、欧米のリクツでは日本文化の精髄は説明できないと強調した。
 丸の内に煉瓦街を出現させた建築家のジョサイア・コンドルは、片山東熊(赤坂離宮東京国立博物館表慶館など)や辰野金吾日本銀行・東京駅・奈良ホテルなど)らを育て、かれらに洋風建築の精髄を教えるわけですが、自身は日本の絵画や三味線音楽に痺れ(端唄や小唄!)、河鍋暁斎日本画を学んだり、都々逸の本を英語で出版したりしたのです。
 ハーンやフェノロサやコンドルが見いだした日本の美は生活の中に生きていたり、徒弟的に師から弟子に伝えられたりしてきた技法やセンスにもとづくもので、教育的に継承されてきたものではありません。「生」と「技」と「美」がつながっていたのです。かれらはそこに感動したのです。
 浮世絵がたいそう特異な表現力の賜物として評価された
 それまで外国にあまり知られていなかった浮世絵が注目され、大量に海外流出してジャポニズムとして話題になっていったのもこの時期です。浮世絵も日本人には美術価値よりも江戸社会の風景や風俗を写したものとみられていたにすぎなかったのが、外国人にはたいそう特異な表現力の賜物として評価されたのでした。
 しかしながら政府が学校の先生や生徒にもたらそうとしたものは、日本人がたいせつにしてきた「生と技と美」のつながりを解釈できる能力の提供ではなかったのです。少なくとも「学制」としてはそういうことをほとんど重視しなかった。かわりに明治近代の学制が強調したのは何だったのか。「教育勅語」でした。これからの日本人が大日本帝国の国民(臣民)として守るべき歴史観と道徳観を公式見解にしたような勅語です。
 さらに連載記事<じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」>では、「稲・鉄・漢字」という黒船が日本に与えた影響について詳しく語ります。
   ・   ・   ・   
 2023年7月12日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「外国人が見抜いた「日本」を「変な国」にさせている「3つの原因」
 日本文化の核心
 松岡 正剛
 日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する!
 *本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
 日本を支配するフィクション
 カレル・ヴァン・ウォルフレンに『日本/権力構造の謎』(早川書房)という二冊組の本があります。ウォルフレンはオランダの新聞の極東特派員をながく務めて、「フォーリン・アフェアーズ」の一九八六~八九年の冬号に書いた「ジャパン・プロブレム」が評判になったので、これを機に本格的に日本の権力構造の歴史と現在にとりくんだジャーナリストです。
 ウォルフレンの言う「ジャパン・プロブレム」とは、八〇年代の日本に疑問をぶつけたもので、自動車をはじめとする日本の輸出品の優位がアメリカの怒りを招き、いわゆるジャパン・バッシング(日本叩き)がおこっていたとき、日本は基本姿勢を改めなかったばかりか、そのような姿勢をとることの説明をしなかったのはなぜかというところに発していました。
 ふつうなら、この反応は日本がナショナル・インタレスト(国益)を守るべき明確な意志や意図があるからだと想定できることで、そういう意志や意図があっていっこうにかまわないはずなのですが、ところが当事者間の交渉のプロセスを見ても日本研究者たちの分析によっても、どうもその意志も意図も明確ではないのです。「失礼しました、できるだけ改善しましょう」と言っているだけなのです。
 そこでウォルフレンは次のような推理をせざるをえないと考えます。それは、日本にはおそらく三つほどのフィクション(虚構)があたかも現実のようにはたらいているにちがいなく、それが日本を「変な国」にさせているのだろうというものです。
 一つ目は、日本は主権国家として最善のナショナル・インタレストの選択をしていると諸外国から思われているが、実はそのようなことができない国なのではないか。だから何かが欠如しているか、何かを粉飾してきたのではないかというものです。
 二つ目、日本は自由資本主義経済を徹底していると主張しているけれど、どこかでごまかしているか、さもなくば内側では別の経済文化行為を許していて、外側の顔と内側の顔を使い分けているのではないか。そういうふうになっていても、そのフィクションを国民が納得して許容しているのではないかというのです。
 三つ目、日本には世界中がまだ理解できていない名付けにくい体制、たとえばかつての武家制度や天皇制がそうであったような、海外からは理解しにくい体制をどこかに温存しているのではないか。しかし、もしそうだとしてもその体制について日本は自覚も説明もできていないのだろうというものです。
 この三つのフィクションが絡んで動いているだろうだなんて、ジャーナリストとしても鋭いし、日本論としてもなかなかユニークです。穿った見方だとは思いましたが、私はおもしろく読みました。
 権力が行方不明の国
 ウォルフレンは、日本には本物の権力があるのかどうかを問うた。権力構造にいいかげんなところや、不首尾なところがあるのではないかという疑問をもった。もし欧米社会でそのようなことがあれば、たちまちその権力は解体するはずです。でも、日本はそうならない。だとしたら、それはどうしてそんなふうになったのか。ずっと昔からのことなのか、それとも最近のこと、つまり敗戦後のことなのか、そこに分け入ろうとしたのです。
 日本国憲法が定めるところでは、日本は議院内閣制の民主主義国家です。主権は国民にあり、立法権は選挙で選ばれた議員によって構成された国会にあります。したがって国会は法的にはすべての決裁者であるわけですが、ウォルフレンが見るところ、日本の国会は両院ともにそうなっていない。議題はたくさん出入りしているけれど、野党は「内閣なじり」ばかり、与党は「責任のがれ」ばかりです。
 両院から委任された行政府として内閣がつくられ、そのガバメント(政府)のトップに内閣総理大臣が立つわけなので、行政権すべての決裁者は首相にあるのですが、日本の首相は自民党政治の領袖を争うだけで、国家の行政責任をまっとうするための権力を掌握もしていないし、行使もしていないというふうに、ウォルフレンには見えたのでした。
 国会と首相が国家の権力を掌握していないとすると、これに代わって権力を動かしているのは官僚か財界かということになりますが、どうもこの両者にも権力が集中していません。どこかの役所や官僚のリーダーが目立つことはなく、大半の官僚の見解は政府の見解の「下支え」か「上塗り」が多い。経団連が国家の指針に対して明確なオピニオンを発表したことなどないし、有効な助言をしているとも感じられない。おそらくボスが多すぎて、両方ともに決定的なボスをつくれないか、つくらないようにしているのです。
 国会、首相、官僚、財界が権力の中枢をつくりきっていないのに、日本のどの部門も中央集権的な組織になっているのも解せません。それぞれの団体、たとえば警察、農協、日教組日本医師会法曹界、体育界などは中央集権的にできているのに、それらが組み上がった全体としてのパワーシステム(権力構造)は、どこにも体現されていないのです。
 多少疑わしいのは自民党で、ここにパワーシステムや中央集権の秘密があるのかもしれないと、ウォルフレンは時間をかけて調べるのですが、いくら調べてみても、どうやら自民党には派閥のパワーバランスがあるだけで、あとは「利益誘導」と「集票マシーン」が動いているばかりです。予算も財務省や各省庁に握られている。
 中央集権力は中央の力が地方の末端に及ぶことでもあります。けれども日本のばあいはその「押さえ」は地方にばらまく地方交付金や「補助金」に頼っているようで、それは政治意志や権力意志ではなく「お金」なのです。
 野党は野党で、のべつ権力奪取の声はあげているものの、それは与野党の力の逆転を選挙でどう勝ちとるかというところに主眼があって、あんなに時間があるはずなのに政治哲学を磨いているとは思えない、それが証拠に国民は野党の政治哲学に賛同して投票しているようではない。また政治哲学を磨くには、あまりに政党改変をしすぎている。
 こうなってくると、残るは警察権力と自衛隊と保守的圧力団体のどこかの深部に権力中枢の発動源でもあるのかという陰謀小説のような推測になってくるのですが、そういうものがこの国でひそかに動いているとは思えません。
 たとえば日本の警察権力は各国とくらべてみてもなんら遜色がないし、犯罪発生率や不正検挙率などを見ても格段の腕前をもっています。極度に中央集権化されている度合いも国内随一のようです。もしも野心を抱く一派がクーデターをおこすとすれば、公安警察と機動隊を握っている警察権力が一番の力をもっているといえます。
 けれども日本の警察にはナショナル・インタレストに対する意志がないように思えます。好意的に見れば国内の正義と安定にはすばらしい機能を発揮しているとしても、対外的にナショナル・インタレストを守っているようには見えません。日本の評判やプレステージを高めるという意図もない。
 自衛隊はどうかといえば、こちらは日米安保体制に骨の髄までしっかり縛られていて、にっちもさっちもいかないでしょう。三島由紀夫がかすかな望みをもったことはありましたが、自衛隊の隊員にも反逆の野望はひそんではいませんでした。私は「モーニング」連載時から、かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』(講談社漫画文庫)のファンでしたが、ああいうことはとうていおこらないのです。
 それなら他の保守的な圧力団体が何かを掌握しているのかというと、農協から神社庁まで、産業界から右翼勢力まで、政治権力をほしがっているとは思えません。自民党とボス交ができていればそれで十分なのです。これではどこからもジャパン・クーデターなど、おこりっこない。
 いったいどうなっているんだ、利権の構造ばかりが目立っているけれど、国家や権力は無用の長物なのか、そんなことはあるまいとウォルフレンは考えこみます。そこで想定できたのは次のようなことでした。
 哲学なき権力構造
 日本の権力は、それがないなどとはいえないのだから、きっと極度に非政治的なプロセスでできているのだろう。そのシステムは欧米が規定してきた権力機構のしくみではなく、すなわち議会や内閣や官僚が制度的に掌握するのではなく、複合的なアドミニストレーター(管理者)によって連関的に体現されているのだろう。そう、想定したのです。
 そうだとすると、そのしくみがパワープロセス(権力の行使過程)になっているだろうことはあきらかなので、またそのプロセスが中央集権的なプロセスになっていることもあきらかなので、それらがボディ・ポリティックス(統治の体制)としてのみ見えるようになっているということになります。そして、そう見えるような努力ばかりが尽くされているのではないかというのです。
 一言でいえば、システムなきシステム、「権力中枢の不在を補うシステム」でできあがっているのが日本だというのです。日本の権力システムは部分と部分をつなぐアドミニストレーションの鎖でできていて、いわば関節技ばかりで決められてきたのではないかというのです。
 リスポンシビリティ(行動責任)をとるけれど、アカウンタビリティ(説明責任)がとれないのは、説明する準備も哲学もないからだとも指摘した。
これはあまりにも情けない日本の実情を推定されたなと、ギクッとせざるをえないことですが、ではこの推定に代わることを日本はとりくんできましたか、たとえば大学やマスメディアはこの推定をくつがえす研究や提案をしてきましたかと、ウォルフレンは挑戦的な問いを投げかけたのです。
 以上、ウォルフレンの見方には日本人が言いにくいところを突いたという点を含めて、なかなか興味深いところがあります。このあとも『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社)、『アメリカからの「独立」が日本人を幸福にする』(実業之日本社)、『日本を追い込む5つの罠』(角川書店)といった、かなり踏みこんだというか、そうとうお節介なタイトルの本も書いています。
 辛口でユニークな視点が躍如しているように感じられますが、ここで冷静になってやや大局思想的なことを言っておくと、実はこういう論調は、海外の知識人に多いリヴィジョナリスト(日本見直し論者)がしばしば口にしてきた日本異質論に近いものです。だから、その多くの議論は欧米の定見に沿って日本社会に切り込んだだけとも言えます。
 日本が国益を軽視したことはない
 たとえば、日本はナショナル・インタレストを守る主体がいないという見方については(日本が国益を軽視したことなんてありません)、欧米がそのための主体を前面に押し出して交渉決議してきた近現代史からすれば、そういうふうに受け取られても仕方がないところですが、日本はもともと合議的だったと、最近は中長期的な外交折衝に切り替わっていると見れば、反論可能です。ただ、日本人はそのことを世界にわかりやすく説明できていなかったのです。
 さらに連載記事<じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」>では、「稲・鉄・漢字」という黒船が日本に与えた影響について詳しく語ります。
   ・   ・  ・