👪5〕─2─日本脳は、自然災害多発地帯に生き延びる智恵で「安全バイアス」「正常性バイアス」を編み出した。~No.34No.35No.36No.37 @ 

日本災害史

日本災害史

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2006/09/01
  • メディア: 単行本
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本脳は、銘々勝手の没個性として、自然災害多発地帯に生き延びる智恵で「安全バイアス」「正常性バイアス」を編み出した。
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 日本脳は、自然対応として、明日の希望は「絶対神が授けてくれる恩寵・奇跡」ではなく「明日の朝に昇る太陽」であった。
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 現代日本人が求める「強いリーダー」とは、自分が辛い責任を取ってを苦労して義務を果たすのがするのがイヤだから、全てを誰かに「おまかせ」したいというさもしい根性からである。
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 広瀬弘忠(東京女子大学名誉教授)「常に『大地震が来て命を落とすかもしれない』と怯えていると、心理的に大きな負担がかかります。その負担を和らげるため、『自分が生きている間には、命にかかわる地震は起きない』『大地震が起きても自分だけは助かる』と思い込み、心を守ろうとするのです。これをいわゆる『正常性バイアス』と言います」
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 鴨長明「大地震の直後こそ、日本中の人が口々に『怖かったね』とか『大変な事が起きた』と言って、つまらない損得や欲望なんて忘れたかの様な雰囲気だった。しかし、少し時間が経ったら、地震の事を話題にする人さえいなくなった」
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 日本には監視すべき火山が110ヶ所あるが、関係自治体や国の防災機関などで構成する火山防災協議会で常時観測しているのは47火山で、火山の専門家が参加している協議会は36のみである。
 世界有数の火山列島にあって、全国で火山の研究家といわれる専門家は約80人で、そのうち大学に所属している研究者は47人である。
 火山研究は、研究費を出しても金銭的な利益に結び付かない為に専門家が育たないし、本腰で研究に取り組む大学や研究機関も少ない。
 日本人は、危機感が足りない。
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 自然災害から逃げる時は、自分一人が助かる事を最優先として、隣りを走る人が自分の親子や知り合いであろうと、女子供であろうとも助ける事なく見捨てた。
 助け合うのは、災害から逃げ切ってからである。
 日本の集団主義は、生き残った時に発揮して、自然災害と関係なければ役にはたたない。
 自然災害から逃げるには、皆と一緒に集まって逃げるのではなくて、昔から安全と言い伝えられている神話・民話・伝承・迷信を信じて、バラバラになって走った。
 自然災害多発地帯で生き残るには、個性など無意味・無価値である。
 ゆえに、日本人には個性がない。
 日本人のDNAには、いざとなれば自分一人でも生き残ろうとする冷たさがある。
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 自然災害多発地帯日本列島で生まれた日本文明の真髄とは、繰り返される天災と戦災で何度も死の淵に追い詰められても生き残り、何度でも立ち上がるという、「死と再生」である。
 日本文明とは、日本神道である。
 その生き方は、命ある限り、命を守る為に運を天に任せて、全てを投げ捨て、一目散に、全速力で形振り構わず走って逃げる。
 日本文明・日本神道の死と再生は、自分の「甦り」であって、他者に「生まれ変わる」ことではない。
 死と再生に於いて、日本文明・日本神道の「甦り」と西洋文明・キリスト教の「復活」とは違う。
 自分が甦る場所は、同じ血と心を受け継ぐ家族・親族・一族の中であった。
 自分の甦りから、氏神・祖先神の人神信仰が生まれた。
 そこでは、自分は自分、他人は他人というハッキリした区別がなされていたが、同時に上下・優劣・善悪・正邪など二項の差別は一切存在しなかった。
 仏教は、それを否定して命ある者全ての内に広げ、生まれ変わるのは人とは限らず、蚊や蝿から牛や馬、魚や鳥そしてカエルからミミズなど全ての生物であると説いた。
 キリスト教は、永遠の命を得る甦りの絶対条件を「絶対神への信仰」に限定し、絶対神への信仰を持たない者の甦りを否定した。
 インド生まれの仏教は日本文明を受け入れ、中華思想色の強い中国仏教や朝鮮仏教とは異なり、日本仏教として独自に発展した。
 2016年9月16日・23日号 週刊ポスト「末期がんの医師・僧侶が病床から贈る いのちの苦しみが消える古典のことば 田中雅博
 到彼岸の智恵 般若心経
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 古典に譬喩(ひゆ)が沢山書かれているのは、解釈を補助するためなのです。譬喩には、『何々の如く』と喩えを直接示す直喩のほかに、『筏で彼岸(あの世)に渡る』という隠喩があります。ここでの『筏』は仏教を指し示しています。隠喩は西洋の多くの言語でメタファーといいます。メタ(超える)ファー(選ぶ)です。まさに『筏』は、苦から楽へ、大河を超えて人々を運ぶ仏教のメタファーなのです。
 古代インド哲学の課題は『自分が死ぬという苦』でした。お釈迦様は『自分』という執着の要素を空っぽにすることで『死ぬという苦』を解決しました。この状態を『無頓着』といいますが、自分に執着しないのであって、他人の不幸にも無頓着という意味ではありません。お釈迦様は『筏の譬喩』を用いて『無執着』を示しました。
 たとえば、旅人が大河に行き当たりました。河の此岸(しがん・この世)は苦に満ちていて、彼岸は楽の世界でした。旅人は筏に乗って河を渡りました。彼岸に到着したなら、筏(仏教)をどうすべきでしょうか。旅人は筏を捨てて旅を続けるべきなのです。自己執着を捨てる仏教は、仏教自身にも執着しないのです。これが無執着という智恵(般若)の完成(波羅蜜多・はわみた)です。
 般若心経の『般若波羅蜜多』というという言葉は古いインドの言葉の『プラジニャー・パーラミター』の音写(音を漢字で表した訳語)で、『般若』は知恵、『波羅蜜多』は完成という意味です。さらに『波羅蜜多』は、筏の譬喩から、パーラム(彼岸に)イ(到る)ター(状態)、つまり『到彼岸』と詩的に意訳されました。そして大きな筏に乗って人々を苦の此岸から楽の彼岸に渡すという運動が起こり、これが中国経由で日本に伝わった大乗仏教です。
 このような仏教が日本の伝統文化となり、日本人の宗教となりました。多くの日本人の宗教(価値観)は、西洋の一神教のような『唯一の神を信仰する』という宗教ではなく、自分という執着を捨ててあらゆる生き方を尊重するという平和の宗教なのです」
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住んでいい町、ダメな町 自然災害大国・日本で暮らす

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