日露戦争と韓国併合――19世紀末-1900年代 (岩波講座 東アジア近現代通史 第2巻)
- 発売日: 2010/10/06
- メディア: 単行本
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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
1908年 辰丸事件。清国で反日運動が起きる。
『増補文献備考』「この時代に初めて『店舗』が設置され、左右には商店が並んび、様々な商品が陳列された」
朝鮮総督府は、巨費を投じて総合病院である大韓医院(現在のソウル大学病院)を設立し、有能な医師を招き最新医療機器を導入した。
朝鮮の呪術混じりの漢方医療を廃止し西洋医学を広めるべく、半島各地に医師や衛生技師を派遣した。
日本は、世界でもっとも不潔で疫病が多いとして嫌われていた朝鮮を改善する為に、多額の国費を投じ、有能な人材を派遣した。
3月22日 サンフランシスコの在米朝鮮人秘密結社「共立協会」のテロリストは、日本寄りの大韓政府外交顧問スチーブンスを暗殺した。
6月22日 赤旗事件。社会主義者弾圧事件。東京神田・錦輝館(きんきかん)?事件。
堺利彦・荒畑寒村・大杉栄ら社会主義者は、「無政府共産」と書いた赤旗を掲げ革命歌をを歌いながら錦輝館を出て行進を始め、警戒していた警察隊と衝突して検挙された。
不敬落書事件。検挙された社会主義者は、留置所の壁に「一刀両断天王首」と書いた。 山県有朋は、西園寺内閣では社会主義・無政府主義者の取締と財政政策は不可能であり、総辞職させ新たな者に代えるべき出るべきであると上奏した。
陸軍大将・軍事参議官の桂太郎は、反政友会工作を起こっていた。
西園寺首相は、阪谷芳郎蔵相と原敬内相の更迭要求と見た西園寺はこれを機に総辞職をすることとなった。
7月14日 第一次西園寺内閣は総辞職した。
桂太郎は、第13代内閣総理大臣として第2次桂内閣を組閣し、戊申詔書による風紀引き締めと同時に社会主義運動を取り締まりを実行した。
山県有朋は、近代的天皇制度の大日本帝国を守る為に、社会主義者や無政府主義者の徹底弾圧を求めた。
ロシア帝国も清国も表面的には友好関係を取っているが、油断すると、何時なんどき牙を向いて侵略してくるか分からない仮想敵国である事に変わりなかった。
李氏朝鮮の大韓帝国は、「息を吐く様にウソを吐き、約束を守らない礼節なき不誠実な国」であり、新たな大国を見つけて媚びへつらっい、日本を貶める様な利敵行為に走る油断も隙もない隣国であった。
イギリスやアメリカも、同様に警戒すべき大国であった。
超現実主義の山県有朋は、地政学から、国外の敵から天皇と日本国家を守る為に、国内の波乱分子を弾圧して国論を一つにまとめる必要があった。
11月8日 高原・ルート協定。日本は、アメリカとの戦争を恐れ良好な関係を維持する為に、譲歩して「太平洋の現状と清国の領土保全、及び中国大陸での商業活動の機会均衡」を受け入れた。
アメリカは、ハワイとフィリピンの支配を確保しパナマ運河建設に専念する為に、当面は満州と朝鮮半島を日本に譲った。そして、ドイツ帝国の世界制覇という野望に同調せず、大国を当てにする自立心の欠如した清国や大韓国帝国の為に日本と戦うつもりはなかった。
だが、アメリカは明らかに海軍国家日本を敵と認識して、対抗する為の対日戦略を立案し、海軍力の強化を急いだ。
アメリカは、中国市場への進出すると共に、日本陸軍の南下を阻止し、日本海軍との戦争に備える為にフィリピンに海軍基地を建設した。
セオドア・ルーズベルト「アメリカの死活的利益が、日本人を自国の領土に入れない事である」
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