☲35〕─1─日本国籍朝鮮人青年達は、安全な「軍艦島」など日本各地の鉱山・炭坑・軍事工場で重労働をしていた。~No.132No.133No.134 @ 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 親日派朝鮮人は1割、反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
   ・   ・   ・   
 朝鮮人は、朝鮮半島に約3,000万人が住み、、日本国内に200万人以上がいた。
   ・   ・   ・   
 日本国籍朝鮮人青年達は、徴兵免除をいい事に、玉砕を覚悟して逃げずに戦った10代の日本人少年少女を尻目に、日本各地の鉱山で金儲けの為に重労働していた。
 朝鮮人の中には、多数の反日朝鮮人・独立派朝鮮人朝鮮人テロリストが含まれていた。
   ・   ・   ・   
 心ある日本人は、共に戦ってくれた朝鮮人を感謝し、戦死した朝鮮人を日本の神として祀った。
 神道の心を持った日本人は、人種差別を嫌い、朝鮮人に嫌がらせをしても差別をしなかった。
   ・   ・   ・   
 追い込まれた日本人は、男も、女も、子供も、一億総玉砕を覚悟で最後の一人になるまで徹底抗戦を誓った。
 日本人には助かる望みはなかったが、それでも最後には勝てると信じ、必ず生き残るという執念から「諦めず」戦っていた。
 日本人は、簡単に「諦める」民族ではなかった。
   ・   ・   ・   
 5月上旬  陸軍第6航空軍と海軍は、アメリカ軍に占領された沖縄の飛行場に陸軍空挺部隊を強行着陸させて、飛行場と敵機を破壊する義号作戦を策定した。
 「義号部隊ヲ以テ沖縄北、中飛行場ニ挺進シ敵航空基地ヲ制圧シ其ノ機ニ乗シ陸海軍航空兵力ヲ以テ沖縄附近敵艦船ニ対シ総攻撃ヲ実施ス」
 作戦機は陸軍の九七式重爆撃機。機数は12機。
 作戦部隊は、サイパン強襲するべく昭和19年12月に編制された義烈空挺隊。隊長・奥山道郎大尉以下、陸軍中野学校出身者10人を含む136人。
 5月24日18時50分 諏訪部忠一大尉率いる第三独立飛行隊所属の九七式重爆撃機編隊(12機)は、義号部隊を乗せて陸軍熊本健軍飛行場を出撃した。
 22時11分頃 諏訪部機12機中、6機は計画通り沖縄の読谷(北)飛行場に、2機が嘉手納(中)飛行場に突入した。残りの4機は発動機の不調などにより目的地に辿り着けず途中で帰還した。
 アメリカ軍の激しい対空砲火の中、1機のみ読谷飛行場に胴体着陸・挺身攻撃に成功した。その他の機体は炎上撃墜し、機内から全員の遺体が確認された。
   ・   ・   ・   
 5月7日 ドイツは、政府と国家が崩壊した事を認めて、連合国に「無条件降伏」して占領下に入った。
 戦時国際法では、武器を放棄して戦闘意志のなさを示して降伏しても、当事国が参加して降伏文書に署名がなされないかぎり、戦闘状態とみなされる。
 敗戦国が無条件降伏を申し込んでも、戦勝国がそれを拒否すれば、戦争は継続しているとみなされる。
 敗戦国には、如何なる権利も認められてはいない。
 終戦を決めるのは、戦勝国であって、敗戦国ではない。
   ・   ・   ・   
 5月23日 山の手大空襲。約10万人の老人や女子供が生きたまま焼き殺された。
 日本人は、最後の一人になるまで戦う覚悟で、地獄の様な空間に堪えに堪えていた。
 日本人は、同じ日本国籍を持っていても朝鮮人とは違っていた。
   ・   ・   ・   
 無条件降伏は、国家元首の「死」を求めていた。
   ・   ・   ・   
 軍国日本は、国家元首昭和天皇の死か追放を求める「無条件降伏」を受け容れる事を拒否した。
 日本民族日本人も、強制されたわけでもなく、洗脳教育をされたわけでもなく、本心から昭和天皇と国體を死んでも守る覚悟をしていた。
 戦前の日本人は、命を犠牲にしても守るべきモノを持っていた。 
   ・   ・   ・   
 6月 強制連行された朝鮮人や中国人が強制労働させられている、全国の炭鉱、金属鉱山、港湾、軍需工場などでも不穏な空気が漂い始めた。
 食糧を失った日本人は、絶え間なき空爆により、 今にも餓死しそうな状態に追い詰められていた。
 44年から約1年間で、日本に強制連行されていた中国人(十数万人)と朝鮮人(200万人〜400万人)は、連合軍の日本攻撃に連動して、不穏な動きを見せ始めていた。
 政府は、「義勇兵役法」と「国民義勇戦闘隊」の結成を公布した。
 公権力は、約130万人を動員して、民間人を戦場に追い遣り玉砕させようとしていた。
 日本軍は、本土決戦要員として老人や子供まで狩り集めた為に、朝鮮人や中国人の監視に部隊を廻すゆとりがなくなった。
 キリスト教徒である朝鮮人テロリストは、戦況を連合国の対日ラジオ放送やキリスト教会から仕入れて、町中で言い触らして、日本人の抗戦意欲を喪失させる謀略を行っていた。
 「神国日本は、神風が吹く事なく負ける」と。
   ・   ・   ・   
 朝鮮人は、味方か、或いは敵か。
 日本人にとって、朝鮮人は何を考えているのか分からない不気味な存在であった。
 朝鮮人は、日本国内に200万人以上いった。
   ・   ・   ・   
 本土決戦に備えて義勇兵役法を制定し、日本国民全てを国體を守る玉砕要員して、国民義勇隊を結成した。
 男子、15歳以上60歳以下。
 女子、17歳以上40歳以下。
 規定年齢外でも本人が志願すれば、義勇隊に入隊させた。
 日本精神・大和魂を持つ日本人は、平身低頭して泣き叫んで命乞いをする「惨め」で「みっともなさ」を嫌悪し、たとえ負けて死のうとも正々堂々と「死中に活を求める」的に戦う道を選んだ。
 人は、永遠に生きられない以上は、何時かは死なねばならない定め。
 それが、早いか遅いかの違いである。
 死ぬ定めなら、唯寿命を無意味に馬鹿らしく気力を失せて消費するのではなく、限られた時間を人として有意義に賢く送りたい。
 死を見つめる者のみが、有限な命の中で、生きる価値、生きる意味、生きる意義を真剣に考えていた。
 祖先に恥じなく、子孫に自慢できる様に、死力を尽くして精一杯戦い抜いて生を終えたい。
 極限状態に追い詰められていた当時の日本人は、目的・目標もなく安穏と無益に命を消化している現代の日本人とは違っていた。
 何時死ぬかもしれない身の上であった為に、真剣に、くそ真面目に、愚直に、その時が突然訪れても良いように命を大事にして日々を過ごしていた。
 おこぼれを頂戴する為に大国に擦り寄り媚び諂う自己中の朝鮮人や、自分の面子の為なら人を殺す冷血な人間不信の中国人とも違っていた。
 死ぬ覚悟を決めた日本人は、最後の勝利を信じたがゆえに戦おうとしたのであって、絶望し悲観し自暴自棄となって死を望んだのではない。
 守るべき何かを守り、仲間と共に生き残る為に、仲間と共に戦おうとしたのでる。
 それが、「靖国神社の心」である。
 守るべき何かを持たず、仲間と共に戦って生きようとしない者のみが、靖国神社を否定する。
 そうした日本人が、現代日本に増えている。
   ・   ・   ・   
 ボナー・フェラーズ准将「アメリカの日本に対する空爆は、歴史に例を見ない、残忍で野蛮な民間人の殺戮である」
   ・   ・   ・   
 6月6日 大田実海軍少将。
 辞世の句 「 大君の御はたのもとにししてこそ 人と生まれし甲斐でありけり」
 海軍次官宛の電報
 「沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
 沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
 しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
 どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
 看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
 さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
 つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
 食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。
 沖縄県民はこのように戦い抜いた。
 県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。」
   ・   ・   ・   
 沖縄守備隊は、決戦に邪魔になる沖縄県民の一部をマラリア有病地帯である八重山諸島に強制疎開させた。
 薬も食糧もなかった為に、3,000人以上がマラリアで死亡した。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇は、もう一度、戦闘で勝利して有利な条件で戦争を終結させる事を希望したが、今となってはその望みはなくなったと判断して、本土決戦になる前に戦争を是が非でも終わらせる様に要望した。
 日本政府は、昭和天皇の戦争終結という希望に沿うべく、ソ連バチカンなどを通じて終戦工作を始めた。
 ソ連は、日本から北海道と北方領土を奪う為に、軍国日本の降伏仲介要請を受ける素振りを見せながら適当にあしらった。
 日本のマルクス主義者は、国體である祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)制度を打倒し日本を共産主義化する為に、ソ連中国共産党に協力していた。
   ・   ・   ・   
 即刻、終戦の聖断を下さなかった昭和天皇の戦争責任が問われた。
   ・   ・   ・   
 軍国日本は戦争終結を切望していたが、連合国は戦争継続を望んでいた。 
 昭和天皇は戦争終結を希望し、A級戦犯昭和天皇の平和への希望を叶えるべく努力していた。
   ・   ・   ・  
 6月下旬 OSSは、戦後の日本占領における少数民族の処遇に関する方針としての「在日外国人」を提出した。
 昭和天皇を処分して国體を破壊する為に、日本国内の朝鮮人反日派として如何に利用するかであった。
   ・   ・   ・   
 沖縄戦。喜屋武岬。アメリカ軍に追い詰められた日本軍兵士や島民達は、断崖絶壁から身を投げ出して自決した。
   ・   ・   ・   
 6月20日 朝日新聞は、『写真報道 戦う朝鮮』を発行した。
 「職場への勤労動員も内地の女学校同様に実施され、半島の女学校も増産に挺身敢闘、戦う銃後の一翼を担っている」
 日本人も、朝鮮人も、台湾人も、男は軍人あるいは軍属として、女は女子挺身隊として、祖国死守と最後の勝利の為に協力して戦っている事を報じていた。
   ・   ・   ・   
 6月22日 アメリカ軍、沖縄を占領。
 日本側の戦死傷者は、兵士、軍属、島民合わせて18万8,500人である。
 彼らは、祖国日本と郷土沖縄をアメリカ軍から守る為に絶望的な戦闘を行って死んだ。
 沖縄県民は地元で、日本軍兵士は靖国神社で、生き残った者の責任と義務としてそれぞれ慰霊が行われている。
 牛島満中将
 辞世の句
「矢弾尽き 天地染めて 散るとても 魂還り 魂還りつつ 皇国護らん」
「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」
 沖縄戦の終了と共に、アメリカ兵による強姦被害が頻発した。
 同様に。ヨーロッパでも、アメリカ兵によるドイツ人女性に対するレイプ被害が起きていた。
 ソ連軍兵士によるにレイプは更に酷く、抵抗すると容赦なく殺害された。
 牛島満司令官は、「爾後、各部隊は各局地における生存者の上級者これを指揮し最後まで敢闘し悠久の大義に生くるべし」との最後の命令を発し、天皇と御国の為に善戦敢闘を希望して自決した。
 残存将兵に対し、降伏と同時に絶望的玉砕を禁じ、組織的抵抗を戦死するまで継続するように命じた。
 軍司令官として、軍隊に徹底抗戦命令を下した、避難し戦闘に巻き込まれている民間人への配慮はなかった。
 軍司令部の指揮を失った敗残将兵は、一人の人間として生き残りの本能から、一部で一緒に避難している沖縄人難民を見殺しにし集団自決へと追い込んだ。
   ・   ・   ・   
 沖縄の日本軍守備隊が全滅し、アメリカ軍に沖縄が占領されるや、沖縄攻防戦としての特攻作戦は事実上終了した。
 後は本土決戦要員として戦力温存が主となり出撃規模は縮小されたが、特攻は惰性的に無意味もなく続けられた。
 死を覚悟して特攻を志願した若き隊員達は、一足先に死んで行った戦友に対する慚愧の念を強く持ち、特攻できず生き残る事の恐怖心から一日でも早い出撃を希望した。
 他人を蹴倒し他人を踏みつけにしてまでも生き残りたいという生への願望を持たない日本人は、自分だけが生き残る事に強烈な罪の意識を抱いていた。
 むしろ、自分が死ぬ事で誰かが生き残る事ができるという安堵感で、発狂しそうな戦時下での心の救いとしていた。
 そして、心の目で毎年咲く靖国神社の桜を見る事で、霊魂の平安を得ていた。
 誰もが死にたいとは思ってはいなかったが、戦争である以上は明日の命は誰にも分からなかった。
 生きたいと念いながら死なねばならぬ身であるが故に、春には必ず咲き誇る靖国神社の桜を永遠の命と見ていた。
 日本人青年達は、短い人生であっても、命の限りめい一杯、生き抜き、何かの為に命を捧げる事で人生の意義を見出した。
 上原良司大尉(22)の親に残した手紙。「栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなしと痛感致しております。
 思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、これはあるいは、自由主義者といわれるかも知れませんが自由の勝利は明白な事だと思います。
 人間の本性たる自由を滅する事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つという事は彼のイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。
 権力主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白です。
 我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事が出来ると思います。
 ファシストのイタリアは如何、ナチズムのドイツまた、既に敗れ、今や権力主義国家は、土台石の壊れた建築物のごとく次から次へと滅亡しつつあります」
 当時の日本人は、皇国教育・愛国教育に洗脳されて戦争をした訳ではなく、軍国主義者に騙されて戦場に赴いた訳でもなく、軍部に強要されて戦ったのではない。
 国家元首昭和天皇の為に、祖国日本の為に、愛する家族や恋人の為に、死ぬ事が当たり前として受け容れただけである。
 軍部に強要された、軍国主義者に騙された、皇国教育に洗脳された、と言う事はありえないし、そうした言葉は死んでいった者への侮辱で有り、その死を無意味、無価値なものにする卑劣な行為である。。
 日本人は、避けられない死という現実に相対して考え抜き、逃げる事なく見つめて受け入れた。
 命を捨てる程の価値ある「何か」を得る為には、安易に誰かに教えて貰うのではなく、安直に誰かに導いて貰うのでもなく、本気になって死ぬ気で戦って勝ち取らねばならない事を知っていた。
 それは隠者の悟りとしての諦めではなく、生きとし生きる者としての生きたいと思いながら死なねばならない「静かな怒り」であった。
 その内なる静かな怒りを、敵に分かって欲しいとは思わないし、理解せず嫌って貰っても構わないと突き放していた。
 毎年、靖国神社の桜を見に来て参拝してくれる者だけが、分かってくれればそれで十分と思っていた。
 事実は、そうなのだから。
 自分を第一に考えた一部の日本人は、人を殺すのが怖くなって兵役を拒否して逃亡し、死ぬのが怖くなって生き残る道として中国共産党軍に味方して日本軍と戦った。
 本当の日本民族日本人は、死から逃げる事なく「何かの為」に戦っていた。
 靖国神社とは、その「何か」を戦死した者達の霊魂を想う事で感じ取る聖地である。
 そうした無私になる神道的聖地は、中国や韓国・北朝鮮には存在しない。
 吉田満「『国のため君のために州死ぬ。それでいいじゃないか。それ以上何が必要なのだ。もって瞑すべしじゃないか』
 学徒出身士官、色をなして反問す。『君のために散る。……俺の死、俺の命、また日本全体の敗北、それをさらに一般的な、普遍的な何か価値というようなものに結びつけたいのだ。これら一切のことはいったい何のためにあるのだ』」
   ・   ・   ・   
 日本の主要都市は、無差別縦断爆撃で焼け野原となり、多くの非戦闘員が生きたまま焼き殺されていた。
 ウィリアム・バルゼー提督「ジャップを殺せ!ジャップをもっと殺せ!サルの肉もっと作れ!」
 ジョン・デヴィッド将軍「ジャップについては、地図の上から抹殺されるまで悩まされ続けるだろう」
 トーマス・ブレーミー将軍「日本人を根絶しなければならない!」

   *   *   *   

 韓国の抗日映画の99%は、悪意で歪められた反日映画である。
 韓国の反日映画を観て感動するのは、歴史が理解できない無知な反天皇反日的日本人と正しい日本・朝鮮関係史を知らない反日派国際勢力である。
 日本にとって悲劇を通り越して悲惨なのは、白痴のように喜び浮かれる反天皇反日的日本人が日本国内に存在する事である。
 真実を話しても理解する能力がない反日派韓国人・朝鮮人は、友人とは思わず、諦めて相手にする必要はもうない。
   ・   ・   ・   
 2017年2月8日 産経ニュース「【歴史戦】「軍艦島は地獄島…」韓国映画・絵本が強制徴用の少年炭鉱員を捏造 憤る元島民たち「嘘を暴く」
 元住民達が訪問した端島軍艦島)=1月7日、長崎市(田北真樹子撮影)
 「1945年、日帝占領期、われわれはそこを地獄島と呼んだ」
 こんな宣伝文句がつけられた韓国映画のポスターが1月下旬に公開された。映画の題名は『軍艦島』(監督・柳昇完)。「強制徴用」された朝鮮人たちが「生命を賭して脱出を試みる」という映画だ。
 あわせて公表された映画の予告編では、海底炭鉱で腰すら伸ばせないような場所で体を縮ませたまま採掘作業をする朝鮮人少年たち、ガス爆発の危険にさらされながら作業する人たちの姿が映り、そして「ここの出来事を記憶する朝鮮人たちは一人たりとも残してはいけない」という日本語のせりふが流れる。今夏公開予定という。
   ・  ・   ・   
 7月26日21:42 産経ニュース「【歴史戦】「軍艦島反日広告に誤り 写真は別の炭鉱の日本人 製作者、産経新聞の指摘認める
 映画館内に置かれていた「軍艦島」を舞台とした韓国映画のパンフレット
 【ソウル=名村隆寛】米ニューヨークのタイムズスクエアの電光掲示板で、今月上旬に流された「軍艦島は地獄島」との意見広告に映っていた炭鉱の坑道で掘削する男性労働者の写真が、軍艦島端島長崎市)とは無関係であることを、映像製作に関わった韓国の大学教授が認めた。韓国紙、中央日報が26日、報じた。
 問題の写真は15秒ほどの広告映像に出ているもので、「軍艦島の本当の名は地獄島」との内容の前に「120人が殺された」という文章とともに流された。しかし、写真の労働者は韓国で主張されているような朝鮮人徴用工ではなく、日本人であり、場所も軍艦島の海底炭鉱ではなかったと同紙は伝えた。
 この写真について産経新聞は「端島ではなく筑豊の炭鉱(福岡県)である」誤りを指摘し、撮影時期も「明治時代中期で朝鮮人徴用ではない」と証拠資料を挙げていた。
 映像の製作と広報を進めた徐敬徳(ソ・ギョンドク)誠信女子大教授は中央日報の取材に対し、「徹底して検証ができず、不本意なミスを犯した。写真の人物が日本人であることを私も今回知った」と誤りを認めたという。
   ・   ・   ・  
 7月26日21:42 産経ニュース「【歴史戦】韓国映画軍艦島」が封切り 史実に無い残酷な殺害シーン 反日感情を十二分に刺激
 映画館内に置かれていた「軍艦島」を舞台とした韓国映画のパンフレット
 【ソウル=名村隆寛】「軍艦島」の通称で知られる長崎市端島炭坑を舞台にした韓国映画軍艦島」(監督・柳昇完(リュ・スンワン)が26日、韓国で一斉に封切られた。
 映画は太平洋戦争末期に、端島炭坑で過酷な労働を「強制」された朝鮮人徴用工ら400人の存在を隠すため、日本軍が炭坑に閉じ込め爆破を試み、朝鮮人が集団で命を賭けで脱出を図るという内容。史実にない話だが、柳監督は韓国メディアに「事実を基にした創作物」と述べている。
 朝鮮人徴用工が坑道内部で死亡する場面のほか、日本人、朝鮮人を問わず、殺害シーンが極めて残酷に描かれている。朝鮮人女性が遊郭に強制的に送られたり、旭日旗を引き裂く場面もあり、韓国人の反日感情を強く刺激する作品だ。
 映画の最後には、「明治日本の産業革命遺産」の一つとして「軍艦島」が2015年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録され、今年中に日本政府が犠牲者を記憶する措置を取るとしたが、まだ実行していない、という趣旨の字幕がスクリーンに流れる。見る者への政治的アピールは強い。
 映画の広告は軍艦島を「朝鮮人には、生きては出られなかった地獄島」と表現。「日本には奇跡。朝鮮人には地獄。軍艦島、まだ終わっていない話」などとも強調している。
 韓国では、日本で徴用された元労働者や遺族らが日本企業を相手に損害賠償を求める訴訟を相次ぎ起こしている。映画が徴用工問題への世論に影響を及ぼす可能性もある。」
   ・  ・   ・   
 7月26日 21:49 産経ニュース「【歴史戦】映画「軍艦島」に菅義偉官房長官「史実を反映した記録映画ではない」から「コメントしない」
 映画館内に置かれていた「軍艦島」を舞台とした韓国映画のパンフレット
 菅義偉官房長官は26日の記者会見で、韓国で同日封切られた映画「軍艦島」について「監督自身が創作された話だと述べている通りだ。史実を反映した記録映画の類いではないと思っている」と述べた。映画への抗議の有無を問われると「政府として映画の内容について一つ一つにコメントすべきではない」と述べるにとどめた。
 また「徴用工問題を含めて日韓間の財産、請求権の問題は日韓請求権協定によって完全に、最終的に解決済みだ」と強調し、徴用工問題を日韓間で取り上げる理由も必要もないとの考えを示した。
 一方、丸山則夫外務報道官は同日の記者会見で「日韓双方が未来志向の関係を発展させようと努力している中で、映画がそのような努力に水を差すことになりかねないことを懸念している」と語った。」
   ・   ・   ・   
 7月31日 産経ニュース「パリで「軍艦島」試写会 韓国配給元、国際世論訴え
 韓国映画軍艦島」のパンフレット 
 太平洋戦争中に長崎市端島炭坑で働いた朝鮮半島出身者の脱出劇を描いた韓国映画軍艦島」の配給会社、CJエンターテインメントは31日、同作品の試写会をパリで28日に開いたと明らかにした。聯合ニュースが伝えた。
 CJ側は、端島朝鮮半島出身者が徴用された歴史に「国際社会の関心を促したい」とした。
 端島炭坑を含む「明治日本の産業革命遺産」は2015年、国連教育科学文化機関(ユネスコ、本部パリ)の世界文化遺産に登録。日本政府は韓国側の主張を踏まえ、一部遺産に徴用の歴史を説明する措置を取ると約束し、韓国政府は「速やかな履行」を求めている。
 試写会ではユネスコ加盟各国の関係者らも観賞。映画は監督が歴史から着想を得て製作し、創作したストーリーも含まれるが、CJ側は「隠された歴史を全世界に知らせるためパリで開いた」と説明している。(共同)」
   ・   ・   ・   

   ・   ・   ・