☳22〕─1─韓国人による韓国人大虐殺。国民保導連盟事件。漢江人道橋爆破事件。光州事件。〜No.73No.74No.75No.76 * 


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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・   
 人道に対する罪が問われる事のない韓国の大虐殺。
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 李承晩は、反日政策として、「もし日本が朝鮮半島有事の際に兵を派遣するような動きを見せたら、韓国は直ちに北側に話しかけ、共同して日本に立ち向かうであろう」と宣言した。
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 日本人と韓国・朝鮮人は、根本的に違う人間である。
 韓国・朝鮮人と中国人は、よくにている。
 中国人と韓国・朝鮮人は、分かり合える。
 日本人は、中国人や韓国・朝鮮人とは分かり合えない。
 中国人と韓国・朝鮮人は、けっして日本人を理解しないし、本心から日本人と分かり合おうとは思ってはいない。
 もし、韓国人と分かり合えるという日本人がいれば、韓国人の大虐殺を理解しなければならない。
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 韓国・朝鮮の歴史は、日本の歴史とは異なり、中国の歴史同様に虐殺の歴史である。
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 韓国軍、アメリカ軍、北朝鮮軍、中国軍は、民衆を虐殺していた。
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 韓国政府の祖国を守る為に戦死者遺族への恩給や戦闘で負傷して身体的障害を負った者への補償は、諸外国でも最低レベルであった。
 祖国を守る為に戦った愛国者に対する恩給及び戦後補償は、日本と韓国では雲泥の差があった。
 日本軍に協力して負傷した元軍人や元軍属或いは戦死した遺族の韓国人が、日本から日本人並みの戦後補償を受けた時、彼等は韓国政府から恩給や戦後補償を受けている同胞より多額の金を得る事になる。
 つまり。元親日派愛国者より多額の金を得る事になる。
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 1945年9月2日 日本が連合国に降伏すると、朝鮮半島アメリカ軍とソ連軍によって北緯38度線で南北分割占領された。
 日本の植民地支配下において、反日民族主義者やキリスト教徒と共産主義者が増えた。
 日本の降伏と共に、潜伏していた共産主義者は、ソ連軍の南下に備えて各地に解放区を作って半島を支配しようとした。
 アメリカの後押しで帰国した李承晩は、親日派民族主義者や反李承晩派を粛清して政権基盤を固めるや、ストライキ武装闘争を挑む南朝鮮労働党(南労党)を中心とする共産勢力を弾圧した。
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 1948年4月3日 済州島四・三事件。韓国政府・韓国軍・韓国警察などは、済州島で暴動を起こした島民を虐殺した。島民の3人に1人にあたる6万人が殺害され、村々の70%が焼き尽くされた。
 韓国軍は、村を襲撃して、若者達を連れ出して殺害し、少女達を連れ出しては数週間に渡って輪姦、虐待を繰り返し惨殺した。
 済州島民の多くが、日本に逃亡した。
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 百済の時代から、日本は彼らの避難地である。
 日本が、帰化した百済人に感謝するの必要はない。
 命辛々、日本に逃げて来て助けられた百済人こそが、日本に感謝するべきである。
 亡命者百済人の入国を認め日本に住む事を許したのは、歴代天皇であった。
 もし。歴代天皇が、超軍事帝国の唐に配慮し、隣国の新羅を敵にしない為に、行く当てのない哀れな百済人を締め出したら百済人は死ぬしかなかった。
 百済人は、日本によって助かったのであり、歴代天皇に土下座をして感謝するべきである。
 助けられた百済人が、受け入れてくれた日本に学問や技術を伝えるのは、当たり前の、当然の義務である。
 昔の日本人は、逃げてきた百済人を助けた事に恩着せがましくならず、軽蔑せず、差別せず、温かく迎入れ、優れた先生・博士として遇し生徒として辞を低くした教えを請うた。
 韓国人及び朝鮮人百済人の子孫ではない以上、助けられた事に対して日本に感謝する必要はない。
 同時に、日本人も韓国人及び朝鮮人に感謝する事もない。
 百済人と韓国人及び朝鮮人は、別人である。
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 8月15日 李承晩は、アメリカの承認を得て独立を宣言しアメリカ軍の軍政が終わり、大韓民国を樹立して初代大統領に就任した。
 金日成も、ソ連の許可を得て独立し朝鮮民主主義人民共和国を樹立し、初代首相となる。
 李承晩も金日成も恐怖の独裁者であり、両国は権力をめぐる政治闘争が絶えず、粛清や暗殺で夥しい人間が殺されていた。
 韓国は自由と民主主義の穏やかな国ではなく、北朝鮮マルクス主義による理想国家でもなかった。
 日本支配から解放された両国は、日本支配時代以上の殺戮を繰り返す地獄と化した。
 10月19日(〜27日) 麗水・順天事件済州島四・三事件鎮圧の為に出動命令が下った国防警備隊第14連隊(約2,000人)が反乱を起こした。
 韓国政府は、直ちに鎮圧部隊を投入して反乱を鎮圧し、反乱部隊に加えて反乱共謀者として非武装の民間人8,000人を殺害した。
 12月1日 李承晩大統領は、国内の治安を守る為により強力な国家保安法を制定した。
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 1949年6月5日 韓国政府は、要監視対象者の教化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」を組織した。
 転向した元南労党員や抵抗を続ける党員の家族に対して登録すれば共産主義者として処罰しないと保証して、国民保導連盟への加盟を勧誘した。
 食糧などの生活物資の不足に苦しむ一般市民の多くが、保導連盟に登録すると食料配給がスムーズに行われると聞き付け、食料目当てに登録した。
 警察当局も、左翼・左派取り締まりの成績を上げる為に無関係な市民を登録させて水増しを行っていた。
 12月24日 聞慶虐殺事件。韓国陸軍第2師団第25連隊は、慶尚北道聞慶郡(現:聞慶市)の住民が共産匪賊に協力したとして決め付け、非武装の女性、子供、老人の88人を射殺した。
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 1950年 国民保導連盟は、末端組織を全国に拡大し、登録者を増やした。
 6月25日 朝鮮戦争勃発。朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)が侵攻してソウルに迫った。
 国民保導連盟事件。李承晩大統領は、首都ソウルを脱出にあたり、共産主義からの転向者やその家族を再教育する為の統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などの処刑を命じた。
 韓国軍と警察は、命令を躊躇する事なく実行し20万人以上を虐殺した。
 朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会は、60万人〜120万人が虐殺されたと報告した。
 真実・和解の為の過去史整理委員会は、韓国政府が朝鮮戦争初期において子供を含む少なくとも10万人以上を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄した事を確認したとの報告した。
 夥しい数の韓国人が、自国政府の凶悪残忍な虐殺行為から難を逃れ、命辛々日本に密入国し、大半が居座って帰国しなかった。
 それが、在日韓国人の一部である。
 日本は、不法入国であったが人道上に配慮と植民地支配への謝罪を込めて黙認し、一定の法律的配慮も行った。
 東京のアメリカ軍司令官ダグラス・マッカーサーに提出された機密書類にも、アメリカ軍将校の立会いで虐殺の事実を確認し、虐殺状況を詳細に記録されていた。
 アメリカ軍以外にも、イギリス人やオーストラリア人も韓国人よる大虐殺を目撃していた。
 だが。ワシントンは、国連決議を得る為に、韓国人による大虐殺の写真や報告書を隠蔽した。
 韓国政府は、大虐殺事件が表沙汰になる度に「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」と苦しい弁明を繰り返し、決して事実を認めず、歴史を自分に都合の良い様に改竄し歪曲していた。
 朝鮮半島史で、事実に基ずく記述は少ない。
 アメリカ軍は、日本を守り為に韓国で戦った。
 連合国軍は、韓国の為に戦ったわけではなかった。
 6月27日 李承晩大統領は、国民保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を処刑する命令を発し、同日中にソウルを脱出し釜山にまで後退した。
 韓国軍と警察は、国民保導連盟に登録していた韓国人を危険分子と見なし、北朝鮮軍に協力する恐れがあるとして、大田刑務所に収監されている政治犯とソウル市内の連盟員を虐殺した。
 非戦闘地域の釜山・馬山・済州・晋州の刑務所などの政治犯、各市町村の国民保導連盟員や関係ない市民さえ容赦なく虐殺された。
 韓国人は、同じ国民、同胞を虫けらのように惨殺した。
 女も子供も、酷たらしく処刑した。
 虐殺された韓国人は、20万人とも、60万人とも、120万人とも言われている。
 韓国南西部の全羅南道咸平郡の村。韓国陸軍第11師団が、国民保導連盟員と無関係の村民達を一ヶ所に集めて機関銃で一斉射撃を浴びせ虐殺した。
 韓国軍将校は「生存者は助けるので立ち上がるように」と呼びかけ、これに応じて立ち上がった人々を全員射殺した。
 アメリカ軍諜報機関は、大虐殺を東京とワシントンに報告した。
 韓国政府は、殺害された者は、北朝鮮軍に呼応して反乱を起こした者とソウルを奪還した後に北朝鮮に協力する危険性があった者達であると詭弁を弄して正当化した。
 韓国・北朝鮮双方からの虐殺を逃れようとした人々は、日本へ避難するべく密入国した。
 現代の在日コリアンには、こうした密入国者の子孫が数多く含まれている。
 6月28日 漢江人道橋(漢江大橋)爆破事件。韓国軍参謀総長は、防御線が突破されソウルの最終防衛線が崩壊したとの報告を受けるや、直ちに漢江橋の爆破を命令した。
 ソウル市内は避難民や将兵によって大混乱に陥り、漢江北岸道路の通行は極めて困難で
あった。
 陸軍本部工兵監は、参謀総長の爆破命令を受け、約4,000人の避難民と韓国兵が漢江人道橋を渡っていたが爆破命令を下達した。
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 韓国は、昔から、歴代の王朝でも、責任ある権力者は庶民を見捨てて真っ先に逃げた。
 公人として庶民の子供を保護し助ける事なく、私人として自分の子供を最優先に避難させた。
 強者は、平然と弱者を犠牲にした。
 大事なのは、自分と自分の家族であって、他人と他人の子供ではなかった。
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 漢江人道橋爆破事件によって、避難民約500〜800人が犠牲とり、40輌の軍車輌が大破し韓国兵も多くが負傷した。
 韓国人は、自分だけが助かり、自分だけが利益を得る為なら、平然と他人を見捨てて惨殺した。
 韓国軍主力部隊は退路を遮断され、1,318輌の車両と装備品、補給品が漢江北岸に取り残された。
 北朝鮮軍は、漢江人道橋爆破から6時間後に到着し軍装備品を手に入れて進軍を続けた。
 北朝鮮軍戦車隊は、破壊されずに残っていた京釜線の複線鉄橋と京仁線の単線鉄橋を使って漢江を渡河した。
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 北朝鮮軍は、捕虜にした韓国軍兵士やソウル市民を虐殺した。
 北朝鮮軍兵士は、捕らえた女性を強姦して殺害した。
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 韓国軍も、北朝鮮軍も、同じ同胞であっても容赦なく虐殺していた。
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 7月26日 老斤里(ノグンリ)事件。アメリカ軍による韓国民間人の虐殺事件。
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 1951年1月 国民防衛軍事件。韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領した。
 この横領により、9万人余りの韓国軍兵士が餓死した。
 韓国政府も韓国軍も、腐敗堕落し、自分達の権力と不正蓄財を守る為に国民を虫けらのように扱った。
 典型的な、伝統的儒教社会である。
 1月6日〜9日 江華良民虐殺事件。韓国軍、韓国警察、民兵は、北朝鮮統治時代に北朝鮮に協力したなどとして島民212人〜1,300人を虐殺した。
 2月8日 山清・咸陽良民虐殺事件。韓国陸軍第11師団第9連隊は、居昌郡に隣接する山清郡今西面、咸陽郡柳林面の一帯にある12の村々の住民705人を集めてパルチザンと決め付けて虐殺した。
 2月9日〜11日 居昌良民虐殺事件。 韓国陸軍第11師団第9連隊は、山清・咸陽良民虐殺と同じ虐殺事件を行い、無実の市民を719人を虐殺した。
 犠牲者の内訳は、3歳以下100人、4〜11歳未満191人、11歳〜15歳未満68人、15歳〜60歳未満294人、60歳以上66人であった。
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 1952年1月18日 李承晩は、国民の不平不満を他に逸らす為、アメリカの反対を押し切り李承晩ラインを一方的に宣言し、竹島の不法占拠を開始した。
 李承晩ラインを根拠にして日本漁船を拿捕し、日本人漁民を抑留し、抵抗する者は射殺した。
 日本人漁民達は、強制施設に収容され、非人道的扱いを受けた。
 李承晩は、人質外交で日本政府に圧力を加えた。
 日本政府は、拉致された自国の漁民達を救出する為に在日韓国人達に法的地位と特権を与えた。
 在日韓国人達は、祖国に残してきた個人資産の請求権を放棄した。
 韓国政府は、日本に密航した韓国人達の資産を没収し、日本人漁民達を解放した。
 だが、竹島だけは日本に返す事なく占領を続けた。
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 1953年7月27日 南北分断状態で膠着化した為に、停戦協定が結ばれた。
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 1960年 四月革命。李承晩大統領が失脚した。
 全国血虐殺者遺族会は、四月革命直後には114万人以上が虐殺されたと発表した。
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 1980年5月 光州事件。韓国軍は、民主化を求める活動家とそれを支持する学生や市民を武力で鎮圧し、多くの死傷者を出した。
 韓国軍や警察は、同じ国民に対して実弾を躊躇なく使用し、そして殺した。
 噂では、マルクス主義シンパの金大中が権力を得る為に仕組み、市民運動を利用したと言われている。
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 北朝鮮では、マルク主義政策の失敗で地獄の様な状態に陥り、数百万人が飢餓や行基で死亡していた。
 金日成は、人民の救済などよりも、自分の支配体制を優先して反対派への粛清を繰り返していた。
 朝鮮総連の一部の職員は北朝鮮工作員として、日本各地で日本人拉致に協力していた。
 日本社会党日本共産党などの日本人協力者は、北朝鮮による拉致事件を否定し、北朝鮮を弁護していた。 
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 1987年6月29日 韓国の市民団体は、政府の民主化宣言を事を契機として、軍事独裁体制で政府・軍が行った犯罪行為の掘り起こしを始めた。
 これまで、隠蔽されていた数多くの真実が明らかとなり、朝鮮戦争中やその前後に行われた大量虐殺事件も知られるようになった。
 だが.余りにも凄惨な事実である為に、韓国人自身は歴史から目を背け真実を明らかとする事を拒んで隠蔽した。
 日本の左翼・左派のマルクス主義者は、韓国の独裁者を倒す為に民主化運動を支援していた。
 北朝鮮中国共産党は、韓国、日本、アメリカの同盟関係を破壊すべく工作活動を活発化させていた。
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 2005年 韓国政府は、国民保導連盟虐殺事件が表沙汰になりかけた為に調査委員会を設立し、アメリカ軍機やアメリカ軍地上部隊が非武装の市民を殺害していたとの報告を行い、韓国軍及び韓国警察の関与を否定した。
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 2007年12月3日 ニューヨーク・タイムズ紙は、アメリカに押し付けられた虐殺の罪が冤罪である事を証明する為に、虐殺に関係していたキム・ヨンスク韓国陸軍憲兵軍曹の証言と具体的な虐殺状況を掲載した。
 キム・ヨンスク「銃撃を始めると人々は逃げようとしたがワイヤーで数珠つなぎにされており、ワイヤーが腕を斬り裂き服を真っ赤にした」
 ニューヨーク・タイムズ紙は、共産主義者の嫌疑をかけられ警察署に拘留されている政治犯と、イデオロギーとは全く関係ない女性や子供・乳幼児を含めた数万人もの非武装の市民が裁判もなしに虐殺されたと報じた。
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 2008年1月24日 盧武鉉大統領は、保導連盟事件の犠牲者追悼式に送ったメッセージで、国家権力の不法行為に対して包括的な形で謝罪を表明した
 9月6日 国民保導連盟の犠牲者数は、20万人以上とされた。


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ノグンリ虐殺事件 君よ、我らの痛みがわかるか

ノグンリ虐殺事件 君よ、我らの痛みがわかるか

  • 作者:鄭 殷溶
  • 発売日: 2008/12/22
  • メディア: 単行本