🗻2〕─1─ヤマトの国は、山間の狭い平地で個々人が程良い距離感を取り大いなる和を保っていた。~No.2No.3No.4 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 大和民族日本人の「和」とはヤマアラシのジレンマである。
 日本民族日本人は、ヤマアラシのジレンマで数万年前の縄文時代から日本列島に閉じ籠もって生き残ってきた。
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 日本民族は、東アジアの中華人(中国人や朝鮮人)とは正反対として、我を通さず、争わず、競わず、遠慮がちに空気のように生きていた。
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 2020年10月8日号 週刊新潮「夏裘冬扇 片山杜秀
 和の国、間の国、自助の国
 西洋人が真向かいから邁進してくる。マスクを付けていない。ジョギングか。早い。みるみる迫る。白昼の都心の歩道。よけねば!やや取舵に歩を切る。向こうも少しは曲がるだろう。やややっ!遠慮なく直進してくるぞ。危なくぶつかるところ。すれ違いざまに日本語で怒鳴られた。『邪魔だ!』。飛沫も受ける。なんて奴だ。
 『人間万事塞翁(さいおう)が馬』。出典は『淮南子(えなんじ)』である。ここでの人間は『じんかん』と読むべきであろう。本来の漢語としての人間は、人と人との無数の間の織りなす世界を意味した。広い世の中が人間なのだ。人は自らのしたいようにしたいものだが、大勢居るほど、世が複雑になるほど、そうは問屋が卸さなくなる。『人間(=世の中)万事塞翁が馬』とは、高度な複雑性に満ちた広い世界を恐れよと、諭す言葉なのだろう。
 ということは、裏を返せば、古代中国人は、邁進していれば目の前の日本人は必ずよけると確信していた、あの西洋人同様、個になおそれなりの自負を持っていたのではないか。狭くて複雑性の低い世界なら我は通せるはずと。
 ところが同じ『人間万事塞翁が馬』が日本に入ると、『人のやることは広い世の中(人間{じんかん})がどうなるかは、世の中の広い狭いにかかわらず、常に分からない』といった意味に受け取られがちになるだろう。
 なぜか。日本人が古来、どんなときも我を通さないにこしたことはないと観念して、遠慮深い生き方をよしとしてきたせいではないか。平地が少なく他所にも逃げにくい島国で、隣近所と顔をつき合わせ、我にこだわれば角が立つと、いつも周囲に忖度し、同調のポーズを取りながら、実は心の底では相手を信用していない。怖い。密集生活の中でも、他者に決定的なまでに脅かされず最低限の安心を得られるギリギリの距離感を保とうとし、微妙な間合いをはかる技を繊細に発達させる。
 たとえば茶の湯。茶室の狭さは濃密に仲睦まじくしたいがゆえではあるまい。狭い中でも最後の一線を如何に保つか。その稽古の場が茶室なのだろう。
 わが国で人間という言葉が、原義を離れ、人自体の意で使われるようになったわけも、その辺にあるのではないか。精神と肉体に、どんな蜜の中でも最後の安全を確保するためのギリギリの間で、見えない鎧のようにくっついてこそ人。人とは『人+間』なのだ。
 日本はやまとの国。やまとの語源は山門や山処とも言う。山間の狭い平地で、個々人が際どい距離感を取って大いなる和を保ってきたというわけだ。大和の国とは間合いの国なのである。
 さて、長引く疫病禍の中、日本政府の施策も手詰まりの観を呈し、あとは国民の自助に任されつつあるようだ。日本人は、人との間を取る行動様式の身に付き具合において世界に冠絶(かんぜつ)せる、間が命の民族ゆえ、満員電車で、密な仕事場で、マスクを友とし、ギリギリの間を臨機応変に取り、自力で新しい日常に耐え、経済を回せる。コロナ時代の大和魂の拠り所だろう。
 が、民間防衛には限度あり。間(ま)が魔に魅入られ、人と人との間(あいだ)が壊れだす前に、政治と科学が改めて力を示さねば! 日本国民斯ク戦フ、至急特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ。」
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 心の杜・新宿クリニック
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 心の丸窓(69)新型コロナウイルスヤマアラシのジレンマ
 ☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。
 人と人との心理的距離感についての表現にヤマアラシのジレンマという言葉があります。ショーペンハウアーというドイツの哲学者の寓話に由来するものです。「ある冬の寒い日、たくさんのヤマアラシたちが暖を求めて群がったが、互いのトゲによって刺されるので、離れざるを得なくなった。しかし再び寒さが彼らを駆り立てて、同じことが起きた。結局、何度も群れては離れを繰り返し、互いに多少の距離を保つのが最適であるのを発見した」というショーペンハウアーの話をもとに、精神分析創始者であるフロイト精神分析家のベラックが論じました。ヤマアラシのジレンマは名作アニメの新世紀エヴァンゲリオンでも取り上げられましたので、そこでこの概念を知った人も少なくないのではないでしょうか?
 ヤマアラシが互いに近づこうとするが近づき過ぎると互いに傷つけ合ってしまうように、人と人も精神的に近づきたいが、近づき過ぎると互いに傷つけ合ってしまうという葛藤、ないしはそこから試行錯誤を経て適切な妥協点を見出す過程を表す用語です。友人との関係、恋人との関係など社会におけるいろいろな人間関係において言えることだと思います。親しいからこそ、踏み込んだことを言ったり、言われたりして相手を傷つけてしまったり、自分が傷ついてしまったり・・・。
 このようにヤマアラシのジレンマは人と人との心理的距離をめぐる葛藤について述べていますが、この度の新型コロナウイルス感染の流行では人と人との物理的距離について、新たなヤマアラシのジレンマともいえる葛藤が人々の心に生じていると言えるのではないでしょうか?
 本当は対面で会って人と話したいが、それでは新型コロナウイルスを移したり移されたりしてしまうかもしれないから、会わないで我慢する、あるいはビデオ会議システム、電話、メールなどで代用する。本当は真正面から向かい合って目と目を合わせて話したい。でも向かい合って話すのは感染リスクがあり、話すならば正面よりは斜めや横並びの位置で話す方が望まれる。本当はマスクをしないで自分の顔や表情を見せたいし、相手の顔や表情も見たい。でも感染予防の為にマスクをしないといけない。本当はもっと相手の近くにいたい。でも十分な物理的距離を取らないといけない。
 新型コロナウイルスの流行により、今までは当たり前だった人と人との接し方やコミュニケーションのあり方が、突如リスクを伴う忌避されるものになりました。今まで通り人としっかり触れ合いたいが、それをすることで大切な人や自分自身に危険を及ぼしてしまうかもしれない。そんな状況下でどのようにして私達が安全と人間同士の交流を両立していくか。まさに私達はあらたなヤマアラシのジレンマに直面して、試行錯誤している最中であると言えるのではないでしょうか?
 (月河 葵 記)
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 日本列島は3つの顔を持っていた。
 甚大な被害をもたらす雑多な自然災害が同時多発的に起きていた。大陸・半島から渡来する夥しい死をもたらす疫病の蔓延。
 花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌が生み出すマイナス・イオン、1/fゆらぎが充満していた。
 日本民族心神話・天孫降臨神話・高天原神話に基ずく五穀豊穣の地、豊葦原の稲穂の中つ国。
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 南方系海洋民の縄文人は、数万年前の日本列島の中で生きてきた。
 縄文人は、日本民族日本人・琉球人・アイヌ人の祖先であり、西方系草原の民である漢族系中国人や朝鮮人とは別種のアジア人である。
 南方系海洋民は、操船・素潜り・釣り針文化を持っていた。
 西方系草原の民は、騎馬・荷馬車・投網・縫い針文化を持っていた。
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 縄文人は、新しく移住してきた人間と争う事なく温かく向かい入れ、若い娘を与えて新たなムラ人として向かい入れた。
 その名残が、客人(まろうど)信仰である。
 縄文人達は類い稀な同化力・同調力・変換力で、新しく移住してきた弥生人を受け入れ、弥生人の影響で自分達も地域ごとに多様性豊かに目まぐるしく変化していった。
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 日本列島は、南北に細長く、中央には越えづらい標高の高い山が山脈として連なり、人を寄せ付けない森林が大地を覆い、海岸は複雑に入り組み数多くの岩礁が存在し、大小数え切れない川が幾筋もあり、川の流れは速く、人が安心して住める土地は少なくそして狭かった。
 日本列島を取り囲む海は荒れた海で、近海は岩礁座礁しやすく、遠海は激しい海流が南北から流れ来て難破して流されやすかった。
 日本民族日本人の祖先である縄文人は、手漕ぎ舟で日本列島を中心として、南は沖縄、北は北方領土・千島列島・樺太カムチャツカ半島、西は朝鮮半島南部を行き来しながら生活していた。
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 日本民族日本人の祖先である、縄文人は平和に生きていたが、弥生人は争いを好み殺し合っていた。
 弥生人とは、大陸や朝鮮における政争や戦争に敗れて逃げ出し日本列島に流れ着いた・漂着した惨めな敗者や哀れな弱者である。
 大陸から逃げ出した弥生系帰化人の祖先は、揚子江流域に住んでいた。
 弥生系渡来人は、先住民の縄文人と交わる事なく、高度な知識や技術を生かして排他的閉鎖的に独自で生活した。
 弥生人達は、全国に大小数百という国を建国して反目し殺し合い、殺し合いながら広い平地(平野)で幾つかの王国にまとまった。
 日本列島を殺し合いのない平和な土地にするには、全ての王国を一つにまとめ必要があった。 
 その候補が、渡来系出雲神話を正統とする出雲王国と天孫降臨系ヤマト神話を正統とするヤマト王権であった、それ以外の諸王国には日本を一つにまとめるだけの強い正統神話がなかった。
 つまり、古代国家の正統性は建国神話であった。
 日本民族心神話は、日本統治の正統性をめぐる殺し合いを封じ込める為に天孫降臨系ヤマト神話の中に渡来系出雲神話を吸収して一体化した。
 日本列島が朝鮮半島や中国大陸から切り離された独立した独自の道を行くには、天孫降臨系ヤマト神話を正統とするヤマト王権しかなかった。
 もし、渡来系出雲神話を正統とする出雲王国でまとまれば、日本国は中華帝国の支配を受け、属国として、中華皇帝が任命する国王が日本国の正当統治者となり、中華皇帝が否定すれば日本国王の称号が剥奪され処刑されるか追放される事になった。
 ヤマト大王=日本天皇の存在は、そうした歴史的意味を持っていた。
 が、現代日本ではそれを否定する日本人が増えてきている。
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 ヤマト王権大和朝廷による日本統一は、大陸・半島に比べて最小限の戦闘で完了した。
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 古事記における国譲り物語の大国主命(おおくにぬしのかみ)の記述は、神武天皇以前の部分では3分の1を占める。
 出雲大社は、明治5年まで杵築(きづき)大社と呼ばれていた。
 日本書紀は、大国主命素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子孫としヤマト式の大己貴神(おおなむちのかみ)の神名を授けた。
 出雲大社の主神を大国主命と認めたが、天地開闢(かいびゃく)の三神である天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と神皇産霊神(かみむすびのかみ)・宇麻志阿志軻備比古遅命(うましあしかびひこじのみこと)・天常立神(あまのとこたちのかみ)を配祀した。
 さらに、女性神天照大神の次男の子孫を出雲大社宮司である出雲国造家を継が世襲とした。
 皇室や出雲国造家の正統性は、古代有力豪族ではなく記紀神話に基づく最高女性神天照大神からの血筋である。
 皇室や出雲国造家に世襲された血筋は、2000年以上の昔に遡り、そして民族中心神話の中に存在する神の領域・神聖不可侵に辿り着く。
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 日本国・日本民族の歴史と人類である日本国家・日本人の歴史は別系統の天と地の歴史であるが、戦前の日本は一本にまとめて中華儒教皇国史観の正史とした。
 戦後、マルクス主義階級闘争史観とキリスト教絶対価値史観は否定し破壊した。
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 日本文明は、揚子江流域にあった平和的女系長江文明の後継文明であって、黄河流期にあった好戦的男系黄河文明中国文明・中華文明)の亜流文明ではない。
 長江文明は、黄河文明によって滅ぼされた。
 黄河文明は、領土を拡大する為に虐殺と略奪を繰り返した。
 中華皇帝は天帝の子という正統性で統治し、天帝の徳を広め、徳を受け入れず従わない者は根絶やしにした。
 為に、中国大陸は徳をめぐる正義の戦いで戦乱が絶えず地獄と化していた。
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 日本民族は、雑多な人種・民族・部族によって乱婚を繰り返して生まれた血が汚れた混血(ハーフ)の雑種民族である。
 日本民族日本人と中華人(漢族系中国人、朝鮮人)は、別種の人間であり、同根同種ではなく、一衣帯水の関係や唇と歯の関係などは存在しなかった。
 日本民族日本人に取っての同種は、琉球人とアイヌ人である。
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 日本民族は、明治時代以前には存在していなかった。
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山アラシのジレンマ (ダイヤモンド現代選書)