🪁目次〕─8─中国大陸:黄河文明、中華帝国。🔂朝鮮半島:亜流文化、拝領半島国王。🦠中央アジア:。~No.1 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
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中華文明。黄河文明。草原文明・遼河文明
2018-05-21
🪁2〕─1─中華文明の発祥はモンゴル高原であった。遼河文明古朝鮮と古墳人。~No.2・ @ 
2022-08-11
🪁2〕─2─古今東西遊牧民は文明を築く巨大な原動力だった。~No.3 
2022-08-13
🪁2〕─3・A─ユーラシア大陸の遊牧騎馬文明。東は日本滋賀、西は東欧。モンゴル高原からドナウ河。~No.4 
2022-08-15
🪁2〕─3・B─東アジアの文化とは揚子江の船文化、黄河の馬文化、日本の舟文化である。~No.4 
2023-02-23
🪁2〕─3・C─中国の「南」の民が「北」の民に抱く“警戒と反骨”。~No.4 
2023-12-08
🪁2〕─3・D─長江の上流域にあった第三の古代蜀文明。紀元前316年に滅亡。~No.4 
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2019-10-03
🪁3〕─1─『世界史とつなげて学ぶ 中国全史』〜No.5・ 
2023-11-09
🪁3〕─2─日本人がじつは知っているようで知らない「中国という国」の正体。中華思想。〜No.6No.7 
   ・   ・   ・   
2022-02-26
🪁4〕─1─中国と朝鮮の儒教的掘墓鞭屍文化は神道的穢れと畏れ文化の日本とは違う~No.8No.9No.10 
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春秋戦国時代
2018-11-11
🪁5〕─1─春秋戦国時代。中華の城郭都市は農民を犠牲にし農村から搾取する強欲な商業都市である。~No.11・ @ 
2023-08-20
🪁5〕─2─日本民族が忌避して遠ざけた秦国の老将軍・白起の恐ろしい史実。~No.12No.13 
  ・  ・  
2022-06-21
🪁6〕─1─中国の伝統的統治システムを作ったの漢民族ではなく遊牧異民族であった。~No.14No.15No.16 
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漢王朝武帝。劉氏漢帝国
2018-05-22
🪁7〕─1─前漢朝鮮半島を武力統一して領土とした。中国に仏教伝来。三国志と人口激減。五胡十六国。異民族の侵略で惨めに支配される漢族。~No.17No.18No.19・ @ 
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曹氏魏王国。司馬氏晋王国。
2018-05-24
🪁8〕─1─大量の流入した周辺異民族の移民・難民は、劉氏漢帝国を滅ぼし曹氏魏王国と司馬氏晋王国を建国した。.~No.20No.21No.22・ @ 
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中国南北朝
2023-05-12
🪁9〕─1─中華世界を創ったのは蛮族の騎馬遊牧民鮮卑拓跋」。日本・ヤマト王朝。~No.23 
2023-05-16
🪁9〕─2─中国南北朝鮮卑北魏王朝皇太子の母は死なねばならない。~No.24No.25 
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儒教
儒教の毒。
2018-05-23
🪁10〕─1─儒教の毒。中華儒教による中華思想漢の武帝時代に確立された。中国の侵略戦争武帝が始めた。~No.26No.27No.28・ @ 
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儒教の女性蔑視。
2021-12-01
🪁11〕─1─儒教の中華世界では反乱を防止する為に皇帝の嫡子を産んだ生母は殺された。~No.29No.30No.31・ 
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儒教の家族制度。
2021-02-11
🪁12〕─1─中国人はなぜ契約を破り嘘をつくのか。宗族制度。一族中心主義。実利中心主義。〜No.32No.33No.34・ 
2021-02-24
🪁12〕─2─中国社会を支配してきた宗族倫理と匪賊原理。〜No.35No.36No.37・ 
   ・   ・   ・   
中国虐殺全史。
2020-03-01
🪁13〕─1─中国の伝統戦略とは、最初に買収で、次に軍事力で、最後に虐殺であった。~No.38No.39No.40・ 
2021-06-06
🪁13〕─2─中国虐殺全史。中華民族の偉大なる復興と中国の夢。~No.41No.42No.43・ 
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中国文化。
2020-04-10
🪁14〕─1─中国語・漢字は見て理解する表意文字である。〜No.44No.45No.46・ 
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漢字。
2022-03-10
🪁15〕─1─漢族中国人が一強多弱国で中華世界を支配した力は「人口と漢字」であった。〜No.47No.48No.49 
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2022-04-15
🪁16〕─1─漢民族中国人の本性は阿Q精神。〜No.50No.51No.52 
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2023-04-17
🪁17〕─1─中国の漢詩とは虐殺戦争で白骨化した遺体が覆う平原を歩く壮絶な姿の事である。〜No.53No.54No.55 
   ・   ・   ・   
宗教弾圧
2023-07-20
🪁18〕─1─中国における仏教弾圧。嵩山少林寺。〜No.56No.57No.58 
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2023-07-25
🪁19〕─1─中華・東アジア人と中国・漢族は別物である。〜No.59No.60No.61 
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🔂朝鮮半島:亜流文化。~No.1 
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
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2022-06-22
🔂2〕─1─朝鮮民族のルーツは漢民族から臭穢不潔と蔑まれた北方ツングース系民族。~No.2 
2022-09-12
🔂2〕─2─「韓国人は、日本人と別人種」と考える人の超盲点 「私もモンゴル人力士に似ている」と思ったら…~No.3 
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古朝鮮百済新羅高句麗加羅任那)。
2022-06-26
🔂3〕─1・A─「朝鮮」という呼称に潜む歴史的真実。衛氏朝鮮。~No.4 
2018-05-25
🔂3〕─1・B─古朝鮮百済新羅は、高句麗に備えて倭国に人質を送った。倭人が住む加羅任那)。312年~No.4・ @ 
2022-06-23
🔂3〕─2─教科書が採用しない、朝鮮半島南部「任那日本府」=日本の支配機構説。~No.5No.6 
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2023-05-11
🔂4〕─1─「鉄の王国」伽耶古墳群の世界遺産登録へ。〜No.7No.8No.9 
2018-06-11
🔂5〕─1─倭人任那諸国。親日派百済高句麗、古新羅反日派の統一新羅。〜No.10No.11No.12・ @ 
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2019-01-21
🔂6〕7〕─1─日本と朝鮮の歴史観や価値観は違う。謝る日本。謝らずキレる朝鮮・韓国。~No.13No.14No.15・ 
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🦠中央アジア
2024-02-28
🦠2〕─1─多民族王国西遼は、王女と結婚した蛮族の王族に乗っ取られて滅亡した。~No.2No.3No.4 
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2021-02-23
🏹42〕43〕─1─明の洪武帝福建省の閩人に琉球移住を命じた。久米三十六姓。~No.129No.130No.131No.132No.133No.134 
 洪武帝とは、明の太祖・朱元璋(貧農出身、紅巾賊の頭目)で、長江一帯を平定して、1368年に元王朝を破って異民族のモンゴル族を長城の北へと追い出して中国を再統一し、天子・皇帝となって漢族の明王朝を建国した。
 1644年 明王朝は政争と内乱による虐殺に次ぐ虐殺で弱体した所を、満州族モンゴル族遊牧民族連合に侵略されて滅ぼされ、さらに多くの人々が中国人同士の殺し合いで死んだ。
 その殺戮地獄の余波が、陸続きの朝鮮にも及んび悲惨な状況を生みだしていた。
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 琉球民族とは、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 琉球の中国化は、中国皇帝の代理という権力・権威を持った久米三十六姓が移住する事で本格した。
 中国人移民の子孫が増え、中国との交易で活発化し中華の経済圏・文化圏に組み込まれると、琉球民族から石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)色が薄れた。
 琉球民族は、中華皇帝への忠誠とは別に日本への憧憬を捨てず、中国・漢族よりも倭国日本民族に対する親近感を持っていた。
 その証拠が、中国語を公用語としながら、王宮・政庁・交易の場以外での日常会話における琉球語の中に含まれている倭国語(古墳言語・古日本国語)を大事に残していた。
 久米三十六姓の子孫は、明朝が滅んだ後は清朝に忠誠を誓って琉球における特権階級の地位を維持した。
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 琉球には、源為朝伝説が存在する。
 読み物語「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」:曲亭馬琴作、葛飾北斎画。1807~11年(文化4~8)刊。物語の内容は、保元の乱で捕らえられた源為朝伊豆大島に配流されたが、武勇に優れていたので伊豆七島支配下に置き、九州を併呑し、琉球に渡った。
 鎖国下の江戸時代の庶民は、他国を題材とした数少ない読み物語から海外に対する興味を持ち、その関心が「夷狄からの侵略」という恐怖心・脅威・危機感に変わるや夷敵を殺す攘夷への暴走を生み出した。
 夷狄への恐怖心・脅威・危機感を生み出す最大の要因が、高麗・蒙古連合軍による日本侵略と日本人虐殺であった。
 事実、日本の攘夷は、江戸時代後期のロシアによる軍事侵略と戦国時代のキリスト教による宗教侵略が原因であった。
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 キリスト教の宗教侵略とは、カトリック教会、ローマ教皇が容認した、中世キリスト教会・イエズス会と白人キリスト教徒商人による異教徒日本人奴隷交易の事である。
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 日本文明・日本文化・日本民族は、中華文明・黄河文明・漢族系中国人や朝鮮文化・朝鮮人・韓国人とは縁が薄い。
 中国大陸の漢族系中国人と朝鮮半島朝鮮人・韓国人は、大陸を徒歩か馬・牛などの家畜に乗って移動してきた西方系草原の民や北方系山岳の民の子孫で、移住には殺し合いの戦争が絶えなかった。
 大量のヒト・モノ・カネが移動する大陸では、城塞都市が築かれ、侵略戦争と強奪・虐殺を繰り返され、占領地から膨大な財宝を暴力的に奪って富み栄え、世界規模の文明と文化が生まれた。
 が、朝鮮半島黄河文明の亜流であった為に、半島圏以外に影響をもたらすほどの強く濃い文明や文化は生まれなかった。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
   ・   ・   ・   
 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子に軽はずみの戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行が草薙剣を盗んで新羅に逃げるが捕まる。
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 668年~780年 新羅朝貢の為の日本に遣新羅使を派遣し、遣日本使が30回以上。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
   ・   ・   ・   
 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
   ・   ・   ・   
 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
   ・   ・   ・   
 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および894年 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
   ・   ・   ・   
 906年 延喜の新羅の賊。
   ・   ・   ・    
 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
   ・   ・   ・   
 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
   ・   ・   ・   
 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本の子供約300人を捕らえ忠烈王に戦利品として献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
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 1419年 応永の外寇李氏朝鮮軍による対馬侵略。
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 縄文人であるヤポネシア人、石器人・日本土人、は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部まで、西は朝鮮半島南部、日本海を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と軽蔑していた。
 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
 日本民族琉球民族アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 日本民族は、石器人(ヤポネシア人)、、縄文人(日本土人)、弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 アイヌ民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいた人々が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 琉球民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
   ・   ・   ・   
 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 日本民族は、いつ不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭り繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁を求める文化である。
 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ無にして消し去る事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、一人になりたい、一人で生きたいという憧れである。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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 鎖国下の江戸時代、日本の文化はあるがままでの共存と共生であり、日本の生き方は身の回りでの絆と繋がりであり、日本の生活は目の前の地産地消であった。
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