🌋4〕─2─「縄文人と弥生人に分断はない」教科書で習った定説覆す日本民族日本人のルーツ。~No.12No.13 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年3月17日 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「「縄文人弥生人に分断はない」教科書で習った定説覆す日本人のルーツ
 縄文時代に南方からきた民族が「原日本人」であり、弥生時代には朝鮮半島から北方系の人たちがやってきて、混血となっていった――。義務教育で当たり前に習うことだが、最新の研究によれば不自然な点も見つかっている。宇山卓栄『世界「民族」全史 衝突と融合の人類5000年史』(日本実業出版社)より一部を抜粋・編集し、最新の事実をお届けする。
 【この記事の画像を見る】
● 本来、縄文人弥生人に 分断はない
 近年、遺伝子学の発達によって、われわれ日本人のルーツが明らかになるとともに、それまで有力視されていた学説が覆されています。
 学校教育で、われわれは古代日本における縄文時代弥生時代の区分を最初に習います。稲作がなかった時代が縄文時代、稲作が導入された時代が弥生時代であるという区分概念とともに、半島から渡来人がやって来て、弥生時代が拓かれたということを叩き込まれるのです。
 そして、教科書や資料集の図版では、縄文人の顔と弥生人の顔の対比がビジュアルで示されます。太眉で目が大きく、厚唇で濃い南方系の顔が縄文人。細眉、一重瞼の細い目、薄唇で薄い北方系の顔が弥生人。しかし、この区分にはまったく根拠はなく、巧妙な印象操作を誘発するものでしかありません。
 日本全国の縄文人骨の遺伝子を詳細に分析すると、縄文人が共通の単一民族の基層を持っていたのではなく、北方系から南方系まで、すでに雑多な民族の混合型であったことがわかってきています。
 教科書や一般の概説書では、「二重構造説」というものが解説されます。この説では、南方からやって来た縄文時代の人々(前述の顔の濃い人々)を「原日本人」と規定し、弥生時代に北方系の人々(前述の顔の薄い人々)が朝鮮半島から日本に大量にやって来て、南方系の「原日本人」と混血をして、渡来系弥生人が誕生したとされます。
 一方、渡来人は沖縄や北海道(アイヌ民族領域とされる)へはほとんど入らなかったため、これらの地域では、南方系の先住日本人の血統が保たれます。このように、日本人には「原日本人」と弥生人の2つの系列があるとされることから、「二重構造説」と呼ばれるのです。この説は1990年代に定説となっていきます。
 「原日本人」の血統を残す沖縄と北海道の人々、つまり、琉球人とアイヌ民族は遺伝子上の近似性があるとされ、これが「二重構造説」の大きな論拠とされてきました。2012年の国立遺伝学研究所東京大学の研究でも、両者は近似性があるという結果が出ています。
 しかし、よくよくその調査の内容を見ると、遺伝子を提供した者がアイヌ民族である保証などはなく、遺伝子サンプル自体に問題があったといわざるを得ません。サンプルの対象となったのは「北海道日高地方の平取町に居住していたアイヌ系の人々から提供を受けた血液から抽出したDNAサンプル」といった説明がなされ、提供者の平取町の居住者がアイヌ民族であるということを前提にしていますが、彼らがアイヌ民族であるという証拠があるのかは不明です。普通の日本人の遺伝子を拾っている可能性が高いでしょう(アイヌについては後述)。
 一方、二重構造説に懐疑的な立場から最新の研究成果を数多く上げている国立科学博物館の篠田謙一副館長によると、「二重構造説では、アイヌ民族と沖縄の人々の近縁性を指摘していますが、両者のハプログループ(共通の染色体を持つ集合のこと)は大きく異なっていることもわかっています」とのこと(2019年)。つまり、遺伝子サンプルの採取の仕方、近似基準の取り方によって、結果が大きく異なるということが示されています。
 いずれにしても、一般に流布している「アイヌ民族琉球人近似説」は極めて怪しいものであることは間違いなく、それを論拠にしている「二重構造説」もまた、信用するに値しない破綻した説といえるでしょう。
● 「二重構造説」により 渡来人を持ち上げようとする意図
 「二重構造説」は、縄文時代末期から弥生時代に渡来人が大量にやって来たということを前提にしていますが、そもそも、どのくらい大量だったのか、はっきりとしたことはわかっていません。それにもかかわらず、「二重構造説」は北方系の渡来人が先住日本人を急激かつ大規模に変化させたと主張しています。
 さらには、この急激な変化が縄文時代の狩猟採集の生活を弥生時代の稲作生活に構造転換させた証拠であると説明され、朝鮮半島からの渡来人が稲作などの文明をもたらし、弥生の文明開花が可能になったのだという理屈が導き出されます。このように「二重構造説」はそもそも虚偽に満ちており、渡来人を持ち上げようとする何らかの意図が背後にあるのではないかとさえ疑いたくなります。
 すでに縄文時代から、あらゆる系統の民族が漸次的に日本にやって来て、漸次的に多民族間の混血が進み、日本人が形成されていったと見るのが実態に即した捉え方です。特定の地域の特定の民族が日本人を劇的に変えたというような動的な変化などなかったことが最新の遺伝子研究からわかってきているのです。
 民族の劇的な変化には、征服や戦争が必然的に伴います。大規模な陰惨な殺し合いがなければ、民族が別の型の民族へと上書きされることなどありません。日本では、縄文末期から弥生にかけて、そうした大規模な戦争が行なわれた形跡は見つかっていません。殺人用武器や兵器なども見つかっていません(中国などでは、頻繁に発掘される)。
 かつて、弥生人の人骨が面長で、縄文人の人骨が丸顔であるとする発掘調査が報告されたことがありましたが、これも実は、部分的なサンプルだけを意図的に抽出したものに過ぎません。全体の人骨を俯瞰すれば、弥生が面長で、縄文が丸顔などという定型的な区分ができないことは明らかであり、特定の時期に民族が入れ替わったことはないとわかります。文明的にも、縄文時代末期の紀元前1000年頃に、稲作文化が漸次的に普及していき、弥生時代にそれが確立したのであり、その社会的変化と移行は長期におよぶ緩やかで静的なものでした。
 縄文時代末期に、北方系の渡来人がやって来たということ自体は否定できません。彼らが日本に移住し、日本人や日本社会に同化していったことは間違いありませんが、それは「二重構造説」が言うような、急進的かつ大量なものではなく、日本の古代社会を根底から覆すようなものではなかったということを強調せねばなりません。
 「二重構造説」が言う分断的な現象などなく、むしろ、「辺境残存説」とでも言うべき重層的な現象こそが実態に即していたと考えられます。日本の縄文人の遺伝子や文化が本州よりも、沖縄と北海道などの辺境で維持されやすかったというのは当然のことであり、前述の沖縄と北海道の人々(アイヌ民族ではなく、日本人)の遺伝子が近接しているという調査結果はこうした現象を反映したもので、アイヌ民族をも巻き込んだ「二重構造説」の誇大主張を補強するものではありません。
 宇山卓栄
   ・   ・   ・   
 2022年2月19日 ダイヤモンド・オンライン「元外交官が語る、日本は「血統」を大事にする世界でも珍しい国
 山中俊之:著述家/国際公共政策博士
 ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門
 「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の”根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも”民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。
 元外交官が語る、日本は「血統」を大事にする世界でも珍しい国
 世界標準ではない日本の「血統主義
 2013年、現在の天皇陛下がまだ皇太子だった頃にスペインを訪問し、セビリア南西にあるコリア・デル・リオという街で植樹式を行いました。1613年に伊達政宗が派遣した支倉常長率いる慶長遣欧使節団の子孫を訪ねてのことです。
 支倉は帰国していますが、そのまま現地に留まった日本人も数十人いたとされ、村には今もスペイン語で日本を意味する「ハポン」という姓の住民が暮らしています。
 彼らが本当に日本人の子孫なのか諸説ありますし、400年も経っているのでヨーロッパ人の風貌をしています。しかしハポンさんたちは、「日本の血を引くサムライの子孫だ」と自認しているようです。
 当時の次期天皇ハポンさんに会う日程を政府が組むというのは、日本人がいかに日本の血を大切にしているか、その象徴のように思えます。
 日本は、世界では珍しい「血統」重視の国。国籍は血統にもとづいており、「同じ人種・日本の血」にこだわります。
 日本生まれの日本育ちでも、姿かたちが黒人や白人だと「英語が話せるはずだ」と思い込んだり、差別の対象になったりします。血統主義だから「姿形が日本人と異なる=日本人の血が入っていないに違いない=外国人」と決めつけてしまいがちです。
 また、テニスの大坂なおみ選手のように「姿形は違っても、日本人の血が入っているなら日本人」とみなされるケースもあり、これも別の形で表れた血統主義です。
 「いくら他の国で生まれ育ったとしても、日本人なのだから日本語が話せるはずだ」という思いがあるから、彼女の母語である英語ではなく、あえて日本語で記者会見をさせたかったのでしょう。
 日系ブラジル人に対して日本の労働ビザがスムースに出るのも、血統主義の影響です。しかし、彼らは「自分たちはブラジル人である」と自認していることが多いでしょう。
 最近はずいぶん理解が進みましたが、かつては日系ブラジル人に対して、「えっ、田中さんって日本の名前だし、顔も日本人なのに、なぜ日本語を話せないんですか?」などと聞く人もおり、当惑する場面も多かったようです。
 血統主義である日本では、国籍は一つ。大坂なおみ選手は日本国籍を取得しましたが、だからといって彼女のアイデンティティが「日本だけ」というのは、ずいぶんと狭いものの見方です。
 自らが語るように黒人の血をひく女性であり、アジア系でもあり、アメリカ文化を持ち、ハイチと日本の血統を持つ多面的な存在が大坂なおみという人であり、国籍を日本にしたからといって、彼女の民族性をどれか一つに決めるというのは無理があります。
 国籍というのは近代になり、国家というものができてから生まれたシステムにすぎません。
 「二重国籍、多重国籍を認め、血統主義ではなく出生地主義をとる」という血統主義の国は日本以外にもありますが、世界全体を見渡せば、これが国籍の大きな潮流です。
 また、日本の血統主義者には「血のつながり=同質性」と考える人が少なからずいるので、姿形が日本人と異なるハーフと呼ばれる子どもたちは、不要な悩みを抱える可能性もあります。
 ハーフは、英エコノミスト誌で hafu として紹介されている和製英語で、日本における外国人差別の一環とも捉えられています。ダブルやデュアルといったいい方で肯定的に捉える動きも出てきました。
 出生地主義で知られるアメリカは、仮に不法移民であっても、アメリカで生まれたらアメリカ国籍が取れるために、ダイバーシティ先進国。多様性を重んじる豊かな社会を作りたいのなら、出生地主義が有利といえそうです。
 厚生労働省の人口動態統計によれば、2018年の日本の国際結婚は2万1852組。つまり、両親のどちらかが日本国籍ではない人は、増加傾向にあります。
 日本の国際結婚カップルの多くは「日本人と中国人」「日本人と韓国人」で人種としては同じですが、今後は白人、黒人とのインターレイシャルな結婚も増えていくでしょう。
 長らく血統主義だったからこそ、日本はこれまで意識してこなかった「人種」について、改めて学ぶ必要があるでしょう。
 なぜいま、「民族」を学ぶべきなのか?
 「ダイバーシティが重要」「世界の多様な価値観を理解すべき」……。このような声を聞くことが最近増えましたが、ダイバーシティやその前提となる多様な文化・価値観を理解するためには、民族について知っていることが重要です。
 元外交官が語る、日本は「血統」を大事にする世界でも珍しい国
 『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』山中俊之著、定価1760円、ダイヤモンド社
 しかしながら、世界96カ国を巡り、様々な国や民族の人たちと仕事をしてきた私からすると、日本人の民族への理解――いわば「民族偏差値」は、世界最低レベルだと思います。
 日本人は単一民族ではないものの、限りなく単一民族的です。みんな似ているし、争いはあまりないし、言葉もそう違わず、結婚・就職の差別も世界的に見ればとても少ない。
 ただし、多様性がないから無知になり、発想が貧しくなります。多様であることが新たな文化を育み、イノベーションのもとになるのです。
 元外交官が語る、日本は「血統」を大事にする世界でも珍しい国
 ダイバーシティSDGsが重視されるこれからの時代に向けて、もはや「民族」は必須教養です。拙著『ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』では、「民族」を知るために必要な材料を揃えました。
 言語、宗教、歴史、芸術文化を含む壮大なテーマではありますが、ビジネスエリートなど忙しい人たちのために、ポイントを絞ってお伝えしています。
 本書を読めば、皆さんの民族への知識はおおいに深まるでしょう。「これまでとは“世界の見え方”がガラッと変わる」。そんな書籍に仕上がっています。皆さんの助けとなる1冊となれば、著者としてこれほど光栄なことはありません。
  ・   ・   ・   
 2022年3月25日 ダイヤモンド・オンライン「人種・宗教・文化・言語…
 「民族の分かれ目」はどのように決まるのか?
 山中俊之:著述家/国際公共政策博士
 ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門
 「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の“根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも“民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。
 人種・宗教・文化・言語…
「民族の分かれ目」はどのように決まるのか?
 Photo: Adobe Stock
 文化・思想・政治に影響を及ぼす宗教
 宗教とは、神または人智を超越した存在を認めて、教義や戒律を定めたもの。宗教は人々の文化、芸術、生活習慣、儀式、思想に多大な影響を与えてきました。
 民族を定義する上で、宗教は欠かせない要素であり、特定の民族においては特に重要な意味を持ちます。
 たとえば、イスラム教はアラブ諸国にとって法律や文化、生活と分かち難く結びついています。立憲君主制であるイギリスのエリザベス2世の場合は、国を治める主権は持っていませんが、イギリス国教会の最高権威者です。
 また、ユダヤ教を信じる人はすべてユダヤ人(ユダヤ民族)であるとされています。イスラエルユダヤ教ユダヤ民族のための国。イスラエルにはアフリカ系ユダヤ人の移民が多く、私が最後に訪問したのは2018年ですが、訪れるたびに街に黒人が増えている印象があります。
 彼らは2000年前にエチオピアその他のアフリカへと移住した同じユダヤ人の子孫とされています。
 歴史のなかで他人種と結婚したり、環境に適応したりしたために姿形が違っているけれど、ようやくイスラエルに戻ってきた同胞である――この“ユダヤの血”は証明しようがありませんが、彼らはユダヤ教によって同じユダヤ民族になっているのです。
 トルコとギリシャ、インドとパキスタンのように、「宗教の違いが国の分かれ目、民族の分かれ目」となっている国もあります。
 オスマン帝国ギリシャは、宗教によって国・民族が分かれた非常にわかりやすい例だと思います(以前は「オスマントルコ」といわれていましたが、トルコではないため、「オスマン帝国」に改められました)。
 かつてのオスマン帝国には、さまざまな言語・宗教の人がおり、皇帝はイスラム教徒で、その妻や母は多くの場合、元キリスト教徒でした。
 今のロシアあたりから略奪されてきた美しい女性がハーレムで暮らし、皇帝に見初められて子どもを産む……。
 生まれはキリスト教徒だったヨーロッパ系の人が、ハーレムで見初められたくらいのタイミングでイスラム教に改宗したようです。
 そのため、歴代のオスマン皇帝の肖像画は、中東系というよりはヨーロッパ系の顔立ちをしています。
 庶民の間でもイスラム教とキリスト教間の婚姻はありました。その結果、今のトルコのトルコ人は、日本人からするとヨーロッパ人との区別がつかない外見の人が多くなっています(これに対して中央アジアのトルコ系の人々はアジア系の外見の人が多くいます)。
 このように多様だったオスマン帝国が滅び、近代のケマル・アタテュルクのトルコができた1923年、ギリシャとの間で住民交換の合意書が交わされました。
 「イスラム教徒は全員、血統的にギリシャ系であってもトルコ人だからトルコに住む。キリスト教なら血統にかかわらずギリシャに住む」
 つまり支配者たちは、宗教で人々を二国に分けたのです。その結果、お互いに征服したりされたりを繰り返してきたにもかかわらず、トルコにはあまりキリスト教徒がおらず、ギリシャにもイスラム教徒があまりいません。
 両国に住む人々は、宗教によって違う「民族」になったということです。
 言語が同じで文化や習慣がかなり近くても、宗教が異なるために異なる民族となり、そればかりか激しい紛争の火種となることもあります。その典型的な例がボスニアヘルツェゴビナの紛争で、同じ国で暮らす人たちが、宗教の違いで殺しあう悲劇が起きました。
 繰り返しになりますが、宗教は言語・文化生活習慣と分かち難く結びついているので、時に民族紛争を生むほどに、民族を構成する上で欠かせない大きな要素といえます。
 しかし、同じキリスト教であってもカトリックプロテスタントの信者が半々に近いドイツ人が、プロテスタント系ドイツ人という民族と、カトリック系ドイツ人という民族に分かれているかといえば、そんなことはありません。
 宗教は、民族を決める大きな要素だが、民族を決めるすべてではない、ということも同時に押さえておきましょう。
 なぜいま、「民族」を学ぶべきなのか?
 「ダイバーシティが重要」「世界の多様な価値観を理解すべき」……。このような声を聞くことが最近増えましたが、ダイバーシティやその前提となる多様な文化・価値観を理解するためには、民族について知っていることが重要です。
 人種・宗教・文化・言語…
「民族の分かれ目」はどのように決まるのか?
 『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』山中俊之著、定価1760円、ダイヤモンド社
 しかしながら、世界96カ国を巡り、様々な国や民族の人たちと仕事をしてきた私からすると、日本人の民族への理解――いわば「民族偏差値」は、世界最低レベルだと思います。
 日本人は単一民族ではないものの、限りなく単一民族的です。みんな似ているし、争いはあまりないし、言葉もそう違わず、結婚・就職の差別も世界的に見ればとても少ない。
 ただし、多様性がないから無知になり、発想が貧しくなります。多様であることが新たな文化を育み、イノベーションのもとになるのです。
 人種・宗教・文化・言語…
「民族の分かれ目」はどのように決まるのか?
 ダイバーシティSDGsが重視されるこれからの時代に向けて、もはや「民族」は必須教養です。拙著『ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』では、「民族」を知るために必要な材料を揃えました。
 言語、宗教、歴史、芸術文化を含む壮大なテーマではありますが、ビジネスエリートなど忙しい人たちのために、ポイントを絞ってお伝えしています。
 本書を読めば、皆さんの民族への知識はおおいに深まるでしょう。「これまでとは“世界の見え方”がガラッと変わる」。そんな書籍に仕上がっています。皆さんの助けとなる1冊となれば、著者としてこれほど光栄なことはありません。
   ・   ・   ・