👪46〕─1─リーダー論。正論を吐く人は「リーダーの器」がないといえる訳。~No.166 

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 歴史的事実として、人の好い好人物をリーダにはしてはならない。
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 2023年12月7日 YAHOO!JAPANニュース「正論を吐く人は「リーダーの器」がないといえる訳
 坂本龍馬西郷隆盛に学ぶ白黒をつけることの愚
 眞邊 明人 : 脚本家、演出家
 組織のリーダーに求められる、組織内の対立や矛盾を解決するための力を、坂本龍馬西郷隆盛に学びます(写真:ふじよ/PIXTA
 「彼にはリーダーとしての器がない」などと言われることがあります。ここで言われる「器」とは具体的にはどのようなものなのでしょうか? 組織内の対立や矛盾を解決するために求められる力について、『小説 人望とは何か?』の一部を抜粋・編集のうえ、坂本龍馬西郷隆盛に学びます。
 対立や矛盾は解消できない
 組織のリーダーは、常にさまざまな情報に晒されます。それはときとして、単純な善悪論だけでは済まないこともあります。
 人望のあるリーダーは、言葉を変えると「器の大きい人」ともいえます。ここでいう「器」とは「視座」を指します。善悪はものごとの判断の1つの尺度ではありますが、ある側面では善であってもある側面からは悪であるというような矛盾が生じる場合があります。
 例えば、会社の重要な会合と、子どもの誕生日が重なるといったとき、組織という側面から見れば、会社の会合を優先するのは善でしょう。しかし、家族という側面で見ればそれは悪です。
 このような対立や矛盾は至るところにあります。顧客と会社、社会と個人、上司と部下など、器の大きな人とは、これらを高い視座から俯瞰し、その対立や矛盾を小さくすることができる人です。
 ポイントは、対立や矛盾は解消できないことがあるということです。解消できればそれが一番ですが、解消するよりも対立や矛盾を小さくする努力をすることが大切なのです。
白黒をはっきりさせることは心理的には気持ちがいいことです。いわゆる正論というやつですね。しかし、正論は聞いている分には爽快ですが、多くの場合、空論です。実際に実行できるかというと難しい。国会で野党ができもしない政策を声高に叫んでいるのが最たるものです。
 対立や矛盾を小さくするというのは、得てしてグレーですっきりしないものです。だからこそ、それを「誰が」行うかが重要になるわけです。すっきりしない部分を「誰が」というところで補うわけです。
 坂本龍馬西郷隆盛を評した言葉
 かつて明治維新の立役者、勝海舟のお膳立てで西郷隆盛に会った坂本龍馬が西郷を評した言葉に、
 「西郷という男はよくわからぬ男だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」
 というものがあります。西郷隆盛は自分の考えに固執することなく、相手の意見を聞き、その中でその都度判断をする人物です。一見すると、思想や信条がないように見えます。西郷の盟友であった坂本龍馬にも同じことがいえました。
 龍馬は、尊王から開国、倒幕から大政奉還とコロコロと立場を変えます。しかし、それは尊王や倒幕という視座の位置の人から見ればという話であって、龍馬の視座は「日本を良くする」という位置でしたから、龍馬にとっては立場が変わっているわけではなく一貫しているのです。
 西郷隆盛も全盛期は「薩摩」の利益を追求しながらも常に「日本」に視座を置いていました。だからこそ、徳川慶喜の首を求め、江戸城総攻撃を主張する官軍を抑え込み「江戸城無血開城」を成し遂げたのだといえます。
 その「視座」と同じく重要なものが、「視座」と対になる「価値観」です。単純に視座だけではなく、その視座から見た景色がどんなものであるかが明確に描けている必要があります。視座やそこから見た景色は、簡単に共有できるものではありません。だからこそ、人はそれを「見ることのできる」リーダーを求めるのです。
 最近はそういったリーダーは少なくなっているような気がします。皆、細かいマネジメントですべて白黒をつけて、目の前の目標だけを追い続けて、常に部下と同じ視座で考えるリーダーが多いのではないでしょうか。視座を下げることがだめなことではありません。指導において視座を下げる、目線を合わすということは技術の1つです。しかし同時に高い視座で常に見続け、そこから見える景色の中で判断をすることこそが「人望のあるリーダー」の姿なのです。
 先ほど「人望」と述べましたが、そもそも人望とはなんでしょうか。辞書で「人望」を引いてみると、以下のような意味が記されています。
 「その人に対して多くの人が寄せる尊敬・信頼・期待の心」
 単純に読めば、尊敬できたり、信頼できたり、期待できたりする人です。言葉としてはイメージしやすいでしょう。しかし、ここで大事なことが1つあります。尊敬・信頼・期待は「何に」対して生まれるのでしょうか? これが人望を生み出す重要な要素です。「何に」を理解しなければ、人望を理解したことにはならないのです。
 その答えは「価値観」です。尊敬・信頼・期待は「価値観」が共有されていなければ生まれません。多種多様でバラバラの価値観の中では人望を集めることは難しいといえます。
 ですので、人望を獲得するには、何よりも「価値観」を理解することが重要です。「価値観」とは「何に価値があるかの判断基準」です。平和・豊かさ・自由など、その基準はさまざまあります。そして価値観を共有する集団が組織を形成します。
 組織は共通の価値観を持った人が集まるからこそ、効率よく大きな力を発揮することができます。企業であれば、規模を拡大し、よりたくさんの人にサービスや製品を展開できるでしょうし、政党であれば、目指す社会を実現することができます。チームスポーツであれば、勝利を得ることができるでしょう。
 人望あるリーダーの組織は合意形成が早い
 そして組織には必ずリーダーが必要です。リーダーは組織における意思決定者です。このリーダーに必要なものこそ、「人望」です。人望のあるリーダーとは、尊敬・信頼・期待を部下から集めているリーダーです。
 こういう人物がリーダーであれば、部下はリーダーの意思決定に対して迅速に従うでしょう。つまり合意形成が速く、行動が速くなります。一方、人望のないリーダーは、部下を説得しなければならず、合意形成に時間がかかります。仮に強引に従わせたとしても意欲が低いわけですから、その行動が遅く、精度も低いものになるでしょう。人望は組織の目的達成には欠かせないものでもあります。
 人望を集める人はその組織が持つ「価値観」の最も優れた体現者である必要があります。他の誰よりも、「価値観」に対する判断基準が明確で厳しい人です。企業であれば、その「価値観」は「企業風土」で表されることが多いでしょう。国であれば「国民性」、チームであれば「チームカラー」です。
 最近、組織においては多様性という名のもとに「価値観」が分散されてしまう傾向にあります。組織の中の「価値観」がバラバラだと、当然ですが、人望を集めるリーダーは生まれません。価値に対する基準が人によって違うのですから、そこに尊敬・信頼・期待が集約されることはないでしょう。
 また、最近、人望のある人を、「誰からも嫌われない人」「誰からも好かれる人」と捉えている人が多いようです。そして、そのためには「相手の価値観を受け入れる」ことが重要という風潮があるようですが、これは間違っています。もちろん、否定してはいけない個人の価値観は存在します。しかし、同時に組織として「共通の価値観」も絶対に不可欠です。
 企業を例にとると、ベンチャー企業には強烈な「共通の価値観」があります。「新しい製品を世に出す」「上場して一流企業の仲間入りをする」などの目的のために、「何をすべきか」という価値観が社内に形成されやすいからです。
 一方、大企業になると、目標は「前年度比15%アップ」など、共感の得にくい経営層だけのものがピラミッド式に下に落ちていくだけの状態になりがちで、「何をやるべきか」はマニュアル化されており、「価値観」は形骸化され、さらにそこに多様化の波がきてしまうことにより、判断基準も曖昧になり、「判断できないリーダー」が大量に生まれてしまうという結果になります。
 人望を集める人は、その人の資質というよりも、その組織そのものの状況によるものが大きいのです。その意味では、組織が価値観を強く持つのは、「創成期」と「危機期」です。組織自体が環境に対して能動的に動くタイミングに価値観が強く生まれ、その価値観を体現する人物が現れ、その人物が人望を集めるのです。
 組織内で「良い」「悪い」を明確にする
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 企業には大抵の場合、ミッション、ビジョン、バリューが定められていますが、この中では「バリュー」こそが、その名の通り「価値観」を示すものです。「バリュー」と「企業風土」が一致しているのが望ましいのですが、最近はこの手の言葉はただのお飾りになっているケースが多いようです。これは非常にもったいないことです。また、この手の文言は大抵の場合、抽象的な美辞麗句であることが多いといえます。
 バリューを価値観に変えるためには「良い」「悪い」が明確になることが必要です。例えば、「変革」であれば、「変革」を促す行動が明確に定められ、「変革」を阻害する行動が明確に定められる必要があります。そして、それはすべての階層、すべての職種に当てはまらなければなりません。それが定められたとき、「人望」が生まれる素地ができあがるのです。
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