☰44〕─1・A─福沢諭吉は、残虐な朝鮮人に絶望して『脱亜論』を発表した。『学問のすすめ』。~No.113No.114No.115 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 福沢諭吉は、朝鮮を中国の永久属国から独立させるべく協力して失敗し、朝鮮人に失望し絶望して『脱亜論』を主張した。
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 韓国の諺「泣く子は餅を一つよけいに貰える」
 朝鮮人・韓国人の「泣き女」は、金を貰って、人前で恥も外聞もなく号泣して同情を誘うのが上手い。
 朝鮮人・韓国人は、日本人とは違って、公衆の面前でも何処でも直ぐに慟哭する事ができる。
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 1890年 山縣有朋首相は、ドイツの法学者シュタイン博士から学んだ「主権線・利益線論」をもとに施政方針演説を行い、「外交政略論」を提出した。
 日本をロシア帝国の侵略から防衛し独立を維持する為には日本独自の主権線があり、主権線を守る為にはその周辺の利益線を確保する必要があると。
 「我邦利益線の焦点は実に朝鮮にあり」
 日本の大陸侵略は、この時ハッキリと国策となった。
 朝鮮は、反日を鮮明にして、日本の侵略から祖国を守るべく清国やロシア帝国と密かに手を組んで対抗した。
 日本も朝鮮も祖国防衛として戦い、日本は一国で孤独に戦い、朝鮮は大国の支援を受けて戦った。
 日本と朝鮮の敵対関係は、古代から続く宿命であった。
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 朝鮮は、1393年に李成桂が明の太祖洪武帝から「朝鮮」の国号を授けられ、1910年に日本によって独立を与えられるまで、518年間惨めな属国であった。
 正統派儒教は、身分卑しく土に塗れて働く民衆を虫けらと見なして、教養ある人間と認めていなかった。
 中国同様に、官災による残虐非道の地獄であった。
 民衆は、名はあっても姓を持たず、文字の読み書きもできず、算盤勘定もできず、王侯や両班のエゲツナイほどの搾取を受け、地獄の様な悲惨な生活を続けていた。
 金銭を持たず、商店もなく、物々交換を行う市のみがあった。
 民衆は、「ケンチャナヨ」と諦めきって、己を欺き、他人を貶めて、公より個を優先し、ありとあらゆる悪事を働いて自分だけの目先の利益に狂奔して恥じる事がなかった。
 朝鮮において、真実や正しい事は、「中国の属国である」といこと以外は少なかった。
 日本とは違って、信用も、信頼も、信義も、道議も、人として守るべき規範・規律・法律もなにもなかった。
 全てが、人治であった。
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 厳しい身分社会ゆえに、両班といえども科挙に合格して官職に付かねば差別された。
 両班は、科挙に合格する為に有力者に賄賂を送り、官吏で出世する為に権力者に媚びへつらい賄賂を送った。
 資産の乏しい両班は、賄賂の金を得る為に、地方官として任地に赴き蓄財の為に庶民に対して法外な重税を課した。
 庶民は、厳しい身分差別で虫けらの様に虐げられ、搾取されていた。
 李膺福『朝鮮統治改革論』
 1,一地方官に立法、司法、行政権を与えた為、庶民の生活権を蹂躙し、強圧搾取を欲しいままにした事。
 2,裁判は、権勢の大小、賄賂の多寡によって判決を決め、殆ど一審で結審された。
 3,権勢のある者は、個人用の牢屋を作って賄賂を取り、金のない罪なき庶民を逮捕して狭く汚い牢屋に座れないほどに押し込めて監禁し、勝手に拷問し、新たな罪人を入れる牢屋を開ける為に罪がなくとも処刑した。
 4,両班の子孫でなければ、どんなに才能があっても士官の道を閉ざした。
 5,庶民に二階建て以上の家に住む事を禁止し、才能ある者が出れば無実の罪を着せて社会から抹殺した。
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 明治14(1881)年 金玉均は、朝鮮を完全に開国させ近代化する為には日本に学ぶしかないとして、国禁を犯して福澤諭吉に使者を送った。
 福澤諭吉は、国を憂うる金玉均の国を念う志に感動し、朝鮮国の近代化を助ける為に留学生の受け入れを承諾した。
 福沢諭吉らは、清国の2000年属国である朝鮮を独立させ、日本と共に近代化さ、ロシア帝国の侵略に立ち向かうべく開化派の金玉均達を物資両面で支援した。
 李氏朝鮮閔妃ら保守派は、反日派として、金玉均を暗殺し、首と手足をバラバラに切断して晒した。
 日本以上に、朝鮮は、人間を解体するのが好きで、半殺しの拷問や猟奇的な処刑を狂喜して行った。
 福沢諭吉は、日本ではあり得ない非人道的残額行為に絶望し、朝鮮人の心と志のなさに失望し、日本の将来の為に朝鮮との友好を諦め、日本の安全の為に切り捨てる事を訴えた。
 救いようのない、両班と役人が賄賂や横領で腐敗堕落しきった社会であった。
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 心ある日本人は、朝鮮人の実態を目の当たりにして、余りにも自己中心的傲慢さに辟易し、共に語らう真面な相手ではないと絶望し、近寄らず親しくせず関係を断つしかないと覚った。
 江戸時代に、なぜ幕府が国交を開こうとしなかったが理解できた。
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 親日派金玉鈞ら開化派の志に共鳴する日本人達は、金玉均が暗殺された3月27日を命日として、金玉鈞の墓のある青山墓地で毎年慰霊際を行っている。
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 『朝鮮独立党の処刑』  
「2.5. 第五段落
 右は本月16日時事新報の朝鮮事件欄内に掲載したるものなれば、読者も知らるる所ならん。
 抑も此刑戮は国事犯に起りたるものにして、事の正邪は我輩の知る所に非ず。
 刑せられたる者と刑したる者と、孰れが忠臣にして孰れが反賊にても、我輩の痛痒に関するなしと雖ども、今の事大党政府の当局者が能く人を殺して残忍無情なるの一事に於ては、実に驚かざるを得ず。
 現に罪を犯したる本人を刑するは国事に至当のことならんなれども、右犯罪人の中、車弘植の如きは徐載弼の僕にして、変乱の夜、提灯を携えて主人の供をしたるまでの罪にして死刑を免れず。
 壮大の男子を殺すは尚忍ぶべしとするも、心身柔弱なる婦人女子と白髪半死の老翁老婆を刑場に引出し、東西の分ちもなき小児の首に縄を掛けて之を絞め殺すとは、果して如何なる心ぞや。
 尚一歩を譲り老人婦人の如きは識別の精神あれば、身に犯罪の覚えなきも我子我良人が斯る身と為りし故に、我身も斯る災難に陥るものなりと、冤ながらも其冤を知りて死したることならんなれども、3歳5歳の小児等は父母の手を離るるさえ泣き叫ぶの常なるに、荒々しき獄卒の手に掛り、雪霜吹き晒らしの城門外に引摺られて、細き首に縄を掛けらるる其時の情は如何なるべきや。
 唯恐ろしき鬼に掴まれたる心地するのみにして、其索の窄まりて呼吸の絶ゆるまでは殺さるるものとは思わず、唯父母を慕い、兄弟を求め、父よ母よと呼び叫び、声を限りに泣入りて、絞索漸く窄まり、泣く声漸く微にして、終に絶命したることならん。

 人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。
 我輩は此国を目して野蛮と評せんよりも、寧ろ妖魔悪鬼の地獄国と云わんと欲する者なり。
 而して此地獄国の当局者は誰ぞと尋るに、事大党政府の官吏にして、其後見の実力を有する者は即ち支那人なり。
 我輩は千里遠隔の隣国に居り、固より其国事に縁なき者なれども、此事情を聞いて唯悲哀に堪えず、今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤おすを覚えざるなり。

 事大党の人々は能くも忍んで此無情の事を為し、能くも忍んで其刑場に臨監したるものなり。
 文明国人の情に於ては罹災の人の不幸を哀むの傍に、又他の残忍を見て寒心戦慄するのみ。
 抑一国の法律は其国の主権に属するものにして、朝鮮に如何なる法を設けて如何なる惨酷を働くも、他国人の敢て喙を容るべき限りに非ず。
 我輩これを知らざるに非ずと雖ども、凡各国人民の相互に交際するは、唯条約の公文にのみ依頼すべきものにあらず、双方の人情相通ずるに非ざれば、修信も貿易も殆ど無益に帰するもの多きは、古今の事実に証して明に見るべし。
 然るに今朝鮮国の人情を察するに、支那人と相投じて其殺気の陰険なること、実に吾々日本人の意相外に出るもの多し。
 故に我輩は朝鮮国に対し、条約の公文上には固より対等の交際を為して他なしと雖ども、人情の一点に至ては、其国人が支那の覊軛を脱して文明の正道に入り、有形無形一切の事に付き吾々と共に語りて相驚くなきの場合に至らざれば、気の毒ながら之を同族視するを得ず。
 条約面には対等して尊敬を表するも、人民の情交に於て親愛を尽すを得ざるものなり。
 西洋国人が東洋諸国に対し、宗旨相異なるがために双方人民の交際、微妙の間に往々言うべからざるの故障を見ることあり。
 今我輩日本人民も朝鮮国に対し又支那国に対して、自から微妙の辺に交際の困難あるを覚るは遺憾に堪えざる次第なり。」
 『福澤諭吉全集 第10巻』(岩波書店、 1960年)所収の論説、「朝鮮独立党の処刑」(221頁)。
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『脱亜論』
 世界の交通の道は便利になり、西洋文明の風は東に進み、至る所、草も木もこの風に靡かない事はない。
 西洋の人物は古代と現在に大した違いは無いのだが、其の活動が古代は遅鈍、今は活発なのは、ただ交通の機関を利用し、勢いに乗じるが為である。
 故に最近、東洋の我が国民の為に考えると、此の文明が東に進んで来る勢いに抵抗して、之れを防ぎきる覚悟であれば、それも良い。
 しかし、いやしくも世界中の現状を観察し、事実上それが不可能な事を知る者は、世間と共に文明の海に浮き沈み、文明の波に乗り、文明の苦楽を共にする以外には無いのである。
 文明は、未だ麻疹(はしか)の流行の様なものだ。
 目下、東京の麻疹は西国の長崎地方より東に進み、春の暖気と共に次第に蔓延するものの様である。
 この時、流行病の害を憎み、之を防ごうとするにしても、果してその手段はあるだろうか?
 我が輩は断じて、其の手段は無いものとする。
 有害一辺倒の流行病も、其の勢いにはなお抵抗できない。
 いわんや利益と害悪がともない、常に利益の多い文明はなおさらである。
 之を防がないばかりではなく、努めて其の普及を助け、国民を早くその気風に染ませる事が智者の課題である。

 近代西洋文明が我が日本に入ったのは、嘉永の開国を発端とする。
 国民はようやく其れを採用するべき事を知り、次第に活発の気風が生じたものの、進歩の道に横たわる時代遅れの幕府というものがあり、之はいかんともできなかった。
 幕府を保存しようとすると、文明は決して入って来る事ができない。
 何故かというと、近代の文明は日本の旧体制と両立するものではなく、旧体制を改革すれば、同時に幕府も滅亡してしまうからである。
 だからといって、文明を防いでその侵入を止めようとすれば、日本国の独立は維持できなかった。
 何故ならば、世界文明の慌しい情勢は、東洋の孤島の眠りを許すものではなかったからだ。
 此処において、我が日本の人士は、国を重く、幕府を軽いとする大義に基づき、又、幸いに神聖なる皇室の尊厳によって、断固として旧幕府を倒し、新政府を立てた。
 政府も民間も区別なく、国中が一切万事、西洋近代文明を採り、唯日本の旧法を改革したばかりではない。
 アジア全域の中にあって、一つの新機軸を確立し、主義とするのはただ、脱亜の二字にあるのみである。

 我が日本の国土はアジアの東端に位置するのであるが、国民の精神は既にアジアの旧習慣を脱し、西洋の文明に移っている。
 しかし此処に不幸なのは、隣国があり、その一を支那といい、一を朝鮮という。
 此の二国の人民も古来、アジア流の政治・宗教・風俗に養われて来た事は、我が日本国民と異ならなずという。
 だが人種の由来が特別なのか、亦は同様の政治・宗教・風俗の中にりながら、遺伝した教育に違うところがあるのか、日・支・韓の三国を並べれば、日本より支那・韓国はよほど似ている。
 此の二国の者達は、自分の身の上に付いても、また自分の国に関しても、改革や進歩の道を知らない。
 交通便利な世の中にあっては、文明の物事を見聞きしないわけではないが、耳や目の見聞は心を動かす事にならず、その古臭い慣習にしがみつく有様は、百千年の昔と同じである。
 現在の、文明日に日に新たな活劇の場に、教育を論じれば儒教主義といい、学校で教えるべきは仁義礼智といい、一から十まで外見の虚飾ばかりに拘り、其の実際においては真理や原則を知見する事がない。
 其ればかりか、道徳さえ地面を這うように残酷破廉恥を極め、なお傲然として反省の念など持たない者の様だ。
 我が輩から此の二国を見れば、今の文明東進の情勢の中にあっては、その独立を維持する道はない。
 我らの明治維新の様に、幸い国の中に志士が現れ、進歩の手始めとして政府の大改革を企て、政治を改めると共に人心を一新する様な活動があれば、其れはまた別である。
 もしそうならない場合は、今より数年たたぬうちに亡国となり、その国土は世界の文明諸国に分割される事は、一点の疑いもない。
 何故ならば、麻疹と同じ文明開化の流行に遭いながら、支那・韓国の両国は伝染の自然法則に背き、無理に之を避けようとして室内に引き籠もり、空気の流通を遮断して、窒息しているからだ。
 「輔車唇歯」とは隣国が相互に援助しあう喩えであるが、今の支那朝鮮は我が日本の為に髪一本ほどの役にも立たない。
 のみならず、西洋文明人の眼から見れば、三国が地理的に相接する為、時には三国を同一視し、支那・韓国の評価を以て我が日本を判断するという事もありえるのだ。
 例えば、支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律が信頼できなければ、西洋の人は、日本もまた無法律の国かと疑うだろう。
 支那、朝鮮の土人が迷信深く、科学の何かを知らなければ、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思うに違いない。
 支那人が卑屈で恥を知らなければ、日本人の義侠もその影に隠れ、朝鮮国に残酷な刑罰があれば、日本人もまた無情なるかと推量されるのだ。
 事例を数えれば、枚挙にいとまがない。
 喩えるならば、軒を並べた或る村や町内の者達が、愚かで無法、しかも残忍で無情なときは、たまたまその町村内の、或る家の人が正当に振るまおうと注意しても、他人の悪行に隠れて埋没する様なものだ。
 其の影響が現実に現れ、間接に我が外交上の障害となっている事は実に少なくなく、我が日本国の一大不幸というべきである。

 されば今日の戦略を考えるに、我が国は隣国の開明を待ち、共にアジアを興す猶予はないのである。
 寧ろ、その仲間から脱出し、西洋の文明国と進退を共にし、其の支那、朝鮮に接する方法も、隣国なるが故に特別扱いするに及ばず、まさに西洋人が之に接する様に処分すべきである。
 悪友と親しく交わる者も、また悪名をまぬかれない。
 我が輩は心に於いて、東アジア東方の悪友を謝絶するものである。
              明治18(1885)年3月16日
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 福沢諭吉「独立のきりょくなき者は、国を思う事は深切ならず」
 「世の学者、経済の公論に酔いて仁恵の私徳を忘れるなかれ」
 福沢諭吉が目指したのは、学問報国であった。
 熱烈に国を思い、国民と国家を守り、子孫の為に未来を切り開く事を教えた。
 狂信的な愛国心ではなく、合理的な愛国心であった。
 戊辰戦争で多くの血を流し、多くの死によって成し遂げた明治維新が、舶来好みの軽薄な西洋礼賛一辺倒に陥る事を戒めた。
 日本古来の歴史と文化に根ざした日本に、東洋の教条的な知識に変わって西洋の進歩的な知識を注入して、国家を西洋から守る為の独立自尊の精神を花咲かせる。
 研鑽を積むのは、自分の為であると同時に、国の為、社会の為、人の為であり、独り善がりの自己満足ではないと説いた。
 我が世の春を求める立身出世ではなく、日本を強化して外敵から守り、豊かにして子孫に残す事であると。
 学問とは、その為にあるのだと。
 底の浅い軽薄な平和主義者でもなければ、現実離れした夢想的な平等主義者でもなかった。
 時代と共に思慮分別のない短絡的な西洋崇拝者が増加する事によって、日本は道を間違え破滅へと暴走し始めた。
学問のすすめ
 「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり、無学な者は貧人となり下人となるなり」(12頁)
 「我日本人も今より学問に志し、気力を慥(ぞう)にして、先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものは打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこのことなり」(28頁)
 「智者上に在って諸民を支配し上の意に従わしめて可なりと。この議論は孔子様の流儀なれども、その実は大いに非なり」(29頁)
 「英人は英国をもって我本国と思い、日本人は日本国をもって我本国と思い、その本国の土地は他人の土地に非ず、我国人の土地なれば、本国の為を思う事我が家
を思うが如し、国の為には財を失うのみならず、一命をも抛(なげうっ)て惜しむに足らず。これ即ち報国の大義なり」(30〜31頁)
 「孟子の教えに不孝に三あり、後なきを大なりとすと。余答えて云わく、天理に戻ることを唱うる者は孟子にても孔子にても遠慮に及ばず、これを罪人と言って可なり。妻を娶り、子を生まざればとてこれを大不孝とは何事ぞ。遁辞というもあまり甚だしからずや。苟も人心を備えたる者なれば、誰か孟子の妄言を信ぜん」(79頁)
 「今の学者何を目的として学問に従事するや。不覊(ふき)独立の大義を求めると言い、自主自由の建議を恢復すると言うに非ずや。既に自由独立と言うときは、その字義の中に自ずからまた義務の考えなかるべからず。独立とは一軒の家に住居して他人へ衣食を仰がずとの義のみに非ず。こはただ内の義務なり。なお一歩を進めて外の義務を論ずれば、日本国に居て日本人たる名を恥しめず、国中の人と共に力を尽くし、この日本国をして自由独立の地位を得せしめ、始めて内外の義務を終わりたりと言うべし」(93頁)
 「彼(西洋)の富強は実に羨むべしと雖も、その人民の貧富不均等の弊をも兼ねてこれに倣うべからず、日本の租税寛なるに非ざれども、英国の小民が地主に虐せらるるの苦痛を思えば、却って我農民の有様を祝せざるべからず」(141頁)
 「この雑沓混乱の最中に居て、よく東西の事物を比較し、信ずべきを信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つべきを捨て、信疑取捨その宜しきを得んとするはまた難きに非ずや。然り而して今この責に任ずる者は、他なし、ただ一種我党の学者あるのみ。学者勉めさるべからず。蓋しこれを思うはこれを学ぶに若かず。幾多の書を読み、幾多の事物に接し、虚心平気活眼を開き、もって真実の在るところを求めなば、信疑忽ち処を異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり」(142頁)
 「凡そ人間世界に人望の大小軽重はあれども、荀にも人に当てにせらるる人に非ざらば何の用にも立たぬものなり」(152頁)
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 ヘンドリッグ・ハメル「(朝鮮人は)彼らは盗みをしない、嘘を付かない、騙したりする強い傾向があります。彼らをあまり信用してはなりません。他人に損害を与える事は彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません」(『朝鮮幽囚記』)
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 山路愛山朝鮮人と云う奴は一筋縄で行けるのぢあ無い。……有り難いの百万遍も並べて礼を言ふから、本当にさうかと思つて居りあ。腹ぢあ舌を出して居やあがる。口と心が違つて居る。心と顔が違つて居る。正直そうでこすく、馬鹿のようで疑い深かい。人の恩は山ほどの事も右から左へ忘れる。其代り怨は何時までも腹の中に隠して置いて金輪際決して忘れないと云ふのが朝鮮人の持前だ。わつしは朝鮮人をそう見抜いたのだ。……朝鮮人は日本人には苦手だ。朝鮮人は日本人の相談相手にはならねい」(『一平民の朝鮮論』)
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 朝鮮日報(2012年2月2日)「韓国は法廷で虚偽の証言をする偽証や、他人による嘘の告訴・告発により、いわれのない事件に巻き込まれるケースが世界で最も多い」
 「(日本に比べて)偽証罪が427倍、虚偽告訴罪は543倍に達する」
 「血縁・地縁・学閥を土台とする縁故主義・温情主義と、金さえ貰えるのであれば何でもできるという考え方が、時に〝息を吐く様に嘘を付く〟などといわれるような社会の雰囲気を作り上げているのだ」
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 朝鮮人は、日本人とは善悪や正邪の価値基準が正反対で、悠長に構えて物事に拘らず呑気で真顔で嘘を平気で付く。
 全て自分中心に考え、面子のみに拘り、恥を恥と感じず、罪を罪と思わない。
 嘘偽りが、バレたらバレたで鷹揚に開き直り、バレなければ有能さを自慢する。






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