☰64〕─1─明治天皇の崩御。朝鮮の障害者差別文化、伝統的舞踊「病身舞」、民族的葬祭「高麗舞」。明治43年10月~No.200No.201No.202 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 世界史常識。滅ぼされた王国の王家は、ビルマ王家のように根絶やしにされて消滅するか、ハワイ王家の様に庶民に落とされて追放された。
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 日本の行った行為は、世界の非常識であった。
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 明治天皇は、台湾出兵、日清・日露戦争韓国併合を裁可した。
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 日本には、朝鮮の障害者差別文化は存在しない。
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 日本政府は、天皇の裁可を得て、朝鮮貴族令を公布した。
 両民族の和合の為に、朝鮮国王李氏を皇族待遇とし、有力な朝鮮貴族に爵位を与えた。
 朝鮮の王族や貴族は、無条件で日本の皇族や華族に列された。
 侯爵6名、伯爵3名、子爵22名、男爵45名。
 拒絶した男爵、8名。
 自殺した男爵、1名。
 三・一運動に参加して爵位を剥奪された子爵、2名。
 アヘン吸引していて剥奪された伯爵、1名。
 皇室は、本音はどうであれ、建て前として皇族の資格を得た李氏王族を全ての皇族会議に出席させた。
 終戦を決めた、1945年8月12日の皇族会議にも参加した。
 日本国民は、明治天皇の詔に従って朝鮮華族に敬意を払った。
 日本軍部は、朝鮮華族が入隊を希望するや、その爵位に相応しい士官教育を施し、朝鮮氏名のまま部隊長として日本軍兵士を指揮させた。
 日本軍兵士は、上官が、日本人であろうが、中国人であろうが、朝鮮人であろうが、天皇が認めた将校として、将校の命令は天皇の命令として受け入れた。
 天皇の命令は、絶対であった。
 朝鮮氏名のまま、総選挙で国会議員になった在日朝鮮人もいた。
 白人エリート将校の独占であった戦闘機操縦士や小艦艇の船長にも、朝鮮氏名の将兵がいた。
 世界史的に、占領地で地元有力者に爵位をあた与える事は珍し事でない。
 朝鮮では、日本の皇族や公家に対して敬意を払わずに、単なる下賤の庶民として軽蔑した。
 良くて、日王として朝鮮王の下位に置いた。
 悪くすると、奴隷の王として全ての朝鮮人の下位として侮蔑した。
 朝鮮人にとって、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)が日本の国家元首であるという事には一切興味がなく、差別し、否定して当たり前と考えていた。
 そして、天皇とその家族を殺すのも上位者の自由であると。
 上位者が下位者の生殺与奪の権利を持つという考えは、儒教の行動原理として東アジアに存在する。
 儒教が正当化する権利を素直に行使していたのが、差別思想である中華思想を信奉する中国人である。
 中国人がこだわる面子とは、この儒教的権利の侵害である。 
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 李氏朝鮮王室は、日韓併合を受け入れるに於いて『朝鮮王室儀軌』167冊を写本して日本の皇室に献上した。
 その他の貴重な書物も写本されて、日本に寄贈するか売却された。
 古書を好む日本人は、原本を求めた。
 朝鮮人は、歴史的文献が金になると知るや原本を所有者のもとから盗み出して高値で売った。
 日本人が朝鮮から盗まなくても、朝鮮人が金儲けの為に売りに来ていた。
 朝鮮人は、天命思想という儒教価値観から、日本人ほど民族の歴史に興味が無かった為に歴史的資料の保存に無頓着であった。
 朝鮮戦争において、朝鮮にあった貴重な原本は焼失するか、朝鮮人が自ら強奪して欧米諸国に売った。
 だが。2011年に、日本政府は『朝鮮王室儀軌』を日本が略奪した文献と認め、1965年の日韓基本条約文化財の請求権問題は解決しているにも関わらず、日韓友好の証しとして返還した。
 現代日本の政治家や官僚に、正すべき物事の道理が理解できず、正しい筋道を通す事ができない者が増えている。
 日本人の劣化は、時間と共に酷くなっている。
 大統領府直属の機関である国家ブランド委員会(2009年設立)は、日本国内にある朝鮮由来の文化財は日本が植民地支配で略奪した物だから全て返還せよと要求した。
 こうした要求は、日本に対して特に強く、欧米諸国に流失した文献の返還要求はしていない。
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 日本は、朝鮮を合邦して、儒教身分制度を強制的に廃止し、非人間的両班支配を強引に止めさせ、民族的常識を無視して虐げれていた下層階級や女性を解放した。
 差別されていた下層階級は社会進出が許され、家で軟禁状態に押し込められていた女性は外出が許された。
 文化も、中華的抑圧された両班文化から近代的解放された大衆文化に変わった。
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 1910年10月1日 寺内正毅統監は、初代総督に就任した。自己中心主義にして排他的な朝鮮の統治は困難である為に、庶民の生殺与奪の権を持っていた反日両班階級の協力を要請した。
 両班は、協力する条件として、親日団体である一進会(会員約100万人)や開化派組織の解散を要求した。
 寺内統監は、陰謀渦巻く陰惨な朝鮮政党史に無知であった為に、言われるままに全ての親日派団体を解散させた。
 事大派両班は、総督府を利用して政敵達を弾圧した。利権を日本側に高く売りその法外な賄賂を受け取り、搾取を積極に搾取を手伝い合法的な報酬を得て私腹を肥やした。
 両班は、農民や庶民を人とみなさず、人権も認めず、搾取の限りを尽くしていた。その憎悪を、全て日本人に振り向けて白を切り通した。
 親日として活動した開化派や一進会は、事大派と手を組んだ日本の裏切りに激怒し、反天皇反日活動に参加して、貧困にある庶民や奴卑・賤民らを組織して反日武装独立運動を始めた。
 朝鮮総督府は、反日派の一掃の為に弾圧を行って、両班の助言に従って武断政治を行った。
 人の好い日本人は無警戒な為に、人心を掌握する能力に長けた両班に上手く煽てられ、朝鮮人の憎しみを一身に買ってしまった。
 教養ある両班は、朝鮮に無恥な日本人を上司に祭り上げた。自主申告の土地調査事業を利用し、無学文盲の農民を騙し土地を合法的に没収して大地主となった。 
 儒教は、身分低いは農民や庶民の教育を無意味として禁止していた。もし見付ければ厳罰を下し、財産を奪い、家族諸共に奴卑として売り払った。
 多くの農民は、先祖代々の土地を奪われ零細小作農に転落して、生きる為に満州に移住した。
 資産を増やした両班は、日本の殖産興業政策に協力し、資金を提供して経営に参加した。
 両班などの既存支配階級は、総督府に協力する事で、教育、金融、交通運輸、通信、電力、重工業、農業、医療など全ての分野を支配し、莫大なる利益を得た。
 朝鮮駐屯軍司令部の麾下にあった憲兵隊を、朝鮮駐屯憲兵隊として独立させ、治安強化の目的で普通警察と統合させた。
 人員も、日本人憲兵・警察官と朝鮮人憲兵補助員・警察官合計8,000人を1万6,000人以上に大増員し、全道1,624カ所の憲兵分遺所に配置した。
 駐屯部隊の強化として二個師団に増強したが、ロシア帝国を刺激しない為に平時編制で、交替制とした。
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 日本は日韓併合で、日本人には理解できない伝統的悪習の「病身舞」や「高麗舞」など幾つかを廃止させ、非人道的拷問や猟奇的死刑を禁止した。
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 日本人警官は、朝鮮語が話せないし、地理も分からなかった為に、協力的な下層民出身者を使っていた。
 下層民は、両班への今までの恨みを晴らすかのように乱暴な取り調べを行い、地獄のような拷問を行った。
 語学力のない日本人には、昂奮した朝鮮人ががなり立てる朝鮮語がさっぱり理解できなかった。
 日本人は、今も昔も外国語に弱く、外国語が覚えきれず理解できなかった。
 当然、朝鮮語を話せる日本人は極少数であった。
 この当時の日本語と朝鮮語には、類似した所は全くといっていいほど存在しなかった。
 日本語と朝鮮語が似てきたのは、日本統治が進んでからである。
 朝鮮文化と日本文明・日本文化が全く異なる以上、言語も違っていて当然である。
 日本統治が始まる以前の朝鮮語は、日本文化の影響を受けている韓国語とは違って、古典的中国文化の影響が強い。
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 ロシア帝国内は、マルクス主義者による暴動的共産主義革命騒ぎで、朝鮮への領土的野心はもうなかった。
 ロシアは、共産主義者テロリストによる暗殺事件が頻発して、混乱していた。
 共産主義者は、主義主張を大義として、人の命を虫ケラ以下の価値しかないと断じ、人間間に殺したいほどの憎悪を掻き立て、各地で流血事件を起こしていた。
 国際的共産主義者は、誰よりも流血を好んだ。
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 総督府は、治安維持対策として、反日運動を抑え込む為に言論の自由を弾圧した。
 反日的記事を掲載し、反日義兵を支援する民族派の新聞紙や雑誌を全て廃刊に追い込んだ。
 そして、愛国暴動を未然に防ぐために集会と結社の自由を奪った。集会取締令を発し、新民会などの反日的組織(会員の大半がキリスト教徒)はもちろん、親日的な一進会や大韓協会も解散させた。
 寺内統監は、日韓併合を成立させるや、評判の悪かった一進会を強制的に解散させた。
 真剣に朝鮮の将来を憂い日本との提携しかいと考えていた会員は、ほんのごく少数であった。
 大半が、日本に協力する事で、併合後に官吏となり賄賂を取って裕福な生活できると期待を膨らませて命懸けで働いたのに、一人当たり15銭を渡されて追い出された事に激怒した。
 彼らの夢は、貧困で悲惨な朝鮮社会を改善する事ではなく、李氏朝鮮王朝時代の様な高位高官になる事であった。
 初代総督寺内正毅は、朝鮮の儒教身分制度を撤廃し、総人口の半数の姓名を持てなかった常民や賤民や奴婢に創氏を許し、両班だけに許されていた教育を義務化してハングル・漢字混合文を普及させた。
 教育の近代化として、新規を否定し古典の丸暗記である科挙の制度を廃止した。
 無能でも両班の子弟であれば任官し立身出世できたところを、有能であれば貧しい常民でも官吏への道を与えた。
 朝鮮総督府は、朝鮮の近代化の為に、民意を暴力的に押さえ込んできた儒教的賄賂社会という悪習を改革した。
 見える形として、自然を回復させる為に植林を行い、自然と共生する日本式農業の普及に努めた。
 儒教的保守派は、朝鮮から古来の伝統が汚され文化が破壊されると反発した。
 一進会に参加していた親日両班は、働かなくても食えるという特権を剥奪され、庶民の様に働いて生計を立てる身分に落とされた事に激怒して、反日闘争に参加した。
 李容九は、日本の裏切り行為と旧一進会員からの憎悪でショックを受け、失意の中で死亡した。
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 都市部にいた反日的知識人や文化人は、地方に移り住み愛国啓蒙活動とキリスト教布教活動を行った。反日派の宣撫活動によって、北部朝鮮は愛国心に燃え独立運動を支援した。
 総督府は、鴨緑江鉄橋が来年11月に開通し、12月に満鉄と京義鉄道が一本につながるにあたり、北部朝鮮における反日活動の弾圧を本格化させた。
 鉄道の安全運行の為にも、鉄道線路付近の反日活動を排除する必要があった。 
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 12月27日 憲兵隊は、北部朝鮮で反日活動をしていた安重根の従弟安明根を、寺内正毅総督の暗殺を計画していたとして逮捕した。
 内田良平(朝鮮支配での善意としての悪政)「一例をあげれる。李朝時代には禿山が多かった。農民は山が荒れても植林をしなかった。大木を育成すれば、役人に只で持って行かれるからだ。しかし植林して、山に保水機能を持たせ、朝鮮を富ませなければいけなかった。そこで寺内は毎年4月3日(神武天皇祭の日)を植樹祭の日にして、自ら率先して苗を植えに山に入った。李朝伝統の労働蔑視感を持つ両班の官吏にまでこれをやらせて恨みを買った。無断で木を切った農民には、李朝伝統の炊け笞打ちで処罰して彼らの恨みを買った。処罰担当の下級役人は朝鮮人である」
 儒教価値観の朝鮮人は、決して善意を恩義と感じる事はないし、感謝する事も決してない。「火病」から、他人と同じ事をしてくれなければ差別として激怒し、差別に対する恨みは相手を殺したいほどの衝動を生みだした。
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 1911年 原敬内相は、某国会議員との会談で、朝鮮人を日本人とするために選挙権を与える冪だと語った。
 「朝鮮人は朝鮮の行政に参画し、朝鮮人議員が将来、帝国議会に参加する事はなんの問題もない」
 朝鮮人の政治参加が推進された。
 大隈重信「朝鮮を犠牲にして我が国を偉大にする事はできない」
 政府高官や軍部幹部の多くは、庶民の朝鮮蔑視認識とは違って、融和的植民地政策を推進していた。
 渋沢栄一「工業化を厳しく制限する会社令が、朝鮮半島の商工業の破壊につながる」
 10年頃の朝鮮に於ける製品生産量に占める工業製品の割合は、3.3%に過ぎなかった。
 低賃金の朝鮮人労働者の日本渡航が増える事で、日本人労働者の職場が奪われ失業者が増加する事が問題化し始めた。
 日本政府と朝鮮総督府は、朝鮮人出稼ぎを減らす為に朝鮮半島の工業化を国税と民間投資で進めた。
 朝鮮の工業化によって、工業製品率は29年には12%、40年には22%に増加した。
 半島北部の鉱山開発も本格化して、工業生産は更に急増した。
 日中戦争が勃発しるや、国内生産だけでは軍需物資生産が賄いきれなくなった為に、朝鮮半島を重要な兵站基地として重工業化が進められた。
 戦時体制が敷かれるや、軍事関連産業が急激に成長して、朝鮮人労働者熟練工の売り手市場となった。
 朝鮮に於ける貧富の格差は、知識や技術が有るか無いかで広がった。
 だが。教養や技術を持たない貧困層朝鮮人は、依然として日本に出稼ぎに出て、低賃金の単純労働に従事した。
 朝鮮総督府は、日本姓名の使用を許可すると朝鮮人と日本人が区別できなくなるとして、総督府令第124号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を施行した。
 山口豊正「朝鮮の事大主義は、国民性にまで及んでおり、朝鮮人は何時までも勢力の強い者に追従し、俗に言う強く出れば折れる。弱く出れば付け上がるというように、弱い者と見ればあくまででこれを軽侮し、制圧を加える代わりに強者に対しては理非に関わらず、従順を表明するのである。
 一度は中国を尊敬し、追従していたにも関わらず、今では中国人を鼻先で待遇しつつあるのも、これを証明するものである。彼等が恩義を知らず、恩義を重んじないのは一面に於いて事大主義に基ずくと言えなくもない」
 アメリカは、日本とイギリスの同盟を分断し、イギリスをアメリカよりにするべく第三次日英同盟更新交渉に介入した。そして、アメリカを両国の脅威対象国から外す事と、イギリスは「日米開戦の際に日本を支持する義務はない」という条文を加える事を認めさせた。
 イギリスは、国際海運業の独占体制というが国策が新興海運国日本の台頭で脅かされると警戒し、海運業の支配体制を維持する為に日本の海運を極東海域に封じ込める必要があった。自国の国益を守り為には、文化風習を異にする非白人非キリスト教徒日本人より、気心の知れた同じアングロ・サクソンアメリカとの関係を重視すべきとして、外交方針を変更した。つまりは、アジアからロシア帝国の脅威が後退した以上は日英同盟の存在価値は薄れたと判断しのである。
 事実。日本海運各社は、民族金融資本による造船業の育成により、船舶発註をイギリスなどの国際的造船会社ではなく日本の財閥系造船会社に行った。
 日本経済の自主独立方針が、国際経済での孤立を招いた。
 日本は、悲願としている屈辱的不平等条約である日米修好通商条約の改定を条件として、アメリカの要請を受け入れた。新たな日米通商条約の締結によって、日本の国際交易がアメリカによって保証され、必要原材料の輸入と日本製品の輸出が自由に出来るようになった。
 原敬内務大臣は、朝鮮人が日本語能力を十分付けたあかつきには、朝鮮に於ける地方行政に参加させる為に選挙権を与え、日本人同レベルの国民意識を持てば法における公平性から帝国議会朝鮮人議員を参加させるべきであると主張した。
 1月1日 安岳事件。憲兵隊は、安明根の同志や支援者とされた160名以上の反日活動家を逮捕し、寺内総督暗殺計画に加担しているかを自白させる為に拷問にかけた。
 容赦のない拷問で、幾人かが留置所で死亡した。
 裁判結果、18名を暗殺計画に関与したと認めて重刑を課した。だが、暗殺が未遂に終わった事を理由にして死刑判決はなかった。
 1月18日 大審院は、幸徳秋水ら24名に死刑判決を、新田融に懲役11年、新村善兵衛に懲役8年の判決を下した。
 平沼騏一郎大審院次席検事は、論告求刑で「動機は信念なり」とした。
 1月19日 12名を無期に減刑された。
 1月24日 幸徳秋水ら11名の死刑が執行された。
 戦後。明治天皇暗殺計画に関与していたのは、宮下太吉、管野スガ、森近運平、新村忠雄、古河力作の5名と判明した。
 事件は、思想弾圧しようとした警察当局のでっち上げとされている。
 皇帝や国王に叛逆して殺害を計画し、皇室や王室に対する謀叛を企てた犯罪を大逆罪と呼ぶ。実行犯は死刑に処せられ、その陰謀を知っていた者は同罪として極刑に処せられ、知っていなかったとしても組織の一員であれば容赦なく有罪となった。それが、世界の常識である。
 国家元首への大逆事件に、温情を与えて無罪にする国は存在しない。
 現代日本の歴史は、孝徳秋水ら12名を処刑した事を、国家権力による人権無視の弾圧であるとして非難している。
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 アジアの革命闘士の多くは、日本に留学して、日本人から近代化を学んだ。
 アジア諸国の指導者の多くも、日本で学んでいた。
 マルクス主義共産主義などの革命関連も、和製漢字による書籍で学んだ。
 東アジアの近代化は、日本で作られた和製漢字で広がった。
 もし。軍国日本がなければ、近代化への革命は数十年後になったか、起きなかった。
 現代の東アジアは、軍国日本によって生まれた産物である。
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 4月9日 吉原大火。日本には、江戸時代から天災が起きるや牢獄の囚人や遊郭の遊女を助ける為に「解き放し」を行っていた。
 日本は、儒教価値観が薄かった為に、罪人であろうと、身分卑しい者であろうと、娼婦・売春婦・遊女であろうと、一人の人間として平等に扱った。
 中国や朝鮮は、人間不信であるが故に、こうした下層階級を人間とは見なさず、獣としてあしらい、そして罪の意思もなく驚喜して陰惨な方法で猟奇的に殺した。
 囚人や遊女らは、大火が鎮火して騒ぎが収まれば、指定された寺に集まり、囚人は牢獄に、遊女は遊郭に、それぞれ戻った。
 囚人や遊女は、ごく少数であったといわれている。
 大陸では、これ幸いと逃亡し、国外に逃げるか、国内に隠れ住んだが、島国では逃げ隠れする場所がなかった。
 江戸時代の人口は約3,000万人で、人の噂は日本全国に伝り、良いも悪いも欺し誤魔化しができなかったからである。
 狭く逃げ出せない島国空間では、無限大に近い空間を持つ大陸のように嘘八百を並べ立て他人を貶め殺して大金をせしめるという事ができずらかった。
 故に。島国は、性善説で他人を信用し、平等と公平に最善の気配りをしないと生きられない、人間圧の強い息苦しいまでの不自由な閉塞的運命共同体社会となる。
 対して。大陸は、性悪説で他人を信用せず、差別と格差と搾取と略奪が特定個人に特権として許される、人間圧の弱い束縛のない自由な開放的利益共同体社会となる。
 集合体の多神教が島国の地中深く根ざし、個人の一神教が大陸の表面を風の様に通りすぎる。
 国際化とともに、島国の土俗的文化、伝統、宗教、風土、習慣などが、大陸の普遍的なモノによって消滅するのが歴史の事実である。
 世界史的真実からいえば、古代性を持った島国日本が消滅するし、それが歴史の運命である。
 その兆候は、現代日本で目立ち始めている。
 吉原の遊女数千人も、各楼から解き放たれて大火から逃げ、鎮火するやほとんどが焼け野原の吉原に戻った。
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 9月 寺内正毅朝鮮総督暗殺未遂事件」「宣川事件」「朝鮮陰謀事件」。朝鮮総督府は、暗殺未遂事件に関わったとして約700人の朝鮮人を逮捕した。
 証拠不十分で釈放された者以外の
ら122人の裁判は、翌12年に始まった。
 総督府は、反日勢力を撲滅する為の武断統治を続けて秘密結社の新民会(会長、尹致昊)を事実上壊滅させた。
 刑期を終えて釈放された元新民会員達は、中国やアメリカに逃亡して抗日活動を続けた。
 李承晩(イスンマン)は、アメリカに亡命した。
 金九(キムグ)は、上海に逃亡してテロ組織を結成して爆弾テロを指揮した。
 李東輝(イドンフィ)は、ロシア沿海州に亡命して、在留朝鮮人マルクス主義思想を教えて革命組織を組織した。
 李東寧は、教育者として反日の愛国教育を推進し、日韓合邦の後は満州に脱出して独立運動の拠点を造って活動を続けた。
 安昌浩は、併合された祖国を日本から救うべく、海外の朝鮮人を組織して大韓国人国民会を組織した。
 反日朝鮮人による暴力的独立運動は、中国や日本に広がっていった。
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 1912年 孫文の革命は、日本から、日本人の協力で始まった。
 頭山満黒龍会系右翼は、辛亥革命を支援した。
 1月3日 第一革命。辛亥革命によって、大国清国が倒れた。
 内田良平頭山満ら右翼諸勢力は、アジア主義から孫文や黄興らを積極的に支援した。右翼団体黒龍会は、多くの大陸浪人を混乱した中国に派遣して暗躍した。
 中国の崩壊によって、極東アジアは激動の時代に突入した。
 朝鮮でも、反天皇反日朝鮮人のテロ活動が活発化し始めた為に、総督府は警戒を強めた。
 日本は、清朝を中国における正統政府と認め、明治維新で成し遂げた日本式立憲君主制による近代化を指導していた。その為に、清国が派遣した優秀な中国青年を多く受け入れ、西洋的近代教育を施していた。
 民族主義に目覚めた孫文ら革命派は、異民族による清帝国を倒して漢族による共和国を建設する為に、辛亥革命を目差した。
 日本政府は、清国の要請に従って革命派を国内から追放したが、中国の事は中国人の自主性に任せるという内政不干渉の原則に従って、革命の行方を静観した。
 山県有朋ら元勲は、孫文ら革命派を内戦を引き起こす乱世の奸雄と嫌い、中国の平和と安定の為に清朝を守ろうとしている袁世凱を支持していた。
 だが、権謀術数に長けた中国人によって日本は裏切られた。
 中国は、一時的に日本を利用する為に親日を装うが、その本質は反日である。中国人の反日は、絶対不変で、幾ら期待したところで親日になる事はありえない。その時々の「利」、金儲けの手段として、カメレオン的に表面を友好色に変えて親日を装うのみである。
 当然、対等関係での東アジア共同体は有り得ない。
 日本と中国は、正反対の国家であり、全くの別物である。中国人と朝鮮・韓国人は同一であが、日本人は共通点の少ない異質な民族である。但し、同じアジア地域に生活する人間である事は間違いない。
 「中国人の善意」を期待する日本人は、歴史が全く理解出来ない愚者である。現代日本人は、昔の日本人と違って、漢籍の素養が乏しいだけに病的なほど歴史認識力がない。つまり、「論語読みの論語知らず」である。
 アメリカは、中国市場への進出を国策として革命派を支持し、自由と民主主義による新生中国・中華民国の樹立に協力した。そして、日本を中国市場から閉め出す為に、日本は人民を抑圧し搾取する独裁的専制君主国家を支援する国家として、反日プロパガンダを行った。
 欧米列強やユダヤ系国際資本の援助によって、中国は北京政府・革命諸派政権・大小軍閥が入り乱れた悲惨な内戦状態に突入した。
 6月25日 105事件。総督府は、さらなる反日派への弾圧を命じた。
 西北地方の憲兵隊と警察は、秘密結社新民会が朝鮮総督暗殺計画を立てているとして、宣川キリスト教アメリカ長老派の信者600名以上を暗殺謀議容疑で逮捕した。
 憲兵隊は、白状させる為に残忍な拷問を行った。だが、半年以上の地獄の様な拷問でも自白が得られなかった。
 検察当局は、総督府の指示に従って強引に主だった128名を起訴した。
 京城地方法院は、証拠が不十分であったが、拷問で得た自白を根拠として105名を有罪とし、5年〜10年の懲役刑を言い渡した。
 やはり、死刑判決はなかった。
 新民会は、反日テロの為に間島に武官学校を設立して朝鮮人を教育した。
 朝鮮総督府は、朝鮮人テロ集団との対決姿勢を鮮明にし、植民地支配を盤石にするべく武断政冶を始めた。
 7月 第二革命。青柳勝敏予備陸軍騎兵大尉は、100名の現役や予備役の軍人を率いて、袁世凱打倒に参加した。
 日本軍部は、日本軍人の革命関与を知っていたが放置し、政府や外務省に事実を指摘されると「無関係」であると返答した。
 青柳は、東京の大森に、中国人軍人を育成する私設軍事学校を開校した。軍部は、中国侵出の為に、政府には内密に裏で青柳の活動を支援した。
 日本は、何時の時代でも中国を尊敬し恋い焦がれていたが、そのつど中国に裏切られ、多くの犠牲と高い代償を払わされた。
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 7月30日 日韓併合を裁可した第122代明治天皇崩御した。
 世界中が、偉大な天皇の死を悼み、業績を讃え、哀悼の意を伝えた。
 明治天皇への誹謗中傷は、反日朝鮮人以外では聞かれなかった。
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 1915年 朝鮮の総人口は、1,596万人である。
 日韓併合によって、朝鮮の人口は急増した。
 2月13日 覆審法院は、帝国憲法が認める三権分離の原則に従い、被告らの上告を再審した結果、拷問による自白には信用性がないとして全員の無罪を認めて釈放した。
 朝鮮総督府と検察当局は、裁判所が天皇の「司法の大権」下にある以上、不服であっても裁判所の判決には従わざるを得なかった。
 日本は、人冶国家の東アジア諸国とは違って近代的法冶国家である以上、天皇であれ、政治家や軍人であれ、日本人であれば法の規制に従わざるを得なかった。
 皇族と軍人が、その権威と権力を持って政治に関与しないようにする為に、憲法で選挙権を剥奪していた。
 個人の野心に燃える実力者も、天皇が順守する帝国憲法に逆らうわけにはゆかなかった。


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親子で読める日本の神話

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