☲23〕─1─軍国日本は、朝鮮半島の治安維持を朝鮮人に委ねるべく武器を与えた。尹東柱。昭和18年~No.73No.74No.75 @ ⑰ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 親日派朝鮮人は1割。反日朝鮮人は3割、中間の朝鮮人は6割。
 現代韓国では、親日派知日派韓国人ゼロ、反日派韓国人7割、中間の韓国人は3割。
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 ファシスト中国=国民党政権に身を寄せていた上海臨時政府、光復軍、朝鮮人テロリストは、中国大陸では死を恐れず勇猛果敢に戦っていたが、日本国内や朝鮮では姿を消して如何なる抗日行動を取っていたのかは不明である。
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 朝鮮人の一部が、親日派として軍国日本と共に戦っていた。
 朝鮮人の本心は、反日で、表面的には日本に協力するように見せていただけである。
 それは。戦後の朝鮮が、一瞬で豹変して日本仁避難民を襲った事を見れば一目瞭然である。
 中国も朝鮮も、日本とは違って、負けた相手に対して容赦なく襲撃し、暴行し、荷物を奪い、強姦し、そして殺害した。
 日本人雛民は、満州や朝鮮で、中国人や朝鮮人に襲われていた。
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 日本陸軍が、派兵した総兵力は約100万人であった。
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 太平洋の島々で、日本海軍の敗北により制海権と制空権が奪われるや、日本軍守備隊の玉砕が到る所で起き始めた。
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 深刻な兵員不足に陥った軍国日本は、捕虜収容所警備や食料弾薬などの戦略物資扶桑などの後方勤務をしていた日本人兵士を前線に送り、その穴埋めに朝鮮人を活用する事に下。
 朝鮮人は兵士として向かない為に、軍属として契約して後方任務を任せた。
 捕虜収容所の看守要員として、約3,000人の朝鮮人を金銭的契約で軍属に採用した。
 戦後。捕虜虐待容疑で129人に朝鮮人軍属が有罪判決を受け、内23人がB級C級戦犯として処刑された。
 日本は、処刑された彼らを、日本の為に戦ってくれた事へのお礼と慰霊と顕彰の為に誠意を込めて靖国神社に祀った。
 日本名を名乗る朝鮮人は、何処に行っても、アメリカ人や中国人からも嫌われ、「高麗棒子」と軽蔑されていた。
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 独立派朝鮮人反日朝鮮人は、連合軍によるラジオ放送で日本軍の敗走を正確に知っていた。
 日本国内では、日本軍の敗走という噂が流れていた。
 憲兵隊や特高警察は、噂の出所を極秘に調査していたが噂をしている者は探し出せずにいた。
 国防婦人会や在郷軍人会を動員して、厭戦気分を流す非国民のあぶり出しをしていたが、噂は流れ続けていた。
 軍部は、国民に真実を知らせない様に厳しい情報統制を行っていた。、
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 済州島朝鮮人女性強制連行事件、という疑惑。
 山口県労務報国会下関支部動員部長は、西部軍司令部から朝鮮人女子挺身隊意200名の動員するように指示され、約250軒の済州島を襲撃して15名の女性を強制連行し、同様の強制連行を他の地域でも行った。
 日本軍は、朝鮮人女性を従軍慰安婦として戦地に送ったとされている。
 その際、済州島島民が、激怒して、抵抗もせず、抗議もせず、暴動も起こさず見送ったとされている。
 これ以降。朝鮮各地(朝鮮人総人口約2,000万人)で、昭和20年の軍国日本敗北までの間で、20万人の女性と200万人の男性が混乱も暴動も抗議もなく無抵抗で強制連行されたとされている。
 国連と多くの国が、朝鮮人女性は従軍慰安婦(セックス・スレイプ)にされたと認めている。
 欧米各国の都市では、日本の女性蔑視と女性の人権侵害を義する為に従軍慰安婦像設置運動が起きている。
 ビルマに送られた従軍慰安婦は、日本軍兵士の相手をしながら2年6ヶ月で2万6,145円を貯金した。
 アメリカ軍による公式報告書「『慰安婦』は、売春婦あるいは職業的なキャンプフォロワーに他ならない。月平均1,500円の総収入を上げマスターに750円を返還する」
 金学順「貧困の為40円で売られて養女となり、キーセン修業『金儲けができる』と養父に連れられ中国へ行き、養父と別れて慰安所に入れられた」
 国際世論は、日本軍が強要した軍人相手の売春行為を女性虐待の非人道行為と非難し、従軍慰安婦に同情した。
 自民党政府は、日本の名誉を傷つける恐れがある事を承知で「公義の強制」があったと、
従軍慰安婦強制連行の事実を認めて公式に謝罪し、謝罪文を在米日本大使館公式サイトで公開している。
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 吉田清治は、軍から女子挺身隊200名を集めろという命令に従って、歩兵10名と共に済州島で女狩りをしたと、『私の戦争犯罪』で証言した。
 済州島の島民は、『私の戦争犯罪』を悪意に満ちた嘘っぱちであると証言した。
 韓国政府は、黒人の奴隷狩りに似た手法であったと正式見解を発表した。
 日本の中学歴史教科書は、従軍慰安婦を事実であったと記述している。
 国際世論も、韓国が正式発表したと通り、43年から行われた従軍慰安婦狩りを認めている。
 世界中に、従軍慰安婦にされた少女の像や日本を非難する従軍慰安婦の碑が建てられた。
 朝鮮人は、目の前で同胞が強制連行されても、非暴力無抵抗で、声を張り上げて泣き騒ぐだけで、その手は連れ去られる同胞を助けようともせずに大地を叩くだけであった。
 当時の朝鮮人人口は約2,000万人で、半島から強制連行された男性は200万人以上で女性は約20万人であった。
 朝鮮人は、泣く叫ぶしかできない「恨」の民族であった。 
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 朝鮮人達は、何処にいたのか?何をしていたのか?
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 朝鮮総督府の中級官吏以下と地方の巡査な大半が朝鮮人であった。
 朝鮮半島13道で行われる道議会議員選挙で、当選議員の8割以上が朝鮮人で、地方議議会首長の多くも朝鮮人であった。
 朝鮮総督府は、朝鮮人の自主性を重んじて間接統治を行い、戦争の激化に伴い朝鮮の治安を維持する為に朝鮮人にほぼ丸投げした。
 軍国日本は、自己中心的強欲な朝鮮人を宥めるべく、半島インフラ整備として36年間の植民地支配期間に、現代の価格で約9兆円を投入した。
 朝鮮経営の為に、国家予算に負担を強い、北海道・東北地方の貧困家庭を犠牲にした。
 日本人貧困家庭は、朝鮮人優遇策の犠牲となった。
 日本は、朝鮮と友好関係を持って得をした事がなく、むしろ有り難迷惑であった。
 朝鮮と親しく付き合あわなかった方が、日本にとって幸せであった。
 それが、江戸時代であった。
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 日本の憲兵隊や警察官は、慰安婦集めを朝鮮の民間業者に依頼したが、朝鮮人が詐欺や誘拐など犯罪行為を起こさないか監視した。
 そして、契約した支度金を横取りした上前をはねないように厳しく指導した。
 日本軍は、慰安婦の性病予防や健康管理を徹底し、慰安の仕事に対する報酬を約束通り支払っていた。
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 軍国日本は、朝鮮での反日暴動を恐れていた。
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 戦争が激化して兵士が不足するや、腕の立つ職人を根こそぎ徴兵した為に中学生を勤労動員し、男子中学生が戦闘補助員として徴用されるや、女子学生が女子挺身隊として軍需工場に動員された。
 その為に、生産された航空機などの品質が低下した。
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 南京市内日本軍慰安所。唐家国「(従軍慰安婦にされた女性から聞いた話)日本兵には良い人間もいたと言っていました。一番印象が悪かったのは朝鮮人の軍属で、彼女の前で捕虜を殺害するなど目に余る振る舞いが多かったそうです。」
 「現在の中国でも、過去の慰安婦と同様に貧しい家庭の少女が売春施設に売られたり、地元政府関係者や教師に性的暴力を受けている事例が後を絶ちません。こちらの人権問題はどう思いますか?」(2016年3月号 SAPIO)
 日本国籍朝鮮人は、暴行、強姦、殺人、強奪などの悪事を働く時は「自分は日本人だ」と言って誤魔化し、都合が悪くなると日本人の後ろに隠れ日本人に命じられたと罪を日本に擦り付けて逃げた。
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 1943年1月 カサブランカ会議。アメリカとイギリスは、「無条件降伏の原則」を発表し、昭和天皇を戦犯として裁く事を示唆した。
 一部のユダヤ系国際的報道機関は、昭和天皇終身刑か死刑が相当であると伝えた。
 ユダヤ人は、ヒトラーと同盟を組んだ昭和天皇と軍国日本を滅ぼす事を誓った。
 連合国は、日本に対して二者択一を強要した。一人の昭和天皇の命と数百万人の日本人の命と、何れかを選択せよと。
 日本は、連合国の要求する「無条件降伏の原則」に愕然とし、天皇を中心とした「国體」を守る為に最後の一人になるまで戦い抜く事を覚悟した。
 伝統を重んずる日本人にとって、「天皇の命」は自分の命を犠牲にしても守るべき貴重な命であった。
 祭祀王・天皇は、日本人が信仰する祖先神・氏神の人神であった。
 祖先神・氏神の人神信仰とは、祖先との「命の絆」である。
 祭祀王・天皇を見捨てる事は、祖先との「命の絆」を否定する事であった。
 祖先との「命の絆」を繫ぎ止めておく為にも、祭祀王・天皇は如何なる犠牲を払っても護らねばならない尊い者であった。
 日本人の必死の思いから、到る所で玉砕や集団自決が繰り返された。
 絶対神を信仰するキリスト教徒やユダヤ教徒にとって、祖先との「命の絆」を大事にする祖先神・氏神の人神信仰は理解できなかった。
 同様に、儒教価値観の朝鮮人や中国人も理解できなかった。
 連合軍は、太平洋戦線で、捕虜を取ると進撃の邪魔になるとして、捕虜を取らない事を暗黙の了解事項とした。
 アメリカ人兵士は、真珠湾攻撃に対する復讐の鬼となって、日本人を皆殺しにする事を誓い合った。
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 1月2日 東部ニューギニアのブナ守備隊玉砕。
 戦場に取り残された日本の民間人は、天皇の名誉と皇室の弥栄と祖国日本の勝利を信じ、日本軍と共に戦い、万歳突撃して全滅した。
 生き残った者は、集団自決した。
 これ以降、民間人避難民による集団自決が多発した。 
 戦後。集団自決は、日本軍の集団自決命令が有ったとの疑惑が浮上した。
 アメリカ軍は、人種差別意識から、日本軍と行動を共にする女子供の日本人民間人を敵兵と見なして攻撃した。
 日本人民間人は、攻撃され、追い詰められ、逃げ場を失って日本軍と共に玉砕した。
 玉砕に参加できない女や子供達は、アメリカ軍の投降受け入れ拒否にあって、玉砕の足手まといになる事を避ける為に自ら命を絶った。
 戦後。民間人を巻き込んだ日本軍の玉砕は人権無視の国際法違反とされた。
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 アイタペに駐屯していた第18軍(軍司令官安達二十三中将)は、残存部隊を集めて徹底抗戦のゲリラ戦を展開して、玉砕せず終戦まで諦める事なく粘り強く戦った。
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 戦前の日本人は、運命を呪う事はせず、避けられない運命に立ち向かい、絶望的な状況に追い込まれても勝利を信じて戦った。
 そこには、平気で嘘を付き逃げ隠れして生き残ろうとする現代の日本人とは全く違った、無常観をかみしめて耐え生き抜く為に死力を尽くしていた日本人がいた。
 日本人は、中国人でもなく、韓国・朝鮮人でもなく、紛れもなき日本人であった。
 媚びへつらう事なく、日本の事のみを真剣に考え、そして最善な道を選択して行動した。
 それが、間違っていようとも自分で選んだ以上、後悔もしなかったし、責任を誰か他人に押し付けもしなかった。
 サムライは、現代のマスコミや評論家の様な反日発言はしなかったし、中国や韓国に醜く媚びを売るような恥さらしでみっともない振る舞いは、しんでもできなかった。
 真のサムライは、現代の日本人とは違って、命よりも信義を重んじ、命を捨てても理に叶った筋を通していた。
 日本男子は、弱い者イジメを「男の恥」として、弱い立場の女子供を守る為に命を犠牲にした。
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 アメリカ軍は、マーシャル諸島・クェゼリン環礁のルオット、ナムル、クェゼリン、エビジェの四島に同時上陸した。
 日本軍守備隊は、アメリカ軍と絶望的に戦っての玉砕した。
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 2月7日 日本軍は、夥しい犠牲者を出したガダルカナル島から完全撤退した。
 日本軍戦死者は2万2,000人で、戦病死や餓死は1万5,000人で、戦闘死は7,000人であった。
 日本軍兵士は、食料や弾薬の補給船が途絶えたにもか関わらず、絶望の中、飢えと疫病に苦しみながら必死の思いで戦っていた。
 ドナルド・キーンガダルカナルを餓島と呼んだ日本軍の兵士達の耐えた困苦は、圧倒的な感動を呼び起こした。アメリカ軍の兵士の手紙には何の理想も無く、ただ元の生活に戻りたいとだけ書かれていた」
 「大義の為に滅私奉公する日本人と、帰郷以外の事には全く関心を持たない大部分のアメリカ人。日本の兵に対しては賛嘆を禁じ得なかった。そして結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信じるようになった」(『日本との出会い』)
 日本軍将兵は、太平洋上の島嶼に捨て石のように配置され、来ない援軍と補給を信じ切って勇敢に戦って戦死した。
 天皇の国體を守り、神国日本の大義を貫く為に、美的に正々堂々と、醜悪な卑怯卑劣な行為を嫌い、全滅覚悟の特攻精神で戦った。
 少数兵力の日本軍は、死を恐れない「滅びの美学」で、膨大な物量を持って攻撃してくる敵の大軍に対して絶望的戦闘を理性を失う事なく戦っていた。
 武士の情けとして、全ての日本人は死を覚悟したが、日本人でない島民に被害者を出さないように出来うる限りの配慮をした。
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 日本の輸送船は攻撃され、戦地への補給がままならなくなっていた。
 朝鮮から女性20万人を攫って従軍慰安婦として戦地に送るゆとりなどなかったし、同様に200万人の朝鮮人を本土に強制連行など出来るわけもなかった。
 人は、海を歩いて渡たれなかった。
 当然、朝鮮人も同様である。
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 2月17日 トラック諸島の大空襲。脱出中の輸送船団が攻撃され、多くが沈没して7,000人が溺死した。
 2月18日 マーシャル諸島のエニウェトク環礁の日本軍守備部隊2,700人が玉砕した。
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 3月1日 軍部は、戦力不足を補う為に朝鮮で徴兵制を施行した。
 だが、朝鮮人を即戦力として戦場に送り出すには兵士としての能力に欠け、日本軍以上の非人道的な鉄拳制裁式厳しい軍事教練が必要であった。
 朝鮮人は、日本人の差別的な殴る蹴るの教練を憎み、一層非協力的となった。
 独立派朝鮮人は、日本軍隊内の不満分子的朝鮮人兵士に接近していた。
 日本軍は、貴重な時間と経費と物資をかけて朝鮮人を徴兵して鍛えたが、兵士を軽蔑する儒教的素養で思う様な訓練が出来なかった。
 そのやる気のなさから、徴兵した朝鮮人兵士を日本人兵士と共に戦場に送る事が出来なかった。
 儒教は、「文」を聖人君主の証しとして尊び、「武」を知能無き小人の戯れごとと侮蔑していた。
 日本の武士道は、「武」を軽蔑し「文」を優先する儒教を遠ざけ、儒教が敵視する仏教の「禅」を精神のカナメとした。
 儒教信奉者は、仏教や新道などの宗教を否定し、「武」を心の拠り所とするサムライを否定する。
 「武」の日本人と「文」の朝鮮人は、全く違う人間である。
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 4月 東條内閣は、試験的に中国人労働者(労工)の国内移入を実施し、雇った事業者に対して、中国人労働者が給料や労働環境等の待遇に不満を抱き騒動や暴動を起こさない様に管理を命じた。
 試験的移入は、11月頃まで実施され、事業者が適正賃金を払い過重労働にならない様に配慮した為に、中国人労働者は反日行動を起こさず戦争遂行の障害にならない事が分かった。
 同様に。国内各地にいる、徴兵免除となっている200万人近い日本国籍朝鮮人労働者も、適正賃金や過重労働が強要されない事に安堵して生産現場で働いていた。
 工場や炭鉱から日本人が赤紙一枚で戦場に送られて戦死するや、中国人や朝鮮人の単純労働者がその穴埋めとして投入された。
 日本政府と軍部は、戦場でより多くの日本人将兵を必要としており、国内の治安維持に必要以上の憲兵隊や警察人員を割く必要がない事に安堵した。
 4月18日 連合艦隊司令長官山本五十六大将、戦死。
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 5月12日 アメリカ軍は、アリューシャン列島のアッツ島奪還する為に1万1,000人の大部隊を投入した。
 5月29日 アッツ島守備隊の山崎保代大佐は、降伏勧告を拒否して玉砕した。
 日本軍2,650人中戦死者2,600人。生還者、27名。
 日本軍の玉砕の始まりである。
 大本営は、事実を隠蔽し、日本軍全滅を隠す為に転進と誤魔化した。
 軍部は、「玉砕」という言葉を使う事を嫌った。
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 7月14日 同志社大学文学部英文学科選科学生で詩人の尹東柱(ユンドンジュ、キリスト教徒)は、「朝鮮独立運動を企んでいる」と治安維持法の容疑で下鴨警察署に逮捕された。従弟の宋夢奎(ソンモンギュ)、同じ下宿の高熙旭も逮捕されている。
 京都地方裁判所は、1944年3月31日に、懲役2年の判決を言い渡した。
 尹東柱は、宋夢奎と共に福岡刑務所に収監され、1945年2月16日に福岡刑務所で獄死した(満27歳没)。
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 7月20日 李垠殿下は、第1航空軍司令官となる。
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 7月29日 木村昌福少将率いる駆逐艦隊は、アメリカ海軍艦隊の包囲の中で、約55分の短時間でキスカ島守備隊約5,200人を収容し奇跡的に撤退した。
 幾つものの偶発的な幸運に恵まれて成功した、撤退作戦であった。
 それ以上に、木村提督の冷静な判断力と沈着な実行力という優れた指揮能力で手に入れた成功であった。
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 9月 次官通達「女子勤労動員に関する件」によって、日本各地で女子挺身隊が自主的に組織された。
 男性が徴兵されて戦場に送られた為に、女性は銃後の日本を守る為に進んで協力した。
 協力しない者は、非国民として隣近所から軽蔑された。
 働き手の男性が戦地に赴いた為に、女性の社会進出が加速した。
 9月30日 御前会議で、攻勢に出るであろう連合軍に対し、進撃を阻止する為に千島・小笠原・マリアナ・西部ニューギニアインドネシアビルマを絶対国防圏として兵員・弾薬・食糧を優先的に送り込んで守備力を強化した。
 圏外の戦略要地である東部ニューギニアラバウルは、国土防衛の捨て石として、
 短時間でも敵の進撃を遅らせる為に、自分達で工夫を凝らして生き抜き、少しでも長く戦い抜けと言う事である。
 東部ニューギニアの第18軍は、1942年7月から圧倒的に優位の連合軍の猛攻を受けながら、援軍と補給が来る事を信じて善戦していた。
 だが、本土防衛の絶対国防圏から外され、見捨てられ、新たな兵員補充も弾薬・食糧補給もされない事が決定された。
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 10月20日 総督府は、朝鮮人学徒兵制を実施した。半島内の朝鮮人学生を兵舎に収容して軍事訓練を開始するが、非協力的な為に実戦に投入できるところまで鍛えられず、朝鮮人学徒兵は半島を出る事がなかった。
 日本軍は、台湾人に比べて朝鮮人の軟弱ぶりを見て軍人として使えないと諦め、武器の代わりにスコップなどの道具を渡し人夫として安全な後方任務を任せた。
 所詮、朝鮮人は当てにはできない以上、日本人だけで戦った。
 片野次雄「朝鮮人の軍人教育は、必ずしもうまくはゆかなかった。……朝鮮兵に武器を持たせて集団化させれば、いつ民族解放運動に奔るかわからないというおそれがあった」(『1910─2010 日韓併合』P.282)
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 10月21日 学徒出陣。国家は、文化系学生の徴兵猶予を廃止して戦場に送り、理科系学生は日本の将来の為に学業に励んだ。
 学徒兵は、国民の義務として、俄将校となって兵士を指揮して最前線に立った。
 日本人学徒兵の多くが、天皇と国家を守る為に、潔く、あっさりと、戦死した。
 反戦平和の現代は、日本戦没学生の手記「聞け、わだつみの声」を過激に戦争を美化する軍国主義の文章と完全否定している。
 現代と当時とはあまりにもかけ離れている以上、現代を生きる日本人と当時を生きていた日本人とは別人であり、現代の日本人には当時の日本人を心底から理解する事はできない。
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 11月6日 大東亜共同宣言東條英機は、有色人種であるアジア諸民族は白人の植民地から解放されるべきであると宣言した。
 軍国日本は、西欧列強の植民地となっていたアジア人に独立を促した。
 日本の主張に共鳴した独立派アジア人は、日本軍と共に白人部隊と戦った。
 親白人派アジア人は、日本の植民地になる事を拒否し、白人による植民地支配を守るべく、反日組織を結成してゲリラ活動を行った。
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 戦後日本は、アジア各地で、「申し訳ない」と謝罪し、「迷惑をかけた」として賠償を行っている。
 謝罪と賠償を行っている現代の日本人は、白人の植民地支配を正しい行為であったと支持しているに過ぎない。
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 南洋諸島の日本軍守備隊は、圧倒的な物量を持ったアメリカの大部隊と戦っても島を守り切れない事は重々知っていても、抵抗しても無駄であり戦死する事が分かっていても、戦わずには行かなかった。
 絶望し自暴自棄となって自殺するが如く突撃したのではなく、最後の最後には勝つかも知れないという希望を胸に諦めきれずに敵陣に斬り込んだ。
 サムライ日本人の「滅びの美学」とは、生きる事を諦めて死ぬ事ではなく、自分の信念を貫く為に生き、自分が選んだ道を後悔ず、生きる為に死を覚悟する事であった。
 日本の未来を考え、日本を守る為に、自己責任で戦った。
 卑怯・卑劣に責任を他人に転嫁して逃げ隠れせず、正々堂々と振る舞った。
 霊魂の存在を信じ、霊魂の不変を信じ、霊魂での再会を信じていた。
 惨めに死ぬ為でもなく、惨めに生名が得る為でもなく、永遠に生きる為に死を選んだ。
 それが。国際社会から非難される靖国神社であった。
 日本軍兵士は、靖国神社を思い、靖国神社の祭礼になる事を思い、靖国神社で愛おしい家族と再会する事を想って、戦い、そして死んで行った。
 玉砕は、発狂した集団自殺ではなく、正常な理性を持った集団行動であった。
 中国や韓国・北朝鮮は、靖国神社を否定する。
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 ジョージ・シュルツ第二次世界大戦中、米海兵隊員として、太平洋のパラオ諸島などで、日本と戦いました。日本の兵隊達は屈強で、敵ながら尊敬せざるをえないと思っていました。以来ずっと、日本や日本人に対しての尊敬を持ち続けています」
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 11月24日 ギルバート諸島マキン島玉砕。日本軍戦死者353人。軍属340人内朝鮮人軍属200人。捕虜104人内朝鮮出身軍属101人。
 アメリカ軍6,500人。
 11月25日 タラワ島玉砕。日本軍2,600人、日本人労働差1,000人と朝鮮人労働者1,200人が死亡。捕虜、160人。
 アメリカ軍1万8,000人。
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 11月27日 カイロ会談。アメリカ、イギリス、中国の三首脳は、「日本への無条件降伏要求」と「朝鮮を自由かつ独立させる」ことに合意した。
 ルーズベルトは、蒋介石に沖縄を差し出す事を提案した。
 蒋介石は、沖縄を領有する事で日本人の憎悪を買う事を恐れて断った。
 ルーズベルトは、なおも沖縄を進呈すると提案したが、蒋介石は共同管理を逆提案した。
 アメリカは、沖縄の施政権は日本にある事を認め、沖縄を日本に返還するまで軍政下に置く事とした。
 カイロ宣言は、三ヶ国による恣意的合意であって国際法に基ずく公式的な宣言でなかった。
 アメリカ軍諜報機関は、日本軍から脱走した朝鮮人兵士や逃亡した朝鮮人軍属らの聞き取り調査を行った。
 大半の朝鮮人は、日本人から受けた差別や迫害によって、日本支配から解放されると報復に出る危険性がある。
 日本降伏後は、速やかに在日朝鮮人と在朝日本人を帰国させるべきであると報告した。
 朝鮮人による日本人への憎悪は尋常ではなく、朝鮮人が如何なる事態を引き起こすか分からず、連合国軍の日本占領政策に悪影響を招来することは避けられないとの見通しを報告した。
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 12月14日 日本政府は、戦争に専念するべく「行政業務の整理簡捷(かんしょう)化及中央官庁の権限の地方委譲等に関する件」を閣議決定した。
 厚生省は、「軍慰安所に於ける酌婦女給等の雇入就職の認可についての厚生大臣の稟伺(りんし)」の公文書を作成した。
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 2014年5月9日 msn産経ニュース「「日本軍は私たちを生き埋めにし、自殺強要した」 慰安婦でたらめ証言、韓国HPで子供向けに[「慰安婦」問題]
 元慰安婦の女性らが暮らす「ナヌムの家」を訪問し、「日本は軍国主義時代の過ちを否認している」と非難した韓国の尹炳世外相(左から4人目)=29日、ソウル郊外(共同)
 韓国・女性家族省の公式ホームページに掲載されている慰安婦問題を扱ったコーナーで、真偽が明らかでない元慰安婦たちの証言がそのまま真実のように扱われ、子供たちの教育資料として使われていることが5日までに分かった。
 同省のサイト内にある「日本軍慰安婦歴史館」には、子供たちにも慰安婦問題を分かりやすく理解してもらおうと、写真やアニメーションなどを使って制作された「おばあさんの一生」という動画コーナーがある。
 このコーナーでは、アニメで元慰安婦のおばあさんが登場し、「日本軍慰安婦とは何ですか」「“慰安婦”たちはどのようにしてどこへ行ったのですか」といった子供の質問に答える形で、慰安婦問題を説明している。
 その内容をみると、慰安婦については「日本軍の性的奴隷になった女性たちをいう」と定義した上で、「日本の軍人に虐待されて死に、生きて帰ってきた人は多くなかった」と証拠もなく、真偽が疑われる内容をそのまま紹介。また、「朝鮮総督府が警察と憲兵などを動員して暴力的に女性たちを強制的に連れて行ったりした」と説明している。
 「日本軍は私たちを生き埋めにし、自殺強要した」 慰安婦でたらめ証言、韓国HPで子供向けに
 さらに「拒否すれば鞭(むち)で打たれ、徹底的に日本軍が監視していたので逃げるのも難しかった」「日本軍は性犯罪の残虐性が世の中に知られるのを恐れ、戦争に負けると同時に私(慰安婦)たちを生きたまま土に埋めたり、自殺を強要するなどさまざまな方法で殺そうとした」などと、明白なでたらめや史実を脚色したような内容も含まれていた。
 日韓問題に詳しい日本の専門家は「慰安婦問題については、韓国政府やマスコミが元慰安婦の支援団体『挺身(ていしん)隊問題対策協議会』などによる“日本たたき”に同調し、事実を誇張したり、脚色したりして国民や国際社会に伝えている実情がある。そのため韓国民は、日本政府が公式に慰安婦の存在と責任を認めていることなどを知らされておらず、問題解決を難しくする一因となっている」と指摘している。




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伊勢神宮めぐり歩き

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  • 作者:矢野憲一
  • 発売日: 2012/10/15
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