☱22〕─1─アジアの女性解放。朝鮮人女性は日本から、中国人女性はアメリカから学んだ。~No.52No.53 @ 

300枚のユニークな広告が語るこんなに明るかった朝鮮支配

300枚のユニークな広告が語るこんなに明るかった朝鮮支配

  • 作者:但馬 オサム
  • 発売日: 2018/07/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本政府は、関東大震災後の混乱を受けて公布された緊急勅令「治安維持ノ為ニスル罰
 近代化以前の中国や朝鮮の女性は、男尊女卑の儒教朱子学で虐げられ、人としての人権も自由もなく、父・夫・男の所有物でしかなかった。
 女性を生かすも殺すも、男次第であった。
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 2019年1月号 WiLL「半島が一番輝いたのは日本統治時代 松木國俊但馬オサム
 豊富な新聞広告やポスター、雑誌・・・統制時代は女性が輝くもっとも明るい時代だった。
 ……
 女性解放の時代
 松木 『300枚のユニークな広告が語る こんなに明るかった朝鮮支配』(ビジネス社)を読みましたけれど、面白かったですね。日韓併合時代(1910〜1945年)にこれだけ多彩で豊富な新聞広告やポスター、雑誌がつくられていたんだなと。資料集めはどうされたんですか。
 但馬 最初はネットで見つけてコツコツと。集めたら、これは面白いものになるぞ、とハマッてしまって、で、当時の新聞を探し出しては、広告を拾い集めたんです。
 松木 本書の広告の背景にある社会状況がどういうものだったか、それがきっちりと説明だれている。
 但馬 やりながら気がついたのですが、併合時代をひと言でいうならば『女性の時代』。それほどに女性の活躍・社会進出が非常に目覚ましいかったんです。しかも、明るい。李朝時代、朝鮮の女性は、処女・妻・奴婢(ノビ)のどれかでしかなかった。
 女性は結婚するまで、生家の中でしか過ごせなかったなんてことは珍しくありません。朝鮮の女の子が端午の節句でやる高いブランコやシーソー遊び、あれ、両班({ヤンバン}李氏朝鮮王朝時代の官僚機構・支配機構を担った支配階級の身分のこと)の娘が少しでも家の塀の外の世界を見てみたいということから始まったと言われています。
 長じて結婚したら、婚家に入り、夫の親に仕えることになる。彼女らに正式な名前もあったかどうかわかりません。まったくの籠の鳥状態です。むしろ、奴婢階級の方が自由があった。
ところが、日韓併合によって、女性の地位が一気に変わりました。『職業婦人』という概念が出てきます。
 松木 女性解放がどんどん進んでいった。
 但馬 はい、女性の運転手やタイピストなどの募集広告があります。1934年の時点で、ハングル用のタイプライターがすでにつくられていました。ほかに、女性向けに美容体操の広告なんていうのも目にします。
 日本の大正デモクラシーの波が、朝鮮半島にも影響を及ぼしていると言えますね。一番いい時代です。エロ・グロ・ナンセンスの潮流もありつつ、朝鮮流のモダンガール(モガ)が登場しました。
 松木 『新女性』だ。
 但馬 朝鮮の未婚女性は、長い髪を後ろに束ねるのが普通でしたが、その髪を切るのが流行ったんですよ。『味の素』の広告には、ミニスカートのようなチマに洋靴、パラソルを持って街を歩く女性の姿が描かれている。流行の先端を行く女性のシンボルでした。
 松木 『新女性』の多くは日本留学経験がある。
 但馬 女学校や女子大に留学して、最先端のファッションや製品を学ぶ。しゃべる言葉もも英語と日本語混じです。当時、日本語を話すことはおシャレで、格好いいことだったんです。
 松木 そうなんですよ。
 但馬 そういう流れの中から、女性解放運動が始まります。詩人の金一葉(キムイルヨブ)や、画家で作家の羅螵錫(ナヘソク)などの日本留学組が、そのようなムーブメントを起こしていく。彼女たちは儒教的家父長主義に真っ向から反抗し、内地では自由恋愛を楽しみ、多くのボーイフレンドと付き合い、不倫さえ謳歌していました。
 松木 李朝時代の封建社会では、女性の社会進出などまったくあり得ない。日本が統治して初めて、女性の社会進出が始まったのです。そのあたりの様子が広告などを通じて生き生きと伝わってきます。
 但馬 当時の雑誌の表紙には、男性に荷物を持たせて、女性が前を颯爽(さっそう)と歩く姿が描かれている。大スターだった舞踏家の崔承喜(チェスンヒ)や、女性パイロットの朴敬元(パクギョンウォン)も、時代を象徴する女性たちです。今のフェミニストは併合時代を知って正当に評価してほしいと思います。
 創氏改名の実態
 松木 韓国の方が日本の女性運動よりも激しかったんです。一度、方向性が決まると、一気にわき目もふらず突き進む傾向がありますね。
 但馬 なんでも猪突猛進型なんですよ。
 松木 『創氏改名』(1940年実施)のことも書かれていますけれど、日本統治時代の悪政の筆頭に『創氏改名』が必ず出てきます。でも、その多くは誤解です。強制的に『姓名』を変えたわけではありません。
 但馬 『氏』を新たにつくったんですから。
 松木 なぜ、日本がそんなことをしたのか。当時、朝鮮人の多くが満州に進出していました。開発村をつくっていたのですが、馬賊や匪賊にどんどん略奪されてしまう。しかも、『朴』『金』『李』という名前だったら、朝鮮人であることがバレて軽んじられていた。
 但馬 中国人は朝鮮人を下に見ていましたから。
 松木 中国人に侮(あなど)られたくないという思いが強かったのです。中国人に名実ともに日本人と認められるために『日本名が欲しい』という要望が朝鮮総督府に殺到するようになった。しかも、併合から30年もたっているのに、朝鮮人に日本名を名乗らせないのは『差別ではないか』という声が一般の朝鮮の人々の間でも高まり、朝鮮総督府内で三年間も議論を続けました。日本では反対の声が多かった。
 最終的に『よし、わかった。ただ、朝鮮名は絶やしてはならないので、旧来の姓は戸籍上から外さない。その代わり、名字は日本名で名乗れるようにする』ということにしたんです。
 但馬 それで家族を単位とした『ファーミリーネーム(=氏)』をつくって登録させるようにした。
 松木 それまでは、日本のような家族単位の名字はなかったんです。女性が嫁いできても、女性の名前は変わりませんでした。二世代が同居する場合、1つの家に、夫、妻、姑の3つの『姓』が存在することになる。それでは大変不便です。だから、家族を単位とした『姓』を作って登録しなさいとなったんです。
 但馬 しかも、登録自体、強制力はなかった。結局、80%の朝鮮人が改名しましたが、20%は朝鮮名でそのまま通しています。
 創氏改名の制度ができるまでは、勝手に日本名を名乗って悪さをする朝鮮人がたくさんいました。婦女子をたぶらかして金品を巻き上げていた東京蒲田のダンス教師・金田愛次郎こと朴應哲(パクウンチヨル)なんて、その最たるものです。
 松木 次に『名』のほうですが、日本姓に変えたら、名前が朝鮮名のままだとおかしくなる。そこで、裁判所の許可を得た上で50銭の手数料を払えば、名前も変えることができるようにしたのです。
 但馬 『日本式の名前にしてほしい』と。創氏改名のとき、姓名判断が流行りました。どうせ日本名に変えるのなら、縁起のいい名前にしましょうと。現金ですね。
 松木 別に名前を奪っていません。戸籍上は朝鮮式の姓が残っているんです。植民地で差別したいなら、名前を一緒にすることはありません。わかりやすく名前は元のままのほうがいい。
 但馬 ナチスユダヤ人の胸に黄色い五芒星(ダビデのほし)の印を義務付けました。日本も同じことをしてもおかしくなかったのですが、そうではなかった。
 松木 日本名になれば、日本は世界の一等国ですから、肩で風をきっるように威張って歩くことができました。何よりも中国人に対して卑屈にならずに済んだのです。
 但馬 その通りです。
 職業選択の自由が生まれた
 松木 儒教にどっぷり浸った朝鮮社会では、市民平等社会を自ら実現することなど、とても不可能でした。
 但馬 職業の選択の自由もありませんでした。インドのカースト制度と同じで、身分と職業は密接につながっていました。肉体労働者は、最下層身分の『奴婢』がやることだった。
 松木 階級のトップである『両班』は絶対に働きません。『両班』は儒学の空理空論に明け暮れる、言わば『不労所得階級』であり、働くことは彼ら以外がすることだったんです。下級役人クラスで労働する人間は『中人(チュンイン)』と言われていました。その下に『常民(サンイン)』がいます。
 但馬 お百姓さんですね。
 松木 最下層は『奴婢』です。『奴婢』には芸能、巫女(ふじょ)、医者、僧侶なども含まれていました。商工業は『常民』の仕事とされましたが、実際にはほとんど『奴婢』がやっていました。
 但馬 自動車学校の広告が出ていますが、『大学を卒業するより自動車の運転手になろう』と書いてあります。下手に大学を出るよりは、運転手になったほうが稼げるといことです。もう一つの広告のコピーがもっとすごい。
 『暗黒世界から光明世界へ!』
 『因習的職業から解脱 文明的職業へ!』
 これは一体何を意味しているかというと、職業の選択の自由が広がったんです。
 インドを例に考えてみましょう。IT先進国で、世界中に技術者を輩出しています。どうしてIT産業が盛んになったのかといえば、カースト制度で職業が決まっていますが、ITは伝統的なカーストの区分に入らない新しい職業だったからです。『シュードラ』という奴隷階級でも、ITの能力と技術、チャンスがあれば、大金持ちになれる。
 松木 もともとインド人は高度な計算を瞬時にする能力がとても高いですから。
 但馬 それと同じで、併合時代に『職業ドライバー』という仕事が新たに生まれた。自動車免許を取れば、李朝時代の因習的職業から『文明的職業』に移ることができるようになったんです。
 松木 1980年代初頭、仕事でソウルに四年間駐在していましたが、運転手のことは『運転技師』と呼ばれていました。つまり、特殊な技術を持った人間だと考えられ、尊敬の対象でした。パイロットから、運転手になった女性もいた。
 但馬 李貞喜(リテイキ)ですね。パイロットの資格を取るために、まず自動車の免許が必要でした。タクシードライバーをしながら、お金を貯めて、飛行機の免許を取る人もいたようです。自動車に乗ることが職業革命と同時に、階級革命でもあった。
 賄賂で家を買う
 松木 それと同時に大量消費時代でもあった。森永ミルクのホーロー看板もつくられています。
 但馬 味の素の広告を見ると面白い。『李王家御用達』と書いてあります。韓国人は、今でも味の素が大好きですよね。
 松木 ソウル駐在時代、お手伝いのおばさんが料理をつくってくれましたが、とにかく味の素を入れています。
 但馬 今は韓国製の味の素があります。冷麺は特に味の素がないとダメなんですよね。味の素は朝鮮の味覚を変えたと思います。
 戦後、李承晩(イスンマン)ラインが敷かれて、日本の多くの漁師が釜山(プサン)の収容所に送られるハメになった。とても劣悪な環境に置かれたのですが、日本から差し入れが届くことがある。そのときに一番喜ばれたのが、ポマードと味の素でした。味の素は収容所内で現金に換えられることができるし、看守への賄賂として活用することができたそうです。
 松木 それで命をつなぐことができたんですね。
 但馬 韓国の看守曰わく『看守は最悪な職業だ。せめて交通巡査になりたい』と。なぜなら、交通を取り締まっていたら、いくらでも賄賂が取れるからです。
 松木 『うちの旦那が今度、交通係から別の部署に変わったんで、生活が苦しくなった』という話を聞いたことがあります。2年間で交代しますが、普通なら、その間に家一軒建つという話も聞きました。
 但馬 賄賂で家が建つわけだ。
 松木 考えてみると、運転技師からしたら点数を引かれるよりはマシなんです。免停になったら、自分の仕事ができなくなる。賄賂を渡して許してもらえるなら御の字だと。相手も懐が温かくなる。つまり、ウィン・ウィンの関係なんですよ。
 但馬 『袖の下』という言葉は儒教から来ています。科挙のとき、カンニングを誤魔化すために、試験管の袖の下にお金を入れたそうです。
 松木 袖の下に入る金額によって、自分の出世を実感する社会です。でも、今、韓国では『賄賂は、日帝36年統治の置き土産だ』と。冗談じゃない!」
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大人の朝鮮人は、若者や子供が日本の教養・文化・風習に感化され、日本人化して朝鮮人を失われる事に深刻な危惧を抱いた。
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 何故、日本人が朝鮮人を見下し嫌悪し侮蔑し差別したのか。
 それは、日本と朝鮮以外の諸外国、世界中で、朝鮮人が日本人と同じ権利と自由と待遇を受けていたからである。
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 日本人は、宗教的白人至上主義が支配する世界で、世界五大国の一国として国際連盟常任理事国の一員としての地位を獲得する為に数万人の死体を積み上げ、夥しい血を流してきた。
 そして、多少の不利が合っても国際法と諸外国の国内法に敬意を払い尊重し遵守し、迷惑をかけない為に責任と義務を果たしてきた。
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 日本国は、模範国として他国から非難中傷をされないように道義的行動な行動を続けた。
 日本人は、一人前の国際人を心掛け、他国・他人から後ろ指を指されないように、人としての信義を重んじ、如何なる約束をも守って行動をしていた。
 日本は、「世のため人のため」を信条として、パリでも、シベリアでも、戦死・犠牲を厭わず怪我人・病人や子供など弱者を助ける人道貢献を繰り返してきた。
 日本国家は、領土拡大の野心を持った侵略国家ではなく、人道・人権を重んずる人道貢献国家であった。
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 日本国、日本人には、「真っ当な人」である事を愚直に守り通していた。
 が、朝鮮人は違っていた。
 その最たる件が、キリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の殺害失敗事件の数々である。
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 人として正直に真っ当に生きる事を信条とする日本人にとって、日常的に賄賂を行い、不法・不正・横領・横流しを平然と行う朝鮮人や中国人が嫌いであった。
 日本人が国際人となる上で理会できなかった事に、欧米社会で当然の如く行われていたチップ制度であった。
 日本の祝儀習慣と欧米のチップ制度は違っていた。
 当然。日本の祝儀と中国・朝鮮の賄賂とは違う。
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 中華世界(中国・朝鮮)の儒教が、東アジア特有の賄賂文化という悪の華を咲かした。
 日本人は、儒教を知らない。
 中華儒教と日本儒教とは違う儒教である。
 中華儒教が正統派なら、日本儒教は異端派である。
 故に、日本人・日本社会と中国人・中国社会そして朝鮮人・朝鮮社会とは異次元世界のように違う。
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 日本人には、朝鮮人が日本人と同じ権利と自由を、国際社会で当然の事のように享受している事に不満があった。
 日本人として、国際人として、その権利と自由を得る為にどんな犠牲を払ったのか、と言うことである。
 何故なら、国際社会も、諸外国も、朝鮮人としての権利や自由を一切認めていなかったからである。
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 朝鮮人を日本人ではなく朝鮮人として認めていたのは、反天皇反日派のキリスト教会と共産主義者マルクス主義者)だけであった。


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日本が忘れ韓国が隠したがる 本当は素晴らしかった韓国の歴史

日本が忘れ韓国が隠したがる 本当は素晴らしかった韓国の歴史

  • 作者:松木 國俊
  • 発売日: 2017/11/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)