☯13〕─1─朝鮮半島の人災地獄。朝鮮儒教(朱子学)による人命無視の過酷な身分制度と露骨な男尊女卑であった。〜No.28No.29 * ③ 


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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・   
 気弱な日本民族は、残酷な朝鮮人を嫌って日本列島に逃げ込んだ。
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 ゴンチャロフ「民は無能で見栄っ張りで、努力を嫌う」
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 朝鮮は、中華文明を受け入れて中国化した。
 朝鮮史とは、独自の独立した歴史ではなく、朝鮮文化史として中国周辺史のごく一部にすぎない。
 朝鮮は、中国を完全に摸倣する事に心掛け、朝鮮の独自性は極めて少ない。
 朝鮮文化は、中国文化のコピーに過ぎない。
 朝鮮を起源とする独自なものは、ほんの僅かでしかない。
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 明国は、朝鮮を準領土とし、朝鮮人を最下位に近い家臣としてあしらった。
 清国は、朝鮮を嫌ってチベットやモンゴルなどのように領土に編入せず、琉球王国よりも下位の属国として軽蔑した。
 朝鮮の「恨」文化は、こうして生まれた。
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 中国化した朝鮮は、古代から日本の敵であり、中国化を拒否していた日本の友好国ではなかった。
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 昔の日本人は、中国同様に朝鮮のおぞましいほどの惨状に恐怖して逃げ出した。
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 安璲『疲兵行』
「苦労して得たお金は全て将軍に奪われる。
 将軍は黒毛皮を着る事を好む
 黒毛皮一枚を金十斤と交換する。
 将軍は脂肪ののった牛肉が好物で
 軍中では一日に九頭もの牛が殺されるという」
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 李建『刈麦詩』
「農家の嫁が夕飯に食べる物がなく
 雨に濡れながら麦を刈り取って帰宅してくる。
 生木は雨で湿っており、火はおこせない
 入り口には子供達がお腹がすいたと母親の衣にすがって泣いている」
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 朝鮮民族は、公私混同の「恨」を文化とする民族である。
「恨」は、相手に対する積極的な怨みではなく、消極的に自分の身に降り注ぐ不幸・不運を受け入れて嘆き暮らす事である。
 恨には、運命に立ち向かい、状態を変えようという、前向きな行動は伴わない。
 朝鮮には、公共の場を意識した公徳心は生まれなかった。
 60%弱の庶民は、インドのカースト制度に近い階級制度で、人権もなく、人道もなく、自由もなく、平等もなく、公平もなく、人間以下の無能無知な人間として、虫ケラの様に扱われ、恐怖を持って支配されていた。
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 両班気質を持つ朝鮮人は、「個」を絶対しするエゴ至上主義者として、他人から受けた恩を忘れても、他人への怨みはけっして忘れない。
 人口40%以上存在していた両班階級は、自分の特権を守る為に、朝鮮を排他的正統派儒教で支配していた。
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 朝鮮は、他人を押しのけて出てこない人間は「何かが足りない」無能人間とし、自分より下位と見下して差別し虐げた。
 女は男に比べて未熟で有り、子供は大人に比べて未熟で有り、老人は若者に比べて生命力が欠乏し健康的でない。
 障害者は、当然、真っ当な人に比べて欠陥を有したくだらない人間であると。
 朝鮮社会は儒教価値観で、厳格な上下関係による差別や陰湿なイジメが横行している。
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 朝鮮は、徹頭徹尾、反日・敵日であり、親日でも、知日でもなかった。それは、変わりようのない現実であった。昔の日本人は、それを知っていた。
 朝鮮は、古代から神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)制度国家日本を滅ぼす為に、繰り返し日本を侵略していた。
 儒教的教養を持った朝鮮人は、中国的「徳」を否定する野蛮な天皇を守ろうとする日本人を根絶やしにする事を、宗主国・中国への忠誠の証しとしていた。
 朝鮮の悲劇は、正統派儒教価値観を墨守し、忠実に実行した事にある。
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 日本が、最も恐れたのは朝鮮人であり、侵略の脅威を感じて警戒したのも朝鮮半島であった。
 古代の日本人は、朝鮮半島に恐怖を感じ、朝鮮人接触しない為に遠ざけていた。
 古層の知識を受け継いだ民族中心主義の日本人は、心の底から朝鮮を信用していなかった。
 「日本書紀」と「古事記」は、アジアから日本が独立した証しの公式神話、民族中心の物語であった。
 意図的に書かれた、偽史である。
 故に、最初に国交を断絶したのは朝鮮の国・新羅王国であった。
 明治期の日本人は、万世一系男系天皇(直系長子相続)と神国日本を守る為に、大陸からの侵略を食い止めるべく韓国を併合した。
 反日朝鮮人の日本への憎悪を無力化する為に、「和」の精神で日本民族の中に吸収して同化しようとした。
 伊藤博文小作人出身・束荷神社祭神)は、日本民族と正反対で異質な朝鮮民族を吸収し同化させる事に反対し、むしろ異質のまま放置して独立を与えるべきだと主張した。
 そして、皇位継承を、歴史的事実を基にして、男系はもちろん女系にも広げようとした。 
 歴史的事実として、日韓併合は、朝鮮を甘く見た「お人好し」の日本人の失敗であった。
 所詮は、油と水の関係で、決して心の底から交わる事の出来ない間柄であった。
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 日本の価値観と朝鮮の価値観は、異質である。
 日本の価値観は、日本独自の「神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)」を中心としたオリジナルの民族的価値観である。
 朝鮮の価値観は、中国の「男系男子のみの中華皇帝」を中心とした普遍的価値観の焼き直しにすぎない。
 両者は、解り合うことなく対立するものであり、決して理解し合えないものである。
 両者の間に溝を作っているのが、宗教的な万世一系男系天皇制度(直系長子相続)がらである。
 朝鮮の伝統的身分制度は、中国と同じ非宗教的正統派儒教によるもので、日本の神道身分制度とは本質が違う。
 朝鮮の身分制度は、世にもおぞましい程の厳格なもので、庶民を恐怖でがんじがらめに縛っていた。
 もし、その絶対不可侵の身分制度を破る者がいれば「死」の制裁が加えられた。
 朝鮮では、日本の天皇は最下層の白丁出身であると信じられている。
 朝鮮の公式歴史では、最も賤しい身分の天皇一族が朝鮮から脱走して日本を征服したと、教えている。
 よって、朝鮮人天皇を一国の元首として敬意を払うどころか、「日王」と蔑称して嘲笑っている。
 朝鮮が、中国のアジア的価値観で東アジア共同体に加わる事は可能である。だが、民族中心の価値観を有する日本は不可能である。
 異質の日本がその共同体に参加するには、中国の価値観で意識改革する必要がある。
 だが、新たな時代の為にアジア的意識改革を求める知的国際派日本人が急増している。
 そして、中国中心の歴史を受け入れる為に、「日本書紀」と「古事記」は偽書として否定し打ち捨てようとしている。
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 朝鮮文化(創氏改名的文化)は、
 中国文明(強者、勝者である皇帝一人を守る正統派儒教による漢字文化圏、一君独裁体制)と同様に、
 単一な絶対的価値観(神や仏を越えた自分を中心とした「人」の価値観)で理路整然とした完全無欠な観念善(生死を賭けた論戦の末に勝利して得られる善、
 論戦に敗れた者には死か奴隷身分・白丁=ペクチョンが待っていた)を絶対正義(排他的個人主義)としていた。
 つまり、排他的自己中心の身分的上下関係による「搾取する共生」を大事にする平等・公平なき不寛容な縦社会ゆえに、不平不満を持つ者の内乱、内戦、内訌は止む事はなく、法あっても治安がなく盗賊(白丁出身の林巨正)が跋扈していた。
 両班(ヤンバン)なと文士(ソンビ)の特権階級より身分の低い武官や民衆には自由や平等はなく、正統派儒教は女性や子供の人権を認めず男の単なる所有物と定めている。
 朝鮮は、古代朝鮮名→中国名→モンゴル名→中国名→満州族名→中国名→日本名→中国名へと絶えず創氏改名を繰り返して来た。
 逆に言えば、世界一柔軟性がある事の証しである。(『日本とシオンの民』戦前編)
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 朝鮮人は、世界一優秀な中国人になる事に憧れ、中国が朝鮮を領土の一部にしてくれる事を切望していた。
 朝鮮人の「恨」とは、中国人になりたいのに慣れない「もどかし」さである。
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*恐怖の正統派儒教社会
 孔子「刑、大夫に及ばず」。
 儒教国家では、刑罰は犯罪を犯す心賤しい庶民・小人を厳しく罰するものであって、高官は高貴な人徳を有する存在であるがゆえに刑は及ばなかった。
 皇帝は、天帝から仁徳を求められた唯一の「朕」である以上、法そのものであった。
 孟子「君に大過あれば則ち諫め、これを反復して聴かざれば則ち位を易う」。
 儒教は、徳をなくした君主を家臣が滅ぼし、徳のある者が新たな主君になる事を認めている。
 そして、天命を受けた皇帝は前王朝につながる人や建物を全て滅ぼした。
 儒教は、絶対権力者の政治権威と宗教権威を守る為に、大虐殺を容認していた。それが、徳至上主義による「放伐」と「禅譲」である。
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 李氏王朝の儒教世襲身分制度
 聖人君主の道徳階層。
 国王と王族及び貴族と高貴な両班は、権力と富を独占して、机に座って儒教の古典を読むか酒を飲み享楽に耽るかで、身の回りの事も含めて一切の労働はしない。
 彼等は、王朝文化の担い手として高度な教養ある人間と求められていた。
 中級以下の両班は、仲人として、官吏や医師などの特殊能力者として極普通の人間と見なされた。
 両班は無職な為に、科挙に合格して役職につくべく猛勉強し、その鬱憤晴らしとして身分下の者を軽蔑し立てなくなるまで暴行を加えた。
 小人奴卑の道徳階層。
 常民は、農漁民で、汗水垂らして税を払う為のみで来る日も来る日も働いた。
 奴卑は、両班の家内奴隷、手工業者、行商人、僧侶、キーセンらである。
 ビビンバは、家内奴隷が食べた食事である。
 白丁は、雑用的職人、芸人、乞食などであった。
 商人は、行商人の中から生まれた。
 常民・奴卑は、人間とは見なされず、人間扱いされず、生殺与奪の権両班が握っていて、何をされても、たとえ殺されようとも一切抵抗は許されなかった。
 白丁は、さらに酷い扱いをされていた。
 朝鮮は、日本以上に、世界有数の地獄の様な差別社会であった。
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 地域差別とし。高麗王朝以来、日本と縁の深い後期百済王朝の中心地があった全羅道地域は、極端な差別を受けていた。
 さらに。済州島住民は、人間以下の存在とされた。
 朝鮮に於いて。特権階級となれるのは、中期新羅王朝の本拠地であった慶尚道出身者のみであった。
 韓国は、国内における地域差別が世界でも類がないほど酷い。
 在日韓国人もまた、「半チョッパリ」と差別された。
 「チョッパリ」とは、豚の様な足をした日本人という意味で、日本人を軽蔑する差別用語である。
 朝鮮や中国には、日本以上に差別用語が氾濫している。
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 李氏朝鮮は、儒教に基ずく性認識から、文化度の高い高貴な中国人への接待は名誉とされたが、獣のような未開で野蛮な日本人と交際すれば民族の穢れとして処刑した。
 偏狭的純血主義を信奉する朝鮮人は、清潔な血を守る為に朝鮮人以外の人間との交わりは不純な混血児を作るとして厳禁とした。
 江戸時代。釜山の倭館に詰めていた日本人との交際が見付かると、朝鮮人女性は縄でグルグル巻きにされた上でゆっくりとノコギリで首を切り落とされたと言われている。
 朝鮮儒教は、売春を不純行為として禁止し見付けしだい厳罰に処し、外国人と交われば血の純血が穢されたとして処刑した。
 ただし、両班は高貴な身分である為に何をしても許された。
 朝鮮では、他人と対等に仲良くやる事は敗北者とされ、他人よりも上位に立たなければ自由と権利は得られなかった。
 だが、家柄や出身という目に見えない壁が、朝鮮人の希望を打ち砕いていた。
 その見えない壁を登るには、賄賂を行う事であった。
 朝鮮文化とは、賄賂文化であった。
 上位の朝鮮人女性が下位の日本人男性と付き合う事は堕落として厳罰の対象とされたが、上位の朝鮮人男性が下位の日本人女性と付き合う事は徳を施す事として認められた。
 朝鮮は、父権と血のつながりを神聖視する狭義的儒教で国を一つにまとめていた。
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 イザベラ・バード「朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分達より暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり『人の親切に付け込んでいる』その体質にある。そうする事をなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならい」
 「北京を見るまでは私はソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどい臭いだと考えていた」
 「(ソウルの家屋は)一般に軒の深いあらぶきのあばら家で、屋根のすぐ下に紙をはった小さな窓があって人間の住まいだとわかる」
 「諺文(オンモン・ハングル)は、軽蔑され、知識階級では書き言葉として使用しない」(『朝鮮紀行』)
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 ウォルター・ヒリアー「絶望的に腐敗しきった行政……朝鮮が国として存在するには大なり小なり保護状態におかれる事が絶対に必要である」(『朝鮮紀行』)
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 ヘンドリック・ハメル「彼らは盗んだり、嘘をつく、騙す傾向が強いから、彼らを信用してはならない。他人に損害を与えることを手柄と考え、恥とみなさない」(『朝鮮幽囚記』)
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 ダレ神父(フランス人)「両班は、至る所で支配者か暴君の様に振る舞っている。彼等が強奪に近い形で農民から田畑や家を買う時は、殆どの場合、支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は一人もいない」(『朝鮮事情』)
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 グレゴリー・ヘンダーソンアメリカの朝鮮史家)「李朝は経済的破産と崩壊の寸前にあった。軍事力はほとんどなく、政権の分裂と内紛で行政は麻痺状態となり、慢性的農民一揆の気運に脅かされていた」(『朝鮮の政治社会』)
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 F・A・マッケンジースコットランド系カナダ人)「監獄は呪詛のまとであり、拷問は自由に行われ、周期的な監獄掃除に際しては一時的に数十名の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された」(『朝鮮の悲劇』)
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 アーソン・グレブスト「朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で、城塞の外で夜を過ごすことは大変危険だった。ソウルの外廊には、人命をハエの命ほどにも思わない山賊やならず者で溢れている」
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残っていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教がいっそう恥じるべき」
「莫大な保釈金を払って奴婢の身分から脱することができても、私たちのいうところの『市民としての信用』は回復しない」(『悲劇の朝鮮』)
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 ホーマー・ハツバート「金次第でどうにでもなり、多額の金を提供するか、裁判官を畏怖させるほどの有力者を後ろ盾に持っていることを見せつけるかしたほうが、必ず有利な判決にありつけることは、世間一般の常識」(『朝鮮亡滅』)
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 アレン・アイルランド「朝鮮民衆の生活が悲惨なのは、過去500年にわたってほぼ絶え間なく朝鮮王朝を特徴付けてきた愚かさと腐敗によるものであり、その間に存在した王朝の残虐な行為と汚職にまみれた体制が朝鮮全域で蔓延していたせいであった。
 一般大衆は誰もが、努力してもその結果を享受する事を許されなかった。その為、産業や倹約、社会進歩などに対する意欲はことごとく破壊された。こうした悪政によって朝鮮人は何世代にもわたって苦しみ続けたのである」(『コリアが劇的に豊かになった時』)
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 崔基鎬「当時の朝鮮は、禿山ばかりで赤土だらけが山の表面を覆い、雨が降れば保水能力はなく、河川の下流域はすぐに洪水に見舞われた。ソウル市内も、今のソウル駅近くの葛月洞まで漢江の水が溢れ、四方は海と化した。
 山野の草木はすべて燃料のために刈り取られ、植林はほとんどなされず、森林が残ったところは、鴨緑江豆満江流域のみで、人間の通れない原生林と墳墓周辺を除くと、荒涼たる禿山ばかりであった。……(P.91)
 道路、河川、林野、港湾が自然のまま放置されていたのは、李朝末期の財政破綻、国政紊乱によるものであることはすでに記述した。……P.92」(『日韓併合』)
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 朴正煕「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活様式によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的罪悪史である」(『国家、民族、私』)
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 李光洙は、韓・朝鮮民族が衰退した原因はその民族性にあると主張した。
 自分こそ最も賢いと自惚れ、相手を頭が悪い馬鹿と軽蔑し差別して、自己満足に陶酔する。
 平然と嘘をつき騙す為に、お互いを信用しない。
 美辞麗句を並べて空理空論をもてあそぶが、公言したほどいざという時に実行しない。
 自分の失敗を誤魔化す為に、相手のミスや油断を殊更大げさに騒ぎ立て、責任を他人に転化して恥じない。
 相手の発言や行動の揚げ足を取り、勝ちほこったように責め立てる。
 強い相手には、卑屈なまでにおべっかを使って、媚び諂う。
 面従腹背として、相手のいないところで辛辣に批判し、罵詈雑言を並べ立てて悦に耽る。
 利己主義で公共心がなく、自分の利益にならない事は正しくても顔を背ける。
 主体性がないために、怯懦で、事大主義である。

 

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