🗾11〕─4─沖縄で2万3千年前の世界最古の釣り針が出土した。~No.55 

  ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・   
 釣り針は、海洋民の必要不可欠の必需品であったが、大陸民にとって必ずしも必要とはしなかった。
 河川で魚を捕るによく用いられていた漁具は、網であった。
   ・   ・   ・   
 琉球人・アイヌ人そして日本民族日本人は、南方系海洋民の血を濃く受け継ぐ縄文人の子孫、同種同族である。
 縄文人は、多種多様な人々が乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族である。
 縄文人を辿れば、ホモ・サピエンスであり、アフリカ人である。
 つまり、一度も侵略され征服されず、一度も属国・従属国や保護国にもならず、一度も支配されて臣下にもならず奴隷にもなった事のない自由の民である。
 だが、周辺に敵・敵国がいなかったわけではなかった。
   ・   ・   ・   
 朝日新聞
 世界最古の釣り針、沖縄で出土 旧石器時代に貝を加工か
 有料会員限定記事
 上原佳久、編集委員中村俊介 2016年9月20日05時00分
 沖縄県南城(なんじょう)市のサキタリ洞(どう)遺跡で、世界最古となる2万3千年前の釣り針が見つかった。県立博物館・美術館(那覇市)が19日、発表した。素材は貝。国内初の旧石器時代の漁労具で、人類が少なくともそのころから海や川の幸を利用する技術を持っていたことをうかがわせる発見だ。
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 釣り針(つりばり)は、魚釣りに用いる針。多くの場合J字型に彎曲させてある。一般的には釣用の針は「鈎」と表記されることが多い。また、「鉤」の字が用いられることもある。
 概要
 一般的で簡単な仕掛けとしては、釣り糸の先端に釣り針を結わえ付け、針を餌に埋めるように刺し込み、水中に投じる。魚が餌に食いつけば、餌の中の針が飛び出して魚の口に引っかかるしくみである。魚がそれを咥えた瞬間に手元に軽く引くことで引っかかりをよくするのを「合わせをいれる」あるいは「合わせる」という。
 古くは鹿の角などを用いて作成した。それに代わり現在では炭素棒に金属を染み込ませて、更に焼き入れなどを行い作っている。
 歴史
 石器時代の骨製釣り針
 釣り針や類似の器具は何千年も前に発明されたと考えられる。最古の釣り針は、日本の沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で発見された約2万3,000年前の旧石器時代の貝製釣り針になり、東ティモールでも2万3,000-1万6,000年前の貝製釣り針が発見されている。これまで人類はありとあらゆる材料で釣り針を作ってきた。木、動物や人間の骨、角、貝殻、石、青銅、鉄、さらには最近の材料である。多くの場合、釣り針は素材の特徴を生かし強度を増すよう作成された。ノルウェーでは1950年代ごろまでカワメンタイ用釣り針にセイヨウネズを使っていた地域もある。鋼製釣り針は1600年代にヨーロッパで使われ始め、主流となっていった。
 日本列島の旧石器時代の遺跡からは釣針は出土しておらず釣漁や網漁は確認されず、ヤスや銛による刺突漁が主であったと考えられている。
 縄文時代には前期から沿岸部や湖沼のあった内陸部の遺跡から釣針や銛、魚網などの漁具が出土していることから漁撈の存在が確認され、シカの角などを用いた釣針が出土している。『古事記』の海幸山幸の話には 山幸が釣り針を借りる話が登場する。
 日本
 播州
 日本では特に播州地方において釣り針製造技術が発達した。その起源には諸説あるが、天保初頭に加東郡池田村(現小野市池田町)の源右衛門が京都から技法を持ち帰った説、多可郡上比延村(現西脇市上比延町)の新兵衛が弘化年間に京都で技術を習得した説のほか、最も有力な説は、加東郡下久米村(現社町下久米)の彦兵衛が、土佐から技術を習得し帰郷した説である。彦兵衛は当初、焼き入れの技術に苦労したが、一人で失敗を重ねながらついに成功し、さらにはその技術を惜しげもなく弟子や同業者に伝えたことから、北播州が釣針産業が発展する最大の要因となった。その技術は丹波やさらには岡山県方面まで伝授された。このため彦兵衛は釣針造りの職祖と呼ばれる。
 沖縄県
 沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で、旧石器時代(約2万3千年前)の貝製の釣り針が発見された。世界最古級。1.4cmで巻貝の底を割って三日月形にして、磨いて先端を尖らせていた。発表した沖縄県立博物館・美術館で特別展で展示される。
   ・   ・   ・   
 釣針の歴史 - 【はり秀株式会社】
 釣針の誕生
 そもそも釣針の誕生は紀元前一万年の昔、後期旧石器時代にまでさかのぼります。
 日本では紀元前数千年に、新石器時代のもので獣骨を材料とした釣針が三陸沿岸など各地で出土しています。
 また、鉄及び銅を材料とした金属製の釣針の出現は、弥生時代・神話の時代(紀元前三百年~紀元後三百年)の頃だと推測されています。
 その後、西暦1400年~1600年に日本の各地で釣針の製造・販売が生業として行われた記録が当時の文献などを通して多く認められています。
   ・   ・   ・   
 NEXT PREV 鮎起源探訪  釣針の起源
 日本の釣り
 鉤(かぎ)形の釣針の形は太古の昔に考えられていた   
 釣り針の歴史
 釣りはヨーロッパが始まり(BC1万年前頃)と考えられていてその後各地に伝わったとされる。人類が早くから住んでいた北欧では釣りが盛んに行われていて初めは角製・骨製の針であったが銅・青銅器・鉄製針の使用も早く日本の縄文時代にはすでに使っている。日本の釣針の歴史は縄文時代からで大陸から伝来したと考えられている。
 縄文時代の早い時期から鹿や猪の角や牙・骨を加工し釣針を作っており、中期以降様々な形の釣針が作られる様になる。
 縄文時代の生活や漁は縄文時代の漁をご覧下さい
 針は初め「レ」の字形であったがさらに加工され「し」の字形になったと考えられている。針の形は「レ」・「し」の字形の他・イカリ形の針もあり、針は一体形の他、針軸と針先部分を組み合わせた複合針もある。針返しは付いている物や無い物があり、付いている物は針先の外側や内側に1つ~3つ付いている。針の大きさも魚に合わせ大小作られていて針先の長さや針先角度は外向き・内向きなど色々あり、針折れ防止に曲がり部の厚さが工夫され魚の大小に合わせて作られている。釣り糸の糸抜け防止に針本(ちもと)を膨らませたり穴を開けて糸を通すなどの工夫した物や接合部を固着した物もある。

 「参考」 魚の違いや入手材質の違いで、針の大きさや形など国により様々である。
針軸・針懐・針先など複数の組み合わせて作った物や針先が骨・針軸が木製の組み合わせもあり、返しも凹みだけ付けた物・針の曲がり部に穴を開け糸を通しさらに針本(ちもと)に糸を結び糸抜け防止をした針の形もある。

 日本に鉄器が伝来したのは弥生時代(BC350~AD300年)で、これ以降鉄器の針が使われる様になるが骨や角で作った針も混在して使われている・・弥生時代の青銅針の出土品あり

「参考」地中海周辺のメソポタミア(BC4000年頃)文明やエジプト(BC3000年頃)文明ではすでに青銅製の針が使われていた。BC1500年頃、北ヨーロッパでは鉄製の針が使われている。国間への文化の伝達は年代差があり、同じ年代でも各国の針の形や材質(骨・角・金属)に大きな差が見られ新旧が混在している。

 古墳時代には鉄製の針が使われる様になるが骨製の針も使われている

 江戸中期から針作り名人の釣針師や釣り道具屋が現れ、針の工夫が盛んに行われる様になる。海・川釣り用釣針の他、鮎毛針の原形や鰹釣りやイカ釣りの擬餌針の原形が創作される。「本朝食鑑」(元禄十年1697年)に鰹釣りは牛角や鯨牙で擬餌針を作るとあり、イカ釣り用(イカ餌木(えぎ))は椿の木で魚形にして作るとある。
 「何羨録」(享保八年1723年)に櫻針(縫針)を曲げて針を作ることが一部で流行るとある。
 江戸期の針は鉄線を切って尖らして作ったが針の強度がなく錆にも弱かった。これらを改善する為に鍛鉄や焼入れが使われる様になり、錆(さび)がつかない様に鉄針に漆を塗ったものや真鍮の針が使われる様になる。その後針の形はさらに工夫され種類も多くなり制作者や対象魚の名が付いた針が創作される様になる。
 江戸後期1781年以降、江戸では武士・漁師の他町民達も釣りを行う様になり、各地に釣針作りを生業(なりわい)とする者が現れる。

 明治時代に入り庶民が釣りを楽しむ様になる
 明治十年(1877年)以降各種の水産博覧会や万国博覧会が開催され各地の針職人が出品し技を鍛え競っていく。これに伴い針の種類も非常に多くなり針職人として名をなす者が現れる。英国の釣り翻訳本が出される様になる。針の質・形・針先の工夫も加速し次々と新しい針が創作された。
 明治十五年(1882年)針の錫(すず)メッキが始まる。
 明治二十八年(1895年)の第四回内国勧業博覧会にスピナーとスプーンのルアーが初めて白壁政七(長崎県)が出品し注目を集め有功三等賞を受賞している。明治四十三年(1910年)には金メッキが始まる

 大正には針作りが機械化されていく。針錆防止に松脂を付ける方法の特許がだされ機械製法や針製法の特許が相次ぐ様になる。ゴム製やプラスティック製の擬似餌針が作られ様になる
 
 昭和に入ると釣りが盛んになり針の種類も膨大な数となって行く。
 昭和二十三年(1948年)頃から鋼線の針が出始める。さらに釣り対象魚も多くなりこれに適した針の創作が次々と考案される。以後現在に至るが針はこれからもさらに創作されていくに違いない。

 先人の苦悩
 釣りをするには今も昔も針の形が大切で、魚の大きさや口の形で針の大きさや形は工夫された。針の材質や太さも川の釣りと海の釣りでは魚の大きさや錆などが違うため先人達もいろいろ悩んでいた様だ。江戸初期は鉄質が悪く錆に非常に弱く強度も弱かった。強度を上げるには針を太くしないといけないが太くすると小型の魚は釣れない細くすると
錆で強度が取れない。製作中での手の汗で錆ることや保存に悩まされていた様だ。
 針先や針返しにしても針先を細く尖らすと刺さりはいいが針先が曲がったり折れ安くなる。
 針返しも大きくすれば外れ難いが刺さりが悪い小さくすれば刺さりはいいがバレ安いなどいろいろ苦悩していた様だ

 江戸中期から針の形や材質・錆について工夫される様になり様々な針が考案され様になった。明治以降には針製造の機械化やメッキ・針先の工夫がされるようになる。バレを少なくするために針先の捩(ねじ)れたものや内に曲がったもの・外に曲がったものなどいろいろ考案される様になる。
   ・   ・   ・