🎊2〕─10─日本の世襲制度と役職制度は、成長と共に名を代える出世魚に似ている。〜No.11 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2020年1月16日号 週刊新潮「読書万巻
 日本社会のあちこちに残る『世襲』の美点と欠点
 『世襲の日本史 「階級社会」はいかに生まれたか』 著者 本郷和人
 評者・山口真由
 小泉進次郎の子どもが国会議員となれば『5世議員』になるらしい。日本はどうしてこれほど世襲が多いのだろうか。この疑問に見事に答えてくれるのが、本郷和人世襲の日本史』である。本書を読めば、世襲の根深さが分かる。むしろ、世襲批判のほうが新しい。それほどに、社会の基本的な秩序となっているのである。
 世襲を支える日本社会の基本的なシステムは、本書によれば、『家』制度である。冒頭の『小泉家』を例にとると、政界に最初に進出したのは又次郎、そこから純也、純一郎、そして慎次郎へと、『当主』は代れど『家』は維持される。こう述べると、『家』は血統を守るための制度にも思える。が、そうではない。血統は家の正統性を担保するための要素に過ぎない。これを『「家」の超血縁性』という言葉で、本書は表現する。実際、純一郎の父・純也は、実の息子ではなく、婿養子である。血縁を超えて『家』が守ろうとしたのは、『家』それ自体。つまり、世代を超えて家を存続させること自体が、制度の目的なのである。
 この制度の下では、家の格によって出世の幅が決まる。ゆえに、社会の幅が小さい。例えば、一口に世襲議員といえど、決して同格ではない。総理大臣経験者の子孫は『サラブレッド』と呼ばれ、人より早く出世街道を進む。個人の能力による純粋な競争ではないのだ。
 思えば、家をもしたこの仕組みは、政治家のような特殊なお家のみならず、日本社会のあちこちに残る。私がかつて所属した財務省はⅠ種、Ⅱ種、Ⅲ種と採用試験によって出世の上限が決まっていた。『大蔵一家』と呼ばれ、個人よりも組織の論理を優先しがちな傾向もあったのだろう。
 著者は、家制度の美点と欠点を両方指摘する。安定した時代には秩序維持に優れた制度である。個人主義的な競争社会に比べて、伝統的な美風を残すことができるか。だが、自己保存を目的とする家制度は、変化を嫌い、旧弊を温存するとの逆の見方も成り立つ。現に、明治という激動の時代には、日本の有史以来初めて世襲を廃止し、個人を純粋に能力で登用したからこそ、一つの奇跡を成し遂げることができたのだ。
 安定期には世襲、激動の時代には個人主義という、この示唆は興味深い。日本では、安定成長期の後に『失われた30年』という長い低迷期が訪れている。固定的な社会システムに、その原因を求める声もある。一旦は能力主義を取り入れ、社会が活力を取り戻したら、安定期に適したシステムに戻す選択もあるのだろうか。年初から様々なことを考えさせられる本である」
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 商人の老舗は世襲で受け継がれ、息子の男系父系Y染色体ではなく娘(こいさん)の女系母系X染色体で成り立っている。
 歌舞伎や能、茶道や華道など古典文化芸能、伝統業職人の世界も、全て家伝秘伝一子相伝世襲である。
 歴史に残る名人・巨匠は、世襲の中からしか生まれない。
 一世を風靡する匠は、世襲でなければ一代限りで消え去る。
 後継ぎのいない家は、才能ある赤の他人を芸養子・技能養子として迎えて家の存続を図った。
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 日本で改革・変革・革新・改造があっても、根底から崩壊・破壊させる革命が起きないのは世襲制度が邪魔をしているからである。
 つまり、世界規模の大虐殺を防いでいたのは世襲制度である。
 日本を代表する世襲制度は、男系父系Y染色体に基づく天皇家・皇室である。
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 世襲制度とは、正統制度、家元制度、本家分家制度、本系傍系制度である。
 日本の世襲制度は、血筋・血統相続ではなく家・家名・家系相続である。
 世襲制度を温存できたのは、先達の伝統芸と当世風・今風の新作芸が両輪としてあったからである。
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 世襲制度のない国には、数百年、1000年以上続く老舗や生きた伝統文化芸能はない。
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 少子高齢化による人口激減と外国人移民(主に中国人移民)が急増すれば、民族特有の伝統的世襲制度は消滅していく。
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 江戸時代、金で武士になった庶民(百姓や町人)がいた。
 彼らは、金上侍、ニセ武士と呼ばれていた。
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 ブラック社会であった武士社会は、実力で成り上がってきた金上侍に対するイジメや意地悪は陰湿であったが、世襲家の養子に入った成り上がり武士には手出ししなかった。
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 下賤の身から天下人になった豊臣秀吉は、幼少は日吉丸と呼ばれていたが、下男・小者になってからは藤吉郎と名乗り、足軽・下級武士になると木下藤吉郎と名乗り、武将になってから羽柴秀吉と名乗り、関白になるために藤原家に養子に入り九条秀吉と名乗り、太政大臣・太閤の時代には天皇から姓を賜って豊臣秀吉と名乗った。
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 日本の世襲制度とは、親から子供・兄から弟・本家から分家へという血筋の継承ではなく、娘婿・他人の養子といった家・家名・家系の継承であった。
 役職は、個人の才能で就任するのではなく、役職家という世襲で就任する。
 その為、江戸時代、野心的な庶民(百姓や町人)は大金を払って御家人株を買って下級武士になり、役職に就く為には、才能を発揮して役職に相応しい世襲家の養子となった。
 自分が世襲家の養子になれなければ、子供を養子として送り込んだ。
 その代表が、勝海舟であり、川路聖謨であった。
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 大名家は、後継ぎを絶やさぬ為に他家から養子を取っていた。
 大名が養子を取る時は、将軍家か、若しくは自分より格下の小藩であった。
 将軍家から養子を向ける時は、多額の持参金を得られるからである。
 格下の小藩から養子を迎えるのは、大藩から養子を向けると実家に乗っ取られる恐れがあるが、小藩ではその危険がないからである。
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 家臣は、大名家・藩を存続させ為に主君・殿様を強制隠居させて取り換えた。
 家臣が命を賭け行った諌言や忠告は、主君思いの忠誠心からではなく、家族を家禄のない貧困浪人にさせない為であった。
 甲斐性のない浪人の妻や娘は悲惨で、金で商家の妾になるか、最悪は芸者か女郎に売られた。
 家臣にとって、主君の血筋・血統より主家・大名家・藩という家系の方が重要であった。
 家臣にとっての理想的主君とは、諸改革を行う名君ではなく政治に興味がない暗君である。
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